音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■インヴェンション14番の写譜から、分かること■

2009-10-27 00:38:01 | ■私のアナリーゼ講座■
■インヴェンション14番の写譜から、分かること■
               09.10.27    中村洋子


★10月29日の「第14回インヴェンション・アナリーゼ講座」の準備で、

昨日は3声のシンフォニア14番、本日は、2声のインヴェンション14番を、

バッハの「自筆手稿譜」(ファクシミリ版)を見ながら、

私の手で、書き写しました。


★次回の15番を、書き写しますと、この講座を通して、

インヴェンション全30曲を、私の手で、書き写したことになります。

全曲書き写しは、実は、これで2回目です。


★中学3年生の15歳の時、一度、全曲を写しました。

通学していました中学が、中高一貫でしたので、

高校入試の代わりに、「中学卒業論文」を課していました。

テーマは、自由でした。


★私は、その当時も、(いまもそうですが)、バッハに夢中でしたので、

全曲の「手書き写譜」に、私なりのアナリーゼを加えたものと、

モティーフなどを図解した、いわば全曲の俯瞰図のようなものとを、

合わせ、それを「論文」として、認めていただきました。

和声や対位法の知識もほとんどないまま、徒手空拳の作業でした。


★あきれたことに、五線紙の五線まで、万年筆で引き、

大きな第一部と第二部とを、明らかに区別が分かるよう、

離して、五線を描き、

音符については、主題や対主題、結句、モティーフなど、

すべて色鉛筆で、色分けして書きました。


★いま、これを見ましても、幼く微笑ましい部分もありますが、

それほど、いまの私の考え方とは、乖離していないように、思えます。


★いまは、パソコンで、楽譜を難なく作成でき、

移調や転調も、キーボード操作であっという間です。

しかし、バッハの、自筆譜を見て、それを書き写しますと、

彼がどんなに、音楽を心の底から歌いながら、書いていたか、

それが、手に取るように、分かってきます。


★きょう、バッハの手書き譜を書き写していて、また、

たくさんの発見が、ございました。

と同時に、15歳の折、五線紙まで手で書き、

インヴェンションを写した私から見ますと、

現行の Urtext (原典版)には、大いに不満があります。


★楽譜の一段に何小節を書き込み、全体を何段にするか、

その選択が、大変に重要です。

その視覚的効果により、無意識ですが、

曲のイメージ、さらに、演奏まで大きく影響されます。


★インヴェンション14番は、わずか全20小節の曲ですが、

バッハは、これを、全6段で記譜しています。

「横長」の紙、2枚に納めています。

現在のような、「縦長」の紙では、決してありません。

一枚に3段が、記されています。

一段は、3小節、あるいは3小節半、または、

4小節、というように、変則的な書き方をしています。


★この曲の主題の長さは、3小節です。

一段目には、この主題3小節だけを、ピッタリ入れています。

実に、見やすく、分かりやすく、親切です。


★しかし、現在、市販されています実用譜は、すべて、

「縦長」の紙で、2ページに記しています。

このため、一段2小節で、一ページが4段か5段、

というのが、標準的な表記となっています。


★1段2小節で、全20小節を譜割りする場合、

20÷2で、10段と、単純に考えられますが、最後の20小節目が、

全音符1つだけであるため、最後の19、20小節目の面積バランスが、

どうもよくないと、編集者たちの頭を悩ませているようです。


★これから、4つの原典版を比較してみます。

ベーレンライター版は、単純に、10段で記譜しているため、

10段目は、19、20小節の2小節だけとなり、

その前の9段目までが、1段2小節で、均等に割り振られていたのを、

この最後の段では、19小節目を異様に、長く伸ばし、

全音音符1つの20小節目を、大変に小さい面積で書いています。


★演奏していますと、19小節目で、急に音楽が、

間延びしたような印象を受け、逆に、20小節目の全音符が、

妙に、こじんまりとした存在のように、意識されます。


★ヘンレ版では、7、8段目を1.5小節とし、9段目を2小節、

10段目を3小節にしています。

しかし、最後の全音符一つの20小節は、

大変に、小さいスペースで、書かれています。

苦肉の策でしょう。


★ヴィーン原典版につきましては、音楽之友社が、ライセンス版

として出している「フュッスル校訂」(1973年)の旧版と、

ヴィーン輸入版の「ライジンガー校訂」の新版

(私が所有しているのは2007年)の、2種類が、

現在、市販されています。


★旧版は、ほとんど、ベーレンライターの譜割りと同じです。

しかし、ライジンガー版は、9段目を1.5小節、10段目を2.5小節として、

なるべく、各小節の長さを等しくするような工夫をしています。

つまり、10段目は、18小節目後半と、19小節、そして、

最後の20小節目で、できています。

その結果、全体の流れとしては、違和感がなく、

間延びすることなく、自然に最後まで、

演奏することが、できます。


★ヴィーン原典版の旧版についても、2種類の版が、

音楽之友社から出ており、結局、

ヴィーン原典版は、現在のところ3種類、市販されています。

ライジンガー版は、日本語訳が付いていませんが、

原典版としての精度は、格段に旧版より優れているため、

こちらを、お薦めいたします。


★このように、バッハの「横長の譜」を、無理矢理、

現代の「縦長の譜」で、印刷しようとしたため、

いたるところで矛盾が露呈していることの、

一例として、上記のことを、書きました。


★前回のブログで、書きましたように、

バッハは、曲の頂点で、音符同士の加線を、

つなげて書いてしまう、という癖があります。

私が、この14番の頂点と思っていたところを、

バッハの自筆譜で、調べましたところ、想像通りでした。

そして、その場所は、バッハの自筆楽譜2枚目の

一番上の、右端に、来ているのです。

この理由を、29日の講座で、詳しくお話いたします。


★では、最後の全音符につきまして、

バッハは、自分の手書き譜で、どう書いていたのでしょうか。

小節の横の長さは、簡単に短くしていますが、描かれている

全音符は、まるで、目をむいた龍の目玉のように、

大きく力強く、書かれています。

この全音符が、決して、現在の楽譜から受ける印象のような

か弱い存在ではなく、1小節の4拍分すべてを、この音一つで、

力強く支配する、大きな存在の主音である、

ということが、実に、よく分かるのです。


★私の中学の卒業論文は、写譜に手間取り、たった一人、

期日に、間に合いませんでした。

でも、それを許していただきました担任の先生は、

このブログの、愛読者でいらっしゃいます。

書き写すだけでも、こんなに大変なのですから、

それを作曲したバッハは、なんといいますか・・・。


        (名古屋・亀末広のお干菓子「寒具」 漆器:山本隆博)
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