■デュカの「ハイドンの名による悲歌的前奏曲」について■
08.5.11 中村洋子
★今回のCD録音では、雅楽の「越天楽」を、「龍笛」を使って、
①平調(ひょうじょう)、②盤渉(ばんしき)調、
③黄鐘(おうしき)調という、三つの異なった調子で演奏しました。
その龍笛のメロディーに合わせ、
ピアノの伴奏を付ける、という全く新しい試みをいたしました。
★雅楽のピッチは、ほぼ430ヘルツですが、ピアノの調律は
442ヘルツとなっています。
雅楽の音階は、ピアノの平均律音階とは大きく異なっております。
常識で考えますと、
「龍笛&ピアノ」は、絶対ありえない二重奏です。
★今回、442ヘルツに近い龍笛を、新たに調達いたしました。
それでもピアノの音階のピッチと合わないところも、
当然のことながら、随所に出てきますが、それを
隠すのではなく、わざと、そこで両楽器をぶつけ、
音高のズレを楽しみました。
★私は、ミーントーン調律されたチェンバロと、
能管とのデュオ作品「Wolf In the Sky」を、3年前の
「アリオン・東京の夏音楽祭」で発表しました
今回の龍笛&ピアノ「越天楽」は、その考え方の延長線です。
★西の現代楽器と東の古典楽器の出会いはどうだったのでしょうか。
私は、成功した、と思います。
★一人の作曲家が、越天楽の三つの調に作曲することもあれば、
複数の作曲家が、同じモティーフで、曲を書くこともあります。
このブログ「08.2.18」と「08.2.21」に書きましたように、
ハイドン(1732~1809)の没後100年にあたる1909年、
ラヴェル、ドビュッシー、デュカ(PAUL DUKAS)などの
大作曲家が、ハイドン「HAYDN」のスペリングを、
音に当て嵌めたモティーフをつくり、それに基づいて
新しい曲を書きました。
★そのデュカの作品である
「悲歌的前奏曲 PRELUDE ELEGIAQUE」は、
翌1910年、DURAND社から出版されました。
もちろん、現在でも入手できます。
Lent et Recueilli(ゆっくりと内省的に)と指定された
3ページの美しい曲です。
★ドビュッシーの持っていたピアノ、
ベヒシュタインとブリュートナーには、
ソステヌートペダルは、付いていなかったと思われます。
しかし、当時、既にソステヌートペダルは開発されており、
ドビュッシーが、このペダルを知っていたのは当然です。
★デュカのこの作品は、ソステヌートペダルを想定して
書かれています。
冒頭の1小節目や23小節目のように、このペダルを使いますと、
非常に効果的になるところがあります。
★また、雅楽の唱歌(しょうが)に極めてよく似た
節回しが、二ヶ所も見られます。
ドビュッシーが、インドネシア音楽を、万国博で聴いたように
デュカも、万博などで、日本の雅楽を聴いたかもしれないと
想像力を膨らませてしまいます。
どこかで聴き、心の奥底に残っていたメロディーが、
自ずと出て来た、ということもありえます。
★デュカの作品は、あまり多くありません。
なぜなら、中途半端な作品は、発表せず破棄したからです。
彼は、20世紀のフランス、あるいはヨーロッパ音楽で、
非常に重要な地位を占めている作曲家です。
★パリのカフェで、放蕩三昧していた若き日の名ピアニスト
「アルテュール・ルービンシュタイン」の首根っこを掴かみ、
自宅まで連れて行って説教した、という有名な逸話があります。
ルービンシュタイン自身が終生、それを深く感謝していました。
彼は、そこから本当の勉強を始め、その結果、
偉大なピアニスト「ルービンシュタイン」が誕生したのです。
★デュカの弟子であるメシアンも、
デュカなくしてメシアン足りえませんし、
メシアンがいたから、その弟子のブーレーズも
ブーレーズに成り得たのです。
ちょうど、画家アンリ・マティスが、
師ギュスターヴ・モローなくしては
在り得なかったのと同じです。
★この曲は、技術的な難しさはほとんどありません。
静かに瞑想にふける、それでいて、豊かな色彩感があります。
ラヴェル、ドビュッシーの曲と弾き比べてみるのは、
私の密やかな楽しみです。
皆さまにもお薦めいたします。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
08.5.11 中村洋子
★今回のCD録音では、雅楽の「越天楽」を、「龍笛」を使って、
①平調(ひょうじょう)、②盤渉(ばんしき)調、
③黄鐘(おうしき)調という、三つの異なった調子で演奏しました。
その龍笛のメロディーに合わせ、
ピアノの伴奏を付ける、という全く新しい試みをいたしました。
★雅楽のピッチは、ほぼ430ヘルツですが、ピアノの調律は
442ヘルツとなっています。
雅楽の音階は、ピアノの平均律音階とは大きく異なっております。
常識で考えますと、
「龍笛&ピアノ」は、絶対ありえない二重奏です。
★今回、442ヘルツに近い龍笛を、新たに調達いたしました。
それでもピアノの音階のピッチと合わないところも、
当然のことながら、随所に出てきますが、それを
隠すのではなく、わざと、そこで両楽器をぶつけ、
音高のズレを楽しみました。
★私は、ミーントーン調律されたチェンバロと、
能管とのデュオ作品「Wolf In the Sky」を、3年前の
「アリオン・東京の夏音楽祭」で発表しました
今回の龍笛&ピアノ「越天楽」は、その考え方の延長線です。
★西の現代楽器と東の古典楽器の出会いはどうだったのでしょうか。
私は、成功した、と思います。
★一人の作曲家が、越天楽の三つの調に作曲することもあれば、
複数の作曲家が、同じモティーフで、曲を書くこともあります。
このブログ「08.2.18」と「08.2.21」に書きましたように、
ハイドン(1732~1809)の没後100年にあたる1909年、
ラヴェル、ドビュッシー、デュカ(PAUL DUKAS)などの
大作曲家が、ハイドン「HAYDN」のスペリングを、
音に当て嵌めたモティーフをつくり、それに基づいて
新しい曲を書きました。
★そのデュカの作品である
「悲歌的前奏曲 PRELUDE ELEGIAQUE」は、
翌1910年、DURAND社から出版されました。
もちろん、現在でも入手できます。
Lent et Recueilli(ゆっくりと内省的に)と指定された
3ページの美しい曲です。
★ドビュッシーの持っていたピアノ、
ベヒシュタインとブリュートナーには、
ソステヌートペダルは、付いていなかったと思われます。
しかし、当時、既にソステヌートペダルは開発されており、
ドビュッシーが、このペダルを知っていたのは当然です。
★デュカのこの作品は、ソステヌートペダルを想定して
書かれています。
冒頭の1小節目や23小節目のように、このペダルを使いますと、
非常に効果的になるところがあります。
★また、雅楽の唱歌(しょうが)に極めてよく似た
節回しが、二ヶ所も見られます。
ドビュッシーが、インドネシア音楽を、万国博で聴いたように
デュカも、万博などで、日本の雅楽を聴いたかもしれないと
想像力を膨らませてしまいます。
どこかで聴き、心の奥底に残っていたメロディーが、
自ずと出て来た、ということもありえます。
★デュカの作品は、あまり多くありません。
なぜなら、中途半端な作品は、発表せず破棄したからです。
彼は、20世紀のフランス、あるいはヨーロッパ音楽で、
非常に重要な地位を占めている作曲家です。
★パリのカフェで、放蕩三昧していた若き日の名ピアニスト
「アルテュール・ルービンシュタイン」の首根っこを掴かみ、
自宅まで連れて行って説教した、という有名な逸話があります。
ルービンシュタイン自身が終生、それを深く感謝していました。
彼は、そこから本当の勉強を始め、その結果、
偉大なピアニスト「ルービンシュタイン」が誕生したのです。
★デュカの弟子であるメシアンも、
デュカなくしてメシアン足りえませんし、
メシアンがいたから、その弟子のブーレーズも
ブーレーズに成り得たのです。
ちょうど、画家アンリ・マティスが、
師ギュスターヴ・モローなくしては
在り得なかったのと同じです。
★この曲は、技術的な難しさはほとんどありません。
静かに瞑想にふける、それでいて、豊かな色彩感があります。
ラヴェル、ドビュッシーの曲と弾き比べてみるのは、
私の密やかな楽しみです。
皆さまにもお薦めいたします。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲