写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

下調べ

2006年06月24日 | 旅・スポット・行事
 「7月15日には帰ります」と、東京に住む嫁が電話で言う。3歳になった孫を連れて帰ってくる。早くも、もう夏休みの話である。

 帰ってきたときには、年に相応したサービスに努めなければいけない。東京とは違って、このあたりでは幼い子供が喜びそうな遊園地などはない。

 それに引き換え、自然は山も川も海もとあり余るほどある。連れて行くところの目星はつけてある。

 しかし、3歳の子供にとって、毎日が自然との戯れでは限界があろう。やはり、ちょっとした乗り物のあるところも開発しておかなければと思った。

 そういえば、隣の町の山の上に、おあつらえ向きの公園があることを思い出した。小さな観覧車やトロッコ列車、長い滑り台もおいてある。

 天気の良い日曜日、妻とハートリーの3人で下調べに出かけた。山頂に近い公園から、観覧車に向かって細い山道をさらに頂上へと歩く。

 休日のお昼というのに、回ってはいるが誰ひとり乗っていない。1人300円と書いてある。切符売りのおじさんに、ハートリーを見せて「乗せてもいいですか?」と訊いてみる。

 3人がひとつのケージに乗った。小さな観覧車ではあるが、山の頂上にあるため、見晴らしはとてもいい。

 瀬戸内海が手に取るように一望できる。1周が5分足らずで降ろされた。次はトロッコ列車だ。4両編成の車両に、1組の若いカップルの先客が乗っていた。

 1組でもお客が乗ると発車する。駆け込んで、また3人組で乗った。頂上の小山を1周するコースだ。

 山際のアジサイの花を乱暴になぎ倒しながらゆっくりと走る。トンネルあり、鉄橋あり、風よし、眺望もよしの列車の旅であった。

 売店にはソフトクリームも売っている。よし、これで下調べは終わった。電話では、いっぱしの口を利く腕白盛りが、この遊園地でどんな反応を見せることか。

 じじとばば、それにハートリー、来るべきその時のために準備は万端、怠りは・・・ない。

 それにしても、他人から見てわれわれ3人組は果たしてどんなに見えたことやら。さながら徘徊中のじじとばばの幼児がえりか?
   (写真は、山の上の「トロッコ列車」)

「錦川の恵み」

2006年06月23日 | 季節・自然・植物
 6月19日にこのブログに書いている「天然鮎」という、1000字足らずのエッセイを500字にスリム化して新聞に投稿していた。

 半分の文字数に圧縮すると、残るものは骨と筋だけになるのではと思ったが、結構体脂肪が多かったせいか、なんとかまとめることが出来た。

 今朝、姉からの電話で、掲載されていることを知った。文章は、書き始めから制限字数を意識して書いたほうが良いといわれている。

 私の場合は、いつも書き終わった後、制限字数に絞り込むやり方だ。やってみて、これでまずいとも思えない。人それぞれか……。

 時間のある方は、よろしければ両方の文を読み比べてみてください。本日の掲載文は以下の通りです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「錦川の恵み」

 梅雨の中休み、犬を連れて錦帯橋に行った。ズボンを膝までまくりあげ、川の中へ誘う。短い脚が水底に届かなくなったとき、前脚で上手に犬かきを始めた。

 泳ぐには少し早いのか、橋脚の石畳に上がった時、足を震わせている。ブルブルッと身体を回した後は、天日干しで我慢させた。

 3人の釣り人が流れの中に膝上まで入り、竿を操っている。「あっ、Sさんだ」。久しぶりに見る会社の先輩がいた。

 悠々自適とはこのことだろう。近くに住み鮎掛けを楽しんでいると言う。胸までのゴム長靴をはき、いっぱしの漁師姿であった。

 10分くらいの間に、2匹が釣れた。「まだまだ小さいよ」と言う。「好きならあげるよ」「いや、そんなぁ」「ええよ、持って帰えりんさい」「いや、いいですよ」と言いつつも、川に沈めてある生簀の中の鮎を5匹もポリ袋に入れてもらった。

頭の下の淡い黄色の斑点が天然のしるしか。川に入り、9mもの竿を3時間も振り回す。「いい運動になるよ」と笑っていた。

 急ぎ家に帰って塩焼の準備をする。「今夜は、ワインでいきましょう」。ワイン党の妻の機嫌がいい。

 台所からプーンと香ばしく焼けた苔のにおいがし始めた。さあ、今夜は頂き物の錦川の旬の恵みで乾杯だ。
   (2006.06.23 中国新聞「広場」掲載)

にっぽん清流ワンダフル紀行「錦川」

2006年06月22日 | 季節・自然・植物
 今から1ヶ月前のことだった。ハートリーを連れて錦帯橋へ散歩に行ったとき、ある出来事に出くわした。

 上流から大きな犬と男を乗せたカヌーが下ってきた。その後を、5人乗ったゴムボートが追いかけている。

 近寄ってみると、カメラを抱えているテレビクルーのようであった。川原で待機しているスタッフに聞いてみた。

 NHK BS hiビジョン放送でやっている「にっぽん清流ワンダフル紀行」という番組で、錦川のカヌー下りを撮影しているところであった。

 ネットで調べてみると、毎週土曜日の19時半から、日本有数の清流の川下り紀行を放映していることを知った。

 今まですでに、木曽川・四万十川・旭川・仁淀川など、水と景色のきれいな川を放映している。

 次週6月24日には、いよいよ我が岩国の錦川が放映されると番組表に書いてある。忘れることなく必ず見なければいけない。

 理由はただひとつ。ひょっとするとハートリーが手を、いや尻尾を振っているのが写っているかもしれないからだ。

 川下りのカヌーには、背の高いイケ面のある俳優と、大きなゴールデンレトリバーが救命胴着を着けて乗っていた。

 それが錦帯橋の下をくぐり抜けた所の土手にハートリーは立っていた。近づいてくるカヌーに向って尻尾を振ったとき、ゴールデンも尻尾を振って応えてくれた。

 そのシーンを確かにNHKのカメラは川面から捉えてくれたように私は思った。果たして私の思っているような画面が1瞬でも放映されるかどうか、この1週間、私の最大の関心ごととなった。

 皆さん、名橋・錦帯橋と、いつもお世話になっているハートリーの姿をご覧になりたい方は今週の土曜日、19時半にNHK BSを見てください。
(写真は、日本のワンダフルな清流「錦川」)

定年準備

2006年06月21日 | 木工・細工・DIY
 「お早うございます」男1人・女2人の3人連れが、約束時間の10時に笑顔で我が家にやってきた。

 パラソルの下、裏庭のテーブルの周りに座ってもらった。それを待っていた妻が、アイスコーヒーを出してくれる。

 数日前の夜のことだった。ある会ではじめて話を交わした婦人が、知り合いを連れて訪ねたいと電話をしてきた。

 その男は、来年定年を迎えるという。退職後は岡山県の田舎に帰る。その後、何をして過ごすのかを考えているが、木工をやってみたいらしい。

 私が木工を趣味としていることを聞きつけて、作業小屋・機械・道具・作品の見学に来たものであった。

 工房「木馬」主宰、と私は自分の名刺に大きく書いている。早速その名刺を取り出して渡した。

 木工の話となると、話はなかなか止まらない。手元にある作品をお見せした。手元にないものは写真で説明する。

 インターネット・オークションで、120点ばかりを売り上げた実績で驚いてもらった。「ただし、時給に換算すると、30円くらいですよ」に大笑い。

 とにかく、あるものを考え、デザインし、設計をし、材料をみつくろって調達し、工作することが楽しいことをお話した。

 その男も、今何がしかの物を作って遊んでいるが、定年を機会に、本格的にやってみたいと話す。

 あり余る時間を、何をして過ごせばいいのか。定年退職の前、私もしばらく考えていたが、その時に答えは出せなかった。

 実際、退職をしてから、孫の誕生をきっかけに木工の道に入っていった。今ではブログ・エッセイサロンの方へと大分重心が移っている。

 しかし、先日は久しぶりに、ガーデンチェアーを2脚と製本機を作ってみた。エッセイ・木工共にもの作りであることは共通だ。

 エッセイは頭だけ、木工は頭と身体を使っての創作活動だ。退職しても、心身両面を駆使する趣味があれば言うことはない。

 単純作業でもしないよりはいいが、やはり考える・創作する要素を持った趣味が見つけられればベストだ。

 私のやっていることを紹介したが、少しでも参考になればうれしい。「あっ、もうこんな時間!」。木工で作った柱時計が丁度12時を指していた。

 とても短く感じる2時間の交流、次回は「バーベキュウの会ですね」と言って別れた。帰っていく定年族に思わず「Good Luck!」。
  (写真は、工房「木馬」の焼印?、予算の都合でゴム印)

はがき随筆

2006年06月20日 | 生活・ニュース
 毎日新聞の地域版には、各県ごとに「はがき随筆」という250字の読者投稿エッセイ欄がある。

 毎朝私はそれを読むことを楽しみにしていると共に、時には自ら投稿もしてきた。

 今朝の新聞で「第5回毎日はがき随筆大賞の発表・表彰式」という記事が出ていた。05年度の西部本社区域での優秀作品・作者の紹介がされている。

 それとは別に、先日募集のあった「家族」と題するエッセイの優秀作品の表彰もされている。いずれも、うなるようないい作品そろいである。

 上の方から順にそれらを読んでいった。「家族」という作品を読んでいたとき、思わず私の眼から涙が出て止まらなくなった。

 書いてある情景を思い描くと、切なくて切なくてやりきれなくなったのだ。朝食を終えたばかりの妻にそれを見せた。

 梅雨の晴れ間の爽やかな朝なのに、ふたりそろって目を赤くした。たった250字のエッセイに、大の大人ふたりが泣かされるなんて……。

 以下にその作品を転記します。皆さんも読んでみてください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1.「家族・あの日」  久留米市  多田 照男(81)

 15の春、父が逝った。享年48。薄ら寒い日だった。骨を抱え枯れ野道。後は母、2人妹。不安が渦を巻いていた。生活は?学校は……。

 母方の伯父が末の妹5歳を引き取るという。母はなだめすかし言い含めた。伯父が連れに来た。ピンクに花柄のよそ行きが色白の顔によく似合う。

 だが目は涙。「行くか」。促されたその時、突然、母が駆け寄り抱きしめる。「兄さん、この子は私が育てます」。唖然の伯父。

「行くな」。思わず私も叫んでいた。母子4人、肩寄せ泣いた。家族の絆、ひたむきの愛。遠い日の思い出の中に、あの時の母の姿が今も鮮やか。

2.「家族・始まり」   宗像市   赤木 睦男(64)

 宝満山のふもと、天満宮の近くにある新居から高速道路を南下、やっとある乳児院に到着した。

 案内された遊戯室で18ヶ月の彼を探した。振り向きながら笑顔で迎える子らではなく、おもちゃを触りながら、壁際からこちらを気にしているのが彼だった。

 今日まで、訪れるすべての大人に望みを絶たれ、失意に落ちた自らを慰めてきたのかと思うだけで愛おしく、力の限り抱きしめたのが「家族」の始まりだった。

 今は社会人として働くわが子が18歳の春、「家庭が1番ほっとできる。『時』がゆっくり流れる場所だ」と言ったせりふにぼやけて見え、わが頬をぬぐった。