写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

お茶を買う

2006年06月05日 | 生活・ニュース
 昭和30(1955)年代の高校生の頃まで、家でコーヒーを飲むという習慣はなかった。コーヒーそのものがまだ手に入りにくい時代だった。

 勤め始めた姉に連れられて、駅前の小さな喫茶店でコーヒーを飲んだのが、店で飲んだ最初だったように思う。1杯が50円であった。

 経済の発展に伴って、インスタントコーヒーなるものが出回り始めた。円筒形のビンに入ったネスカフェであった。

 家庭で喫茶店のようなコーヒーが飲める。香りといい味といい、私の嗅覚と味覚とでは、喫茶店のものと同じ感じがした。

 就職をしたら、会社の中でもお茶汲み場にはいつもこのネスカフェがおいてあり、やがてクリープと名の付いた粉ミルクを入れて飲むようにもなった。

 さらに世の中が豊かになってくると、家庭でコーヒー豆を挽いて飲むようになり、簡単に喫茶店の香りと味を再現することができた。

 そんな昭和47(1972)年、UCCが缶コーヒーを発売した。「えっ?コーヒーを売るの? 家でも作って飲めるのに」と思った。

 ところがその後知っての通り、大いに売れた。そうしていると、今度はお茶が売り出された。

 お茶こそ、飲もうと思えば家でお湯さえ湧かせばいくらでも飲むことが出来る。そんなものを売って、果たして買う人がいるのだろうかと思った。

 ところがところが、、現在コンビにではありとあらゆるお茶が大きなボトルに入れて売られている。多くの人がそれを買って飲んでいるのだろう。

 それどころか水でさえ、「○○の名水」といって売られるようになった。簡単に家で調達できるものが、商品として売られている。

 作るというささやかな労力を惜しむのか、家で作る味よりも高級なものと認識しているのか、はたまた、持ち歩くことを煩わしく思うせいか。

 そんなことを考えながら、わが家の冷蔵庫を開けてみた。ドアポケットに、2リットルもある大きなペットボトルに入ったお茶が冷やされていた。

 風呂上り、「お~い、お茶」というと、どうりですぐに、冷えておいしいお茶が出てくるはずだ。とすると、わが家では「時間」を買っているのか?
   (写真は、お茶には食指を動かさない「ハートリー」)