写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

横断歩道

2006年06月03日 | 生活・ニュース
 出かける妻を、駅まで送っていくために車で家を出た。ばたばたして出たので発車時刻まで余り時間がなく、急いでいた。

 駅に近い交差点を左折しようとした。若いふたりの女性が道路の向こう側から、こちらに向かって横断歩道を渡ってくる。

 車を止めて女性が渡り切るのを待っていた。しかし、その歩みは、会話をしながらまるで公園内の散歩のようにゆっくりとしている。

 急いでいる気持ちを抑えながらも、少しいらいらしながら通り過ぎるのを待った。急いで渡るのと、ゆっくり渡るのとの時間の差は、わずか数秒かもしれない。

 しかし、その悠長な歩き方は、見ている運転者の苛立ちを増長させる。やはり、このような場では、待ってくれている人の気持ちを汲んだ行動をしてほしいと思う。

 元気そうな人が、ゆっくりと横断歩道を渡ることは、法律で定められた罪ではない。罪でなければ何をしても良いのかというとそうでもない。

 では一体、罪とは何なのか? 難しい法律論は判らないが「他人にたいして、経済的・身体的・精神的・基本的な人権にかかる、ある大きさ以上の負担をかけること」と私は解釈している。

 ある大きさ未満のものでも、罪にはならないからといって、やっていい訳ではない。それを自発的にやらないということが道徳・モラルというものだろう。

 横断歩道という場に似つかわしくないゆっくりとした足取りは、法律違反ではないが、他人に対しての配慮が若干欠けている。精神的に軽微な負担をかけている。

 あまり難しく考える必要はない。「他人に対し、自分が逆な立場に立ったときに、して欲しくないことをしない。して欲しいことをしてあげる」。

 これに尽きるのではと思いながら、やっと駅にたどり着いた。発車までにまだ5分あったが、妻は今までに見たこともないくらいの俊敏さで駅構内に消えていった。

 急ぎすぎて他人にぶつかったりして、軽い罪など犯さなければ良いがと思いながら、見送った。

 皆さんはわが子に対して、道徳を、どう説くのでしょうか。
(写真は、いくら説いても立ちションが直らない「ハートリー」)