病弱な母をひとり残して、横浜に住んでいた。会社からの帰り、東京駅の公衆電話から毎日、決まった時間に電話を入れた。
「もしもし、元気? もう、夕飯食べた?」「じゃ、またね」と極めて短い通話で終わるものであった。
こんなことが半年も続いたころ、母は入院し、電話をかけることはできなくなった。毎日どんな気持ちでベッドに寝ていたのだろう。
それから数ヵ月後、電話も届かない遠くに逝ってしまった。老いた母をひとり置いていたことを、今でも申し訳なく思っている。
色づき始めたアジサイを見る季節、私はいつもこのことを思い出す。
(2006.06.27毎日新聞「はがき随筆」掲載)
「もしもし、元気? もう、夕飯食べた?」「じゃ、またね」と極めて短い通話で終わるものであった。
こんなことが半年も続いたころ、母は入院し、電話をかけることはできなくなった。毎日どんな気持ちでベッドに寝ていたのだろう。
それから数ヵ月後、電話も届かない遠くに逝ってしまった。老いた母をひとり置いていたことを、今でも申し訳なく思っている。
色づき始めたアジサイを見る季節、私はいつもこのことを思い出す。
(2006.06.27毎日新聞「はがき随筆」掲載)