のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

たかが五年されど五年 敬うべきは野の営みか人の生業か(のらやま通信242/1501)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
なにやら異様な光景です。地面には葉が落ち重なり、頭上には弦が絡んだような線が張り巡らされています。前方には雑木のような細い幹が見られます。5年ほど放置されたナシ畑のなかを“探検している”様子です。
わが家のナシ畑に隣接したところで担い手のいなくなったナシ畑50aがあり、そこを借用することになりました。。棚はまだ十分使えそうです。井戸もあります。活用してやらないのはいかにももったいない。
周辺にもまだ放置された畑があって、ナシ棚のないところなら大きな機械が入れます。ついでに周りの農地約70aも回復しましょうということに。ところが、そこは20年も30年も耕作放棄されていたところ。雑木はあるし、篠竹も繁茂しています。自前の機械では歯が立ちません。ハンマーモアを腕の先に取り付けた重機をレンタルしての作業となりました。


何十年も放棄されていた畑を借りなくとももっと条件のいい畑はいくらでもあるだろうにという声もありますが…。
理由の一つは、既存のわが家のナシ畑を守るために、周辺の環境も自ら管理したいということ。いや、しなければならないということ。近接地に廃棄物処理場ができて、その排煙で農業ができなくなった友人がいます。2haもまとまって屋敷畑があったのに、です。 
二つ目の理由は、後継者君(四代目)に開墾のようなことを体験させたかったこと。
わが家のナシ畑の半分は山林を開墾したところ。最初は三代目が高校生のころ、二代目が普通畑作からナシ作りに業態を変えようと奮闘していました。初代もまだ元気で木を伐りせっせと薪にしていました。三代目も休みになれば当然手伝うことになり、そのときに木の伐り方や薪の作り方などの基本を覚えた気がします。その後も10年ぐらいまえにナシ畑を拡張しようと山林を切り開いたことがあります。そのときは三代目が主体でやっていました。初代は新たに家を興し農家になるのに、木を伐り根を堀り出したそうです(当時はパワーシャベルなんてありません)。こう考えると、わが家は代々農地造成の土木事業をしてきています。
もっとカッコいいこというと、いま農地流動化といって中核農家に農地を集積しようという政策が進められています。農家として生き残るためには不可欠な政策のひとつですが、農業への企業参入の開放と連係します。と、ひとつ間違うと農家から農地を取り上げ、企業、大資本、場合によっては海外資本が保有することに。刀狩りならぬ農地狩り。命をつなぐ場の喪失、なんてことにもなりかねません。
70aもまとまった平坦な農地です。実際、不動産屋さんらしいひとがこの農地を見に来ていたそうです。守るか取られるか、競走です。まあ、そんなカッコいいこといったって、どうやって農地を守るの?ってことがついて回るのですが。
手間もお金もかけずにできるだけ少ない資本投下で最大の成果をあげたい。いま考えられることは景観作物か機械化の進んだ穀物生産か。景観作物に補助金でも出してもらえませんかねえ。それとも、いま農地に復元しているところは、ゴルフ場に隣接しているので春と秋に彩りある空間をつくるから、ゴルフ場からいくらか協力金を期待できないでしょうか。最近、元気な農家が大豆やソバなどを刈り取る汎用コンバインを購入して畑で穀物生産に取り組もうとしています。大豆なら豆腐屋さんとか、ソバなら蕎麦屋さんとか、菜種油、ヒマワリ油なら一般消費者の皆さんも買い支えてくれるような風潮や仕組みができると理想的なんですが。

(2015年1月)

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