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柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

良識

2010-05-11 08:08:08 | Weblog
サッカー日本代表が選ばれて賑々しく発表されました。そしてTVも新聞も大報道です。改めて感じますが、サッカーってこんなにメジャーだったんですねぇ。いつの間に?という感じです(単に私に興味がないだけでしょうが、もちろんその根拠はいつまでも同じようなプレイして世界に追い付けないこと、つまり弱いままであることへの皮肉です)。野球の凋落は甚だしいのです、これは明らかなんですが、今の民主党と自民党の関係のように、片方が落ちれば片方が上がるもんでもないと思ってましたので、この大報道には面喰います。そしてどれもこれも最後は23人の戦士達、やってくれ!ベスト4目指して!調の締め。神風よ吹け~!のお祈りです。ベスト4って、本当ですか?予選通れるんですか?オッズはどうなってますの?予選通過が大穴じゃないのですか。何度もここで書いてきたことですが、サッカーが一番懲りずに神風信仰守り続けている業界です。この大報道も野球に負けるなの協会の営業努力の結果なんでしょうけれど、この明白な他のスポーツとの差別の根拠は何なんでしょうかね。マスコミ報道の世論に対する影響力というのは凄いです。改めて感じます。溜息ものです。
 小沢さん、選挙屋の本領発揮ですか。ヤワラちゃん(なんて表現ももうおかしいですね、谷亮子さん)まで担ぎあげます。当の本人のまんざらでもない顔が、口説かれたというより口開けてる所へ餌を放り投げたという顛末を物語りますね。きっとこの人(谷さん)勘違いしている、思い違いしている、もっと言えば思いあがってる。おまけにロンドン五輪も目指すなんて言ってます。いや、目指すのはあなたの自由ですし、河村名古屋市長ではないですが職業政治家じゃいけない、政治を稼業にしてはいけないという論に賛成する者とすればその意気やよしなのですが、それを初めっから言うのはいかがなものですかね。片手間に過ぎませんかという感想になります。小沢さんと一緒の会見の場が放映されますが、取材慣れカメラ慣れした仕草がさてさて。他に岡崎有紀(なんと懐かしい名前。押しも押されぬ大アイドルだった人です。奥さまは18歳!)、桂きん枝(文枝一門、三枝の弟弟子、パンダの一員として一時売れてましたがその後何やらの不祥事で消えていた人ですこの人の名も久しぶりに聞きました)、池谷幸雄、体操のメダリストですね、岡部マリ、大阪では有名なタレントです、自民党は堀内、さらには立ち枯れ党は絶好調中畑。やはり参議院は何でもアリなんですね。いい加減に政治をまじめに考えたらどうかなぁ。良識の府、なんでしたよね。ごった煮の意味じゃないですよね。萎えますね。いかがですか。
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常識

2010-05-10 08:06:32 | Weblog
宮崎の口蹄疫、やっとNHKが採り上げて報道します。遅いというか、先に書きましたが「わざと」なんでしょうね。原因ウイルスが香港型と似ているって、それだけ見るとまたインフルエンザが流行ってきたのかと勘違いするような言い方です。ううむ、どうにも胡散臭いことです、しつこいことですが。ちなみにNHKは「口てい疫」と表記します。新聞はどれも漢字表記なのに。この辺りに頑迷な左翼ぶりを感じるわけです、これもしつこいことですが。
 B型肝炎訴訟、和解に動くんだそうです。最高裁で原告が勝って(つまり国が負けて)損害賠償訴訟について裁判所が和解勧告だして、しぶしぶ国が動き出したというわけです。先にC型肝炎問題で多額の補償がなされ、関連した法律までできて、長崎で原告の一人が衆院議員になったのはご存知の通り、なればB型肝炎も、という流れです。ただこちらは日本中で行われていた予防注射による感染だという理由です。C型肝炎はお産時の大出血に対する止血剤にウイルスが混入していたという理由でした。おそらく世の中のC型肝炎で加療中の人の多くも昔の予防注射でうつったものでしょう、ですからこの理由で補償がなされるとB型肝炎症例に止まらぬことになるわけです、ものすごい人数ですから大変なことになるわけです補償額が。だから国は渋っている、そういう側面もあるはずです。ここでは極々常識的な判断をしてもらいたいですが、止血剤投与による感染と予防注射による感染と等価同価とお感じになりますか。訴える側は、感染の危険はもう分っていたということを根拠にします。医学文献とか学者の発表とかが根拠になります。肝炎が血液感染すること、ウイルスが原因であろうこと、血液製剤が感染源になりうること、注射器の使い回しが感染を蔓延させうることが、感染した当時にすでに学者により知らされていたか否か、です。時系列的には報告が先だったんでしょう、だからこういう訴訟になってるのです。でも、予防注射は確かに強制ではあったにせよ、公衆衛生的な国民の健康維持に必要との判断でなされたことです、当時から(私の年代は全員こういう使い回しで注射受けました。講堂や体育館に並んで腕まくって待ってましたね。医者が3,4人続けて打ってたでしょう?)使い捨ての注射器を使っていればこんなことにはならなかった、というわけです。うむ。理屈はそうです、わかりますが、でも当時はそうではなかった。そこまで金もなかった、一般の医療常識が「使い回し」だったからです。どの町医者でも注射器は熱湯消毒で使い回しでした。そういう当時の常識を、現代の知識で覆すは無理があると、私は思います。止血剤もそうです、当時そういう時はあの薬を使うことになっていたんです、事実この人たちは命助かって母子ともに「元気」でいられるわけですね。ここのところの評価はどうなってるんでしょうか、という思いがします。常識的判断。ここで必要なのはこれではないですか。被害者意識の強さだけで判断してはならぬのではないでしょうか。そう思います。いかがですか。
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上塗

2010-05-09 08:28:56 | Weblog
ワシントンポストに書かれた鳩山さん loopyルーピー考です。産経新聞に記事が載ります。ルーピーなんて単語は少なくとも受験英語には出てこなかったですよね(遥か昔の話ですが)、私の業界にも出てきません、和製英語にもなってません、横文字大好きな知ったかぶりな軽佻浮薄連中の口端にも乗らない単語でしょう、それこそ俗語なんでしょう、慌てて辞書引いたら馬鹿の間抜けのの意味で、何を!?となった顛末。その通りなんだけれどしかし、一国の首相を一流紙上で馬鹿呼ばわりするのはいかがなものか、というわけで、俗語なればニュアンスも相当なものでしょう、それこそネイティブに聞かねばわからぬこと、それなら書いた本人に聞けばいいだろうと、早速に問いただして、輪の中に入っている状態とは正反対の意味で、現実から変に遊離した人という意味だと説明を受けてます。ああそうかい、という、聞いてみればなんてことないことなんですが、当の首相が真に受けて、私は愚かな首相かもしれませんが、なんて例のさせていただく口調で、悪気なく考えなく言っちゃったもんだからさらに周りを口あんぐりさせて。本当に間抜けな(ここまで頓珍漢続くと、この人はほんとに悪意がない、正直な人なんだろうかと逆に同情心が湧いてきますか)人なんですが、ここは措いて。このルーピーって言葉、説明聞いてもなんだかわかったようなわからないような、おかしな奴ということはわかるけど(それで十分ですが)、この記事ではつまりKYというニュアンスなんだと解説してます。空気読めない人。なるほど、これが分かりやすいですか。書いた当人の説明にある「輪の中に入っている」というのは文字通りの loop ですね。本来の意味の逆の使い方するのは、日本語でもありますね例えば字が下手なことをごまかす、皮肉る時に、達筆で、と使います。KYな人に対して、よく空気をお読みになる方で、という使い方。もちろん loopy に記者が込めた意には、解説分だけではなく、俗語としての本来の意味も含まれているのです。馬鹿にされたことには違いのないことです。だから怒ればいいのに抗議もしない。大人の対応として無視するという手だては確かにあるのですが、わざわざに認めちゃった上塗り。本当の意味は?云々じゃなくて、張られたらまず張り返しておく、この反応じゃないんですかね。もう遅いですが。
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民意

2010-05-08 08:21:52 | Weblog
宮崎の口蹄疫(牛の感染症)大変なんでしょう。何万頭もしたという新聞記事です。前にも書きましたが、不思議にTVが報道しませんねぇ。何故?きっと恣意、わざとですから、理由を穿ってしまいますね。宮崎です、あの東知事です、話題性には事欠かない筈ですがTVは口を閉ざします。緘口令が敷かれているんでしょうね。風評被害を恐れてでしょう。これが一番考えやすい理由ですか、私にもわかると言うか。誰が敷いた?東知事が?そんなことができるんでしょうかね。できるんでしょうね。それとも常識的判断と嘯きましょうかマスコミ連中。つまりは情報操作はいとも簡単に行われるというわけです。我々国民は簡単につんぼ桟敷に置き去りにされるのです。私たちの得ている情報はすべてマスコミが選んで流すもの、つまりは宣伝洗脳の類に違いないという真実です。強く認識しなければなりません。情報の取捨選択なんて簡単に言いますが、取捨選択しようにも白ばかり黒ばかりの情報の中では選びようもないわけです。この怖さです。心せねばなりません。
 徳之島の町長さん達、全国的な世論の後押しを受けて、普天間基地機能一部移転案に断固反対を言明しました。ここをこじ開けることはできないでしょうね、外野から見ていてもそう思います。でも、先の民主党の三百代言の言葉ではないですが、こうやってあからさまな反対表明を集めることを意図している、こういう状況であることをアメリカに示しているのだなどという屁理屈が本意ではないにせよ企み事であれば、次はどうする?ではあります。ほんの一部分、例えば倉庫のひとつでも隣町に移動させてそれを成果にすり替える手立てしか残ってないでしょう、おそらくそうやってお茶を濁すしかできないでしょう。もう一つ気になったことは、町長さん達が民意民意と繰り返すことでした。民意が大事なのはわかりますが、決定するのは首長でしょう。民意でひっくり返るなら、それは民主党連中と変わらぬ思想です。私は町を代表するものとして断固反対する。そう言えばいいですね。そう言うべきでしたね。民意民意と言いすぎです。そう思いました。いかがでしたか。
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抑止

2010-05-07 08:15:45 | Weblog
昼の情報番組(つまりワイドショーですが)で、民主党の誰かと自民党の弁護士議員、紳介の番組で橋下とよくからんでいた色黒の品のないオヤジ、名前忘れました、が普天間問題をめぐる鳩山さんの行動についてコメントしてました。民主党の言うには、ああやってどこからも反対されることをアメリカに示しているのだ、どこにも動かせないということを示すために敢えて反対運動の真ん中に乗り込んでいるのだ、その上での交渉だと言いたいのだと。なんとまぁ、この男も弁護士なのでしょうか、三百代言とはよく言ったものです、屁理屈とはこういうことかというくらいの屁理屈です。そして、公約は党の約束ではない、私個人の言葉だなんて言う。マニフェストマニフェストとあれだけ叫んでおいてこれですわ。子供でも呆れるでしょうね、よくもいけしゃぁしゃぁとそれだけ勝手なことを言うもんだ。普天間からきっと動かせないでしょうね、これは大方の人が感じていることと思います。一部を、ほんの一部だけをどこかに移して、これだけはやったと過大評価して終わりなんてのが一番可能性の高い結末に思いますが、あるいはそれすらもできないかもしれません、県内移設には、徳之島も含めて、反対運動が燃え上がってます、これを消すのは大変でしょう。抑止力に気づいたなんて、大丈夫か?発言を繰り返す鳩山さんですが、沖縄から米軍が居なくなったら日本は文字通りの丸腰、それを見越して中国韓国が挑発行為繰り返してます。日本の調査船にぴったり軍艦寄せたり、潜水艦をどんどん太平洋に出して行ったり、韓国は竹島対馬を狙ってますからね。抑止力です。何に対する?そういう質問するレベルなんでしょうこの首相は。だって平和な世の中なんだろう?でしょうねきっと。命を守る友愛政治ですから。命を守るためには何が要るんだ?僕はドンパチは嫌いです、愛で平和は築けます、なんて言ってるうちにバーンと撃たれて終わりですか。あなたのような天然さんに任せたのが間違いでしたと、気が付いておられましょうね民主党を選んだ皆様方!!
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感謝

2010-05-06 08:14:10 | Weblog
今日は私事を。長男長女が相次いで結婚すると言い出しまして、この連休を使って私も人並みに(少なくともそれくらいは)親の仕事をしてきました。なかなかに緊張もします、言葉を選びます、いつものように馬鹿言ってられませんから。手続き事です、きっちりとやらねばなりません、そこへの緊張。そして家と家という実感です。自分の時は全く「人ごと」でしたが、ああつまりこういうことかと、この立場(親)になって初めて重大さに気づきました。そして男側と女側とを同時に経験しましたからそのコントラストもそれなりでした。強がっているのではなく(本当に)、嫁にやるという、よくドラマにあるような父親の淋しさやら悲しみやらには今のところは(ここがポイントですか)無縁でいます、私よりも女房の方が気持ちの揺れが大きいようです。もう一人次女が居て、うちは5人家族なのですが、子供達が小さい時から私の職業柄泊りがけの旅行に縁なく、それどころか休日の行楽も計画してはキャンセルの連続で、今回は珍しく(女房に言わせると初めて)5人で旅行気分を味わったのでしたが、こういうことがなければこういう場面を作れない今までの人生であったなという感慨、世間の普通の父親の役を全うできなかったという子供たちへの後ろめたさ、それでもそれなりに育ってくれた有難さ、そして女房への感謝。うむ、あれこれしんどい思いはありましたが、こういう機会に感じることは多いものでした。そういう歳になり、回ってくる役をきちんとこなしていく。今までも人生の区切りをいくつか経験してきましたが、今年来年が次の大きな場面転換です。世のオヤジ達に声を大にして言いたいです。今からでも決して遅くないですから奥さんに感謝なさい。今あなたがそこにあるのは、少なくとも大きな部分奥さんに負っている。そして今後は間違いなくほとんどを負われます。感謝しましょう!
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強欲

2010-05-05 08:23:20 | Weblog
鳩山さんの沖縄での発言をTVで何度も聞きました。させていただく口調が耳障りですね。鼻につきます。政策決定する最高責任者です仮にも。重みも厚さも、ましてや凄みや威厳など全くなく、ひとりだけカリユシ着こんでどういう了見だ?海兵隊を移動させても抑止力には変化がないと考えていたが間違いだった、沖縄の人達の気持ちを学ばせていただくうちに考えが変わったというのが要旨ですか。あれだけ「専門家」やら「有識者」やらが高説垂れていたのに、自民党は14年間の内に辺野古沖に杭一本打てなかったじゃないか!と子供の喧嘩然と叫び返していたのに、今さら抑止力を持ち出す辺り、本当にどういう了見だ?やっと沖縄にやってきて、そこで初めて沖縄の人の気持ちがわかったってかい?学んだ?ったく。政治家の口というのは考えがまとまるまではそれなりに言葉をつなぐように職業上のテクニックとして訓練されているものです、たとえば沖縄の人の思いを知りました、と言えばいい所、お気持ちを学ばさせていただくそんな思いを致して居るところでございます、なんて言う。30秒で言えることを3分かける矢沢永吉のように。あなたの周りのへっぽこ政治家達も回りくどい常套句繰り返してるでしょう?ああいう風に言いながら次のセリフ考えるんですね。冗句とも言うべき徒な丁寧語尾は実は大した方策のないことを糊塗するものなのか、語彙不足を補う方便なのか(麻生さんとはまた違う、フレーズ不足)、育ちの良さではなくて平民蔑視の選民意識の表れなのか、思い違った啓蒙意識なのか、そのいずれも当たっているものと思っていますが、住民を前にしてまであの口調、あの人ごとのような喋り口です。もっと話しかけるような、説得しようという気持ちが出せないですかね。それこそパフォーマンス、芝居でいいわけですから。世長けた、世事に闌けた参謀がいないんですね。リベラルな労働組合上がりの集団には、要求、糾弾、突き上げの団体交渉には長じていても、その逆の役回りはできぬというわけです。相手を怒らせてばかりの交渉です。これはきっと後世に残るでしょうね、こういうやり方はいけないという見本です。
 イランの大統領が国連での核不拡散再検討会議で演説ぶちました、報道されます。核持っている国が持ってない国に持つなと強制するのはお門違いだ、と言います。これは昔からの理屈です、そしてきっと正しい理屈です。中国もインドもパキスタンもイランも北朝鮮も持ちました。何千年待ってみても民族紛争の種は尽きません、つまりここに平和的共存はありえないということです。そこを前提とするべきではないですかね。世界平和のために、世界戦争を起こさぬためにこれ以上核兵器を増やすななんて、一番多く持っている国が持っていない国を掣肘する。抑止力なんて名目で核兵器をたくさん持っている国々が持っていない国を恫喝する。持たれると困るからです、単純な理由です、ブッシュが北朝鮮に対して急に態度を変えたのが象徴的です。これほど本音と建前の明白に違う偽善は他にないでしょう。国連と同じくらい、子供でも分かる偽善です。フセインやビンラディンを悪人に仕立ててアメリカの利権を守ろうとしたわけです。民主主義こそが世界のスタンダードだ、真っ当な選挙こそが民主主義だとおしつけるわけです。そうでないと自分達が入り込めないからです。タイの騒動もそうです、ミャンマーのスーチー女史問題も同根。資本主義は弱い所に入り込まないと成立しないのです、弱いところを求め続けるしかないのです。安い資源、安い労働力。石油をはじめとした中近東の未開な資源や労働力に目を付けているだけです、この地に民主主義が根付こうが根付くまいが彼らには関係はないのです、決定権者をこちらの傀儡にするだけでいいわけですね、どんな内紛が起ころうと勝手にやってくれです。日本が一番うまく子分にした手本なのでしょう、だから同じようにやるのですが、民族差はどうしようもないことで、日本ほどおとなしい民族は他にいないという結果です。綺麗に言えば経済発展よりも民族の意地を通す。アメリカの思うままにはさせない、パクスアメリカーナなどは大嘘だと抵抗する。日本はその逆を進んできたのです。日本人は広島長崎を忘れたのか?!と批判非難されて私たちは黙り込んでしまうしかないわけです。まんまとアメリカの占領政策に洗脳されてきたのですから。推進してきたのが進歩的文化人達、リベラル左翼たち、福島瑞穂に繋がる人達、民主党の空想論者達です。イランの大統領の発言には耳を傾けねばならぬと思います。その証拠にクリントンおばさんは真っ当に反論できません。核兵器の総数を発表するなんて論点すり替えでごまかします。これ以上増やさぬ、今後もどんどん減らしていくから、あなた方は持つな、なんて屁理屈です。国連自体の偽善、核不拡散条約なるものの偽善、張り子の虎さ。世界中の資源が使い尽されるまで、非文明地域がなくなるまで資本主義は搾取を続けねばなりません。文明国の強欲さは衣の下の鎧でもって象徴されます。マグロのクジラのと言ってるうちが花なのかもしれません。
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劣等

2010-05-04 20:41:07 | Weblog
昨日今日と用事があって関西に出向きました、久しぶりに長く新幹線に乗りました。連休の真ん中だったからでしょうか、のぞみに乗ったのですが混み具合は大したことなかったです。新幹線に一緒に乗る度に若い時の話を子供たち(もう大人ですが)に自慢げにします、昔は食堂車があって、若い時は指定席なんか座らない、自由席券でいきなり7号車8号車のドアから乗りこんで食堂車に座る、コーヒー一杯で新大阪まで粘る、なんどもウエイトレスが水持ってきて早く出ろと催促するけれど出ない、なんて話。ビュッフェは言わば立ち食いだからダメなんだ、座らないと。でもよく考えればコーヒー代出すわけですから、指定席券の値段とそれほど変わるわけでもないのですね。馬鹿をやってたということなんですが、いえ、そんなことではなく、出入り口の上にテロップ流れる掲示板がありますね、ニュースが流れます、その話です、鳩山さんが沖縄県知事と会って、普天間問題、県内移転するから相当の負担をしてくれと言ったそうです。おいおい、結局そうかい。皆が予想した通りになっていきます。徳之島も辺野古も猛烈な反対運動です。どこに持って行くの?沖縄知事は普天間反対集会で挨拶してます、「普天間のまま」とも戻れないところですがしかし、誰もが感じているように、普天間の方々には申し訳ないけれど他所に動かすのはもっと無理です。いかにこの人達が、民主党だけじゃありませんよ、福島瑞穂もそう、国民新党の沖縄選出下地議員もそう、代替案なく反対だけしてきたか、そして二言目には日本の安全保障をどうして沖縄だけの犠牲の上に組み立てるのか、本土も分担せよと訴えます。今この世の中で、今のこの風潮で、住民感情や国民の直接的な意見を政策決定の上位に置こうとするリベラル連中の今までの絶叫の末に、覆すことなどはできません。自業自得もいい所。天に唾した罰です。国益を甘く見た結果です。己の地位を認識できなかった、つまり大将の器でなかったという為体です。ったく。完全に見限られました。これほど自分で落ちて行く人も珍しいですかね。いかがですか。
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傑物

2010-05-03 06:43:47 | Weblog
憲法記念日だけの憲法改正談義です。お定まりの記念行事になってしまいました。そんな前のことじゃないのにえらく昔のように感じますが、安倍さんが手をつけようとして国民投票法というところまで持って行きはしましたが、そこで見事に頓挫。漢字読めない首相に日本文化もくそもないという笑い話でしたが。大体が自民党連中がふぬけでそういうことになっているんですが、左翼政権の今に日本文化の再興なんてお題目が通用するはずもないことなのです。連中の狙いは日本文化の破壊です。天皇様を戴く体制(こう書くから連中を刺激するんでしょう。心根と言いましょう)、家族を大切にする心、社会生活を円滑安全に回すための知恵、長幼の序、などなど彼らが壊そうとしているものは日本二千六百有余年通底してきた民族の共通した資質です。その根拠を与えているのが敗戦後アメリカの若い担当が日本に二度と歯向かえなくするようにという目的だけでちょちょいと書いて体裁を整えたものが現行憲法です。日本を潰してしまえ、という意図の憲法ですよ。戦争放棄なんてのはその目的です。崇高で理想的、なんてのは後付けの美辞麗句、すり替えでしかなく、それなら自分の国にそういう憲法を据えなさいな。自分は世界一の覇権国家、暴力国家であり続けて、自分に歯向かった国は叩きつぶす。いえ、そこは世間体がありますからね、直接に潰しはしません、こういう外見を保ったいやらしいやり方するわけです。占領政策です。war guilt information です。日本が悪かった。この戦争は悪い日本が正義の味方のアメリカ(連合軍)に懲らしめられた結果だ、だから今後は言うことを聞きなさい。国際連合なんて日本人は(左翼たちは)国際救助隊みたいなイメージで呼んでますが、united nations とは連合国そのままです。日本は今でも敵対国扱いなんですよ。それでも言われるがままに援助金を気前よく出し続けて、発言力は全くないまま。象徴的に抽象的に現行憲法に原罪ありと言うつもりもないのですが、もう65年です。安倍さんのような考えを持った、安倍さんと違う強い心と強い体をもった傑物出でよ!願うこと半世紀なのですが・・
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不運

2010-05-02 09:39:00 | Weblog
水俣病の慰霊祭で鳩山さんが謝罪しました。政治決着の後のパフォーマンスです。というか、逆算しての政治決着だったわけですが。保健所に届けられて以来か公認されて以来かは聞き逃しましたが54年だそうです。関口宏は溜息ついて「長すぎるわね」と言います。確かに長いですね。でも結果から単純に判断してはならぬ事柄ではあります。こうなるんなら、結局謝るんならもっと早くに対応しろよ、という論なのですが、54年という長い時間にちゃんと裁判という手続きを経てきているのです。国はその裁定に従って応じてきています。それが被害者(この定義の決め方にこれだけの長い時間がかかったとも言い換えられるのでしょうが)全員の救済に至らなかったからこその政治決着なのです。判決はこうでしたが、政府としてあなた方に補償します、そして(今回は)首相が謝罪します、という手続きです。選挙前のパフォーマンス、でしょう。外野から見れば今更・・の感が強いです。でも当事者の方々にとればやっとのこと、長年の差別、放置に対する恨みはさぞやと思いますし、因果がはっきりと証明されている以上「被害者意識」が高まりこそすれ収まるはずのないこともよく理解します。ではなぜ国は、つまり政府自民党はずっと謝罪してこなかったのか。裁判で判決が出てその通りに補償等対応してきたのであるから、無策なり無慈悲なりの誹りを受けることはないという表向きの理由もありましょうし、対応の整合性、政府として同じ態度をとり続けるという必要もあったでしょう。ですから前例を破るには前政権の縛りから放たれるという場面転換が必要なわけです、思い返せば薬剤エイズ問題をひっくり返したのは、その昔の細川政権か村山政権下の菅厚生大臣でしたね、この人も謝罪してました。櫻井よしこが血液学のドンを追い回していたのは記憶に新しいです。もっとも菅さんは調子に乗ってその後のカイワレ大根事件ではケチ付けましたが。小泉さんも謝ってました、ハンセン病患者に対する隔離差別政策が間違いだったと。B型肝炎訴訟も、法律ができる形で決着しました。自民党が強い時代にはありえないことであったわけです(小泉さんは昔ながらの自民党気質ではないですから)。簡単に言えば、公害をはじめとして、ハンセン病患者の隔離などの公衆衛生的な問題はすべて政府の施策の結果であるからですね。エイズの問題も、血液製剤のチェック不足の問題ですし、B型肝炎問題も手術時、特に分娩時の止血時に用いる止血製剤(血液製剤です)のチェック不足、さらには日本中どこででも行われていたツベルクリン検査やらインフルエンザ、日本脳炎やらの予防接種が原因だ、使い回しだったでしょう?覚えておいででしょう、学校でずらりと並んで次々に注射されていく、何人かが一本の注射器で射たれたでしょう?あれで感染していったという理屈なんです。血液感染する病気であることが明らかになってから、今は日本中どこでも注射器は一人一本使い捨てです(そうでない怖い医院病院もまだあるやには聞いていますが)。昔の病院は、シュンシュン湯気を立てている「消毒器」がどこでもあって看護婦さんが慣れた手つきで長いピンセットで熱消毒された注射器をつまみあげてさらに針をクイクイっと装着する、そんな場面を「痛いだろうな」と腕まくって待ちながら見つめていたご経験のおありの方多いでしょう。あれで十分な消毒とされていたのです。でも実はあれではB型もC型も肝炎ビールスは死ななかったのです。でも当時はそんなこと分からなかった。それ以上の消毒手法が、もちろん学会や研究レベルでは分かっていたにせよ、世の中になかったのです。全国端々の第一線の診療所にはなかったのです。それを現代の知識や文明(医療機器の進歩)でもって遡って断罪するは無理のある話なんです。それを国の施策の誤りと糾弾されても、はいそうですかとはならないわけです。公害はもう一つ別の要素が加わりましょう。古くは足尾銅山に始まり、水俣病、イタイイタイ病、光化学スモッグ等々ですが、背景は国の産業の発展です、いわば国益です。水俣病もチッソ会社が当時の産業発展に必要なものを生み出す過程での副反応とも捉えられます。経済発展に国を向けていたのが自民党であれば、言葉は適当ではないかもしれませんが少々の犠牲は已む無いことという考え方は確かにあったでしょう。裁判して、ちゃんと手続きを踏んで粛々と解決せよという「手続き」は間違いじゃなかったわけですね。原爆被害者問題もそうでしたが、補償を受けられない被害者が高齢化して可哀想だという感情論に押し切られての政治決着です。これはどのケースも同じ道筋です。このタイミングでしか謝れないこともあるのです。鳩山さんが偉いのではなく高潔なのでもなく、こういう時にこの地位にいたというだけのことと思います。被害者の方々には長い苦しみであられたことであり、同じ日本に同じ時代を生きてきて、ただどこに住んでいたか何を食べていたかだけでこれだけの差別を被らねばならぬ理不尽の思いは到底消せぬことでありましょうが、しかしそれだけの差でもあるわけです。そこに住んでおられた不運。そんなことで済ますな!というお叱りは承知の上ですが、人生の運不運とはこういうことなんだろうと強く腑に落ちる思いでいます。当地にもやがて原発が建設されましょう、ドカンとなればそれまでです。運不運とはこういうことなんでしょう。そう思うことです。
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