柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

不及

2010-05-18 08:04:58 | Weblog
皇太子を紹介するのにどこかの国のメディアは、心を病む妻と不登校の娘を持つ人と形容したそうです。おお、不敬なこと。でも、そのまま当たってもいます。次代の天皇様をつかまえて何たる言い草!という反論があって然るべきとも思うのですが、確かにプライベートに亘る事項ですからそういう非難はあるかもしれませんが、嘘事でもないわけです。そこのところ民草もわかっていて、そこまで言わずともとは思いこそすれ、その通りよねでもあるわけです。皇太子さんも悩ましいところでしょうね、なんて今更下々が忖度せずとも長年妃殿下問題で批判に晒されてきて今度は娘が不登校(こう書くと皇室問題ではなくなってしまう感じになって不思議ですが)、どうして?の御心境、思い遣り奉るには余りあることではあります。お気の毒に。こうなんでしょうね、正しい感想は。
 東京奠都の詔の草稿が広島から出てきたという記事です。正式に奠都(遷都)しました、東京を都と定めますとの詔勅は出てないんだそうです。そう言えば少し前に(政権変わって大臣になって勢いよかった時期に)、亀井大臣が天皇陛下に畏れ多くも京都への遷都を勧めたなんてこと放言して失笑買ってましたね、あの時TVが谷垣さんにインタビューして彼が、京都へお戻りになるのは歓迎する、京都の人間はそれを待っている、あの時(奠都の際)天皇様はすぐ帰ってくると出て行かれたのだから、というようなこと言ってました。もちろんそういう不遜なコメントに対して非難した前か後でしたが。こうなんですね、百年経ってもこういう言い方が残るところ面白いですね。天皇さまは東京皇居におられるものです、都は東京です、誰もが認めてます、でも一旦こういう話になるとそれぞれに昔を引っ張り出してあれこれ言う。この面白さ。こういうその土地土地の意地みたいな話に歴史を知る端緒が開かれるんです。もともと平安京以来天皇さまは京都の御所にお住まいであったわけですね。皇居は元は江戸城だったのですから。この類のものには、会津と長州の確執(会津市と萩市です)とか、毛利家は関ヶ原の戦いで豊臣側につき徳川家から今で言う山口県だけに封ぜられたのでしたが、ここの歴代の殿様は毎年の初め、家臣からいつ徳川を討ちましょうかという質問を受け、もうしばらく待てと答えるのが決まりだったという話があります。意地でしょう?こういうことを知るよすがになるのですね、面白いことだと思うのです。これが歴史ですわね。その土地土地に生きる面白さです。
 先日不思議の国のアリス、3Dで見てきました。こういうSFは苦手なのですが、この映画は面白かったです。筋の面白さなんでしょうか、もちろんCGのうまさもあるのですが。でも3D画面にはそれほど感じ入りませんでした。あんなに浮き立たせることないだろうに、と思うことが多かったです。人の目に見える何倍かに誇張されてますから、ワーッと思ううちはいいのでしょうが、やがて、そんなには見えぬだろうが・・とツッコミ入れながら見てしまってました。でもあの眼鏡外すと乱視(私乱視が入ってますからよくわかるんですが)か複視かというくらいにものがダブってしまって暈いそうになるし。特撮なんて括ると怒られるんでしょうが、たしかに昔のゴジラやウルトラマン当時の特撮ではこれほど見入ることはなかったでしょうし、この違いは歴然ですが、でも過ぎたるは及ばざるがごとしと思いましたね。皆様はいかがでしたか。
 
コメント
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