新大阪ー鹿児島の新幹線、公募で名前がさくらに決まったんだそうです。次点がはやぶさだったとも。ああいいですねぇこういう決め方が。新聞にも書いてありましたが「さくら」はブルートレイン華やかかりし頃の花形です、何度も映画の舞台になった列車、東京と長崎とを結んでました。途中で佐世保行きと分かれるんじゃなかったですか(これは曖昧な知識です、間違ってたらごめんなさい)。前にも書きましたがブルートレインで象徴される長距離列車は何とも言えぬ憧れを抱かせます。田舎で安物の写真機下げて待ち見つめていた鉄ちゃんキッズを魅了して已まなかったのです。その名前が復活です。いいですねぇ。満足です。はやぶさでも富士でもよかったんでしょうがそれじゃぁ今までのままですからね、これはいい選択だったと思います。でもやがて長崎新幹線もできるのでしょう、その時どうしましょうか。さくら=長崎というイメージではありますからね。でも私は思います、もう一つ長崎のイメージの名前があります、これにすればいいです、かもめ。ディーゼルでゴーゴー言いながら走っていた真四角の特急でした。長崎ー京都でしたよね。そのときはこの名前でしょうね、なんて思いながら、つばめ、こだま、さくらなんていう戦後の特急歴史を飾ってきた大名跡を偲ぶわけです。鉄っちゃん気質はまだ消え切っていないのです。
脳死移植10年だそうです。読売が特集記事載せてます。社説で「もう海外で臓器はもらえない」と見出し。WHOが移植は自国内で完結せよと勧告出すと決めましたね、それを受けての見出しです。移植ビジネスと公然と語られてます、東南アジアの貧乏人から金持ち日本人達が腎臓を肝臓を買い付ける、ブローカーやフィクサーが当然暗躍する、美味しい金儲け。そして乳児幼児の心臓移植は当然の如く皆アメリカへ行きますね。本当に当然のこととして、そして周りがカンパして金集めるのが当然の善意として強要される。ドロンされるケースも一つや二つじゃないですがね。毎日も読売もこの移植処置を「命のリレー」と書きます。こう書いてしまうから、こう色付けしてこの考え方を強要するから話がややこしくなっていくんだと私は常々思っています。そうではない考え方を端から排除しているからです。機械のパーツを入れ替えるように、他人のものを植え込むことが医療ですかね。治療法の一つではあるのでしょうが、最前列に並べるような代物とは思いません。自らが持て生まれた臓器が言うこときかなくなったらそれはあなたの命のついえる時でしょう。そう認識しています。つまりもう一つ別の「命」の定義です。現実問題として10年に81例しか実施されなかった脳死移植です、日本ではきっとこれ以上は根付きません。それは一体何を意味しているのか。そこにこそ思いを致さねばならぬのではないのでしょうか。周知不足とかそういう問題では決してないと思います。そしてよく言われるような欧米との文化の違いという抽象とも違うように思っています。もっと生々しい拒絶観。いかがですか。
脳死移植10年だそうです。読売が特集記事載せてます。社説で「もう海外で臓器はもらえない」と見出し。WHOが移植は自国内で完結せよと勧告出すと決めましたね、それを受けての見出しです。移植ビジネスと公然と語られてます、東南アジアの貧乏人から金持ち日本人達が腎臓を肝臓を買い付ける、ブローカーやフィクサーが当然暗躍する、美味しい金儲け。そして乳児幼児の心臓移植は当然の如く皆アメリカへ行きますね。本当に当然のこととして、そして周りがカンパして金集めるのが当然の善意として強要される。ドロンされるケースも一つや二つじゃないですがね。毎日も読売もこの移植処置を「命のリレー」と書きます。こう書いてしまうから、こう色付けしてこの考え方を強要するから話がややこしくなっていくんだと私は常々思っています。そうではない考え方を端から排除しているからです。機械のパーツを入れ替えるように、他人のものを植え込むことが医療ですかね。治療法の一つではあるのでしょうが、最前列に並べるような代物とは思いません。自らが持て生まれた臓器が言うこときかなくなったらそれはあなたの命のついえる時でしょう。そう認識しています。つまりもう一つ別の「命」の定義です。現実問題として10年に81例しか実施されなかった脳死移植です、日本ではきっとこれ以上は根付きません。それは一体何を意味しているのか。そこにこそ思いを致さねばならぬのではないのでしょうか。周知不足とかそういう問題では決してないと思います。そしてよく言われるような欧米との文化の違いという抽象とも違うように思っています。もっと生々しい拒絶観。いかがですか。