柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

形骸

2009-02-16 08:12:18 | Weblog
中国新聞にだけ記事になってました、パキスタンの原爆の父(まるで手塚治虫が鉄腕アトムかブラックジャックかに悪の科学者として登場させそうなキャラクターで知られてます、本国でどう評価されているのかは知りません)カーン博士が、原爆作るのに日本の一流メーカーの技術(製品)が必要だった、自国の技術ではとてもできなかったと告白していることです。そして新聞には被爆国の責任は?なんて論が載ります。中国新聞なればこその記事であり論調であるわけですが、さていかがですか。メーカーの技術は売買の道具ですわね、需要があればそこに供給する。なんの不都合もありません、いわゆる契約ですから(もっとも、契約至上主義はいまひとつ日本人気質に馴染みません、それはホリエモンやら誰やらのマネーゲームの際の世間の対応に明らかでしたね)。売ったものを(向こうすれば大金出して買ったものを)どう使われようと知りませんわね。そこまでどういう責任があるというのですかね。製品に瑕疵があれば民法上のなんちゃら責任が発生するのでしょうが、そうでなければ問題ないことです。被爆国の責任ですか。そんなことに加担してはいけないということです。言わんとするところは十分に理解しますが、です。原爆は大量無差別殺人の典型です、戦争に関する国際法に違反する大虐殺です。唯一の被爆国である日本こそが物言わねばならぬという態度はわからぬことではないですが、当のアメリカに何の文句も言わず抗議もせずに、もうやめましょうよと遠くからぼそぼそ言ってるだけの現実をどうしますかね。説得力がまるでないです。いいえ、広島長崎は事あるごとに抗議している、特に中国新聞はこの手のキャンペーンはいつも張ってきた、事実こういうことを一面トップで伝えるはこの新聞だけです、そういう反論はありましょう。が、現実はそうです。ああまたあの人たちが何か言ってる、です。イラク戦争前にビンラディンがビデオで言ってましたね、アメリカだけがどうして正しいんだ?どうしてアメリカに追従するんだ?日本は広島長崎を忘れたのか?って。あれには目を覚まされた思いがしましたね。そういう論議を全く封印してきて、アメリカに反旗翻す「勇気」のある国が原爆作るとああだこうだ文句言ってるだけ。そこに日本の技術が使われているという皮肉に照れているのか、頭抱えているという図ですか。こういう形式的な抗議はもうやめるがいいんじゃないんでしょうか。形骸化してます。原爆記念日にいったい何を言いたいのか。そこですね。鎮魂ですか。死んだ人たちこそが哀れじゃないですかそれだけじゃぁ。戦争していたんですよ、殺すか殺されるかでみんな生きていたんです、今の平和ボケの時代じゃないんです。あんな無茶して、なんですが、日本もあっちの立場にいたかもしれない時代なんです。いったい何を記念しているのか?日本人は被爆の事実をどう理解しているのか。どう理解したらいいのか。まずここからなんです。そう思われませんか?
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