柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

落胆

2009-02-08 08:16:30 | Weblog
麻生さんの発言を巡って再び三度あれこれ叩かれています。普通私たちのレベルでは、喋るのはいい、その場で終わる、でも文書で渡す場合は十分に気をつけろ、後々残るからという原則です。普通の会話の場でいちいち注意を行き渡らせませんね、いざとなったらそんなことは言ってないとしらばっくれればいいんです。言った、聞いてないのレベルです。口約束のレベルです。が、文書の場合はそうはいきません、後から万人の目に晒されますから。どんな理由にせよ、口で言うだけでは物足りなくて手紙にして送りつけた経験がありませんか、ラブレターにせよ抗議文にせよ。そして後から臍をかんだことが。どんな感情も(怒りも憤りも狂おしいほどのせつなさも)時間が経てば薄まっていくものですから、後からお前こう言ったけれどなんて証文突きつけられてあっちゃぁーという経験あるでしょう?私も若かりし頃学会で発表する際に師匠によく言われました、何を喋ってもいいが、抄録(提出して後で本に載る講演内容)は十分に推敲せよ、正しいことしか書くなと。そしてダラダラ喋るなら今すぐにでもできますが3分で要領よくなんて要求されると原稿書かねばなりません、これはよく言われることです、手短に反応しなければならぬ時ほど如何に事前の用意ができているかが問われます。麻生さんを始め政治家たちは喋り言葉だけで生きている人種です、誰よりもプロ意識が必要なんでしょうに、このザマです。首相はまるで飲み屋で仲間に喋っているような感覚なんでしょう、国会の委員会の答弁の場で、日本中に放映されている、国民が皆見ているとわかっているのに、です。いえ、福田さんのような役人答弁は面白くないのです、だからべらんめぇ調でいいんですが、要は内容です。あそこで喋ることは、私たちのとって文書で提出するのと同等です。ずっと録画録音されている、速記係が一言一句記録していく、文書そのものです。記録として残す時にはテオニハを直したり文章としての体裁を整えはするのでしょうが、喋り言葉の気軽さなどは許されぬのです。漢字の読み間違えはおつむの中身が見えるだけで、まぁ呆れて馬鹿にしてで済むんでしょうが(中川大臣も渦中をうずちゅうと読んでましたね、びっくり)、今回の郵政改革の見直しを言った際の、俺は小泉改革には反対だったなんてのはいかがですかね。仮にも閣僚だった人です。今更反対だったなんてのは通りませぬ、虫が良すぎます。それを平気で言いますから。衆院の2/3は郵政改革を国民が支持したからだ、何を寝言言ってる?と北海道の、小泉内閣でイエスマン幹事長やってた親父(武なんとか議員)が怒ってます。官から民へ。民間のできることは民間に。このキャッチフレーズが効きました、言葉悪くいえば皆が騙されました、小泉のあの絶叫に、自民党ぶっ潰す!の雄たけびと相俟って騙されました。小泉さんが個人的に自民党の長老政治、領袖派閥政治からはじかれていた、冷や飯食っていた恨みから出たものだったんでしょうけれど。竹中というアメリカかぶれが側に付いたのも時の運でしたか。でも、事実あれだけ国民を煽ったのです、で今のねじれ国会。その経過ずっと閣僚でい続けた麻生さんがああいう事言うのはいけませんやねぇ。言葉を大事にしろ、今までの過程を踏まえろなんて咎めの、うんと前のレベルでしょうね。面従腹背してましたと堂々と言う人です、今後どう裏切られるかわからないです、ということですね。「おつむのでき」の問題でもないです。人としての気質、器量の問題です。ああ、私は十分に期待していました(今もしていますが)が、だめですか。安倍、福田、麻生と、よくもまぁこれだけ能無しを並べたなという括りになって行きます。安倍さんも麻生さんも期待大だったんですけどねぇ。やはり出るはため息ばかりなり、ですか。出でよ!逸材。
コメント
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