柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

亡国

2008-07-22 08:42:47 | Weblog
今朝のNHKニュースで教員の非正規採用者の特集してました。娘が教員なので興味の惹かれるところでした。昨今の贈収賄汚職の横行と合わせて(だからこのタイミングでの特集なんでしょうが)キャスターがまとめてましたが、教員になろうという熱意までが失われていく、教員志望者自体が減っていくという事態に至っているそうです。非正規教員は、そこここのフリーターと待遇がかわりません、授業一コマいくらで、給料少ないもんですから一日の内でも複数の学校を掛け持つんだそうです。しかも彼らは担任になれない、学校行事に関われない、つまり生徒に濃く接することができない。そういう熱意もそんな毎日過ごしている内に失せていきますわね、仕方のないことです。そして労働規制緩和の悪習が教育現場にも波及しているという現実です。どういう理由で非正規教員が必要なんでしょうか。子供たちにとっては正規だろうが非正規だろうが先生には違いないことですが、非正規者は安給料で使えますわね。そういう目的でしょうか、つまりコスト低減。教育現場にこういう尺度は不適当でしょうにね。すると正規教員になることが権益になります、つまり採用試験に合格すること。ここから始まる、んじゃなくて、これが目的になる。山口県が胸張ってるやり方、氏名も性別も経歴もその他その人を同定できる諸々を全て排除して単純にその日の試験の結果で判断しますってやり方がさも正しいようになっていく。大学の入試じゃないんです、人を選ばねばならぬ試験、選抜手続きでしょうに。人を選べなくなってきているんでしょう、トップの眼力がなくなってきた、つまり資質のない奴らがトップになっているという構造的崩壊。一緒くたにして話を大きくしようというのではないのですが、一般の労働規制に馴染まぬ業種の筆頭は医療福祉と教育現場でしょう。どちらの職種も労働時間(時間外労働)という概念に馴染まぬのです、そういう規制で成り立つ職種ではないのです。そこを無理矢理に一般の9時5時のサラリーマンと同等視しようとする。そして無用のコスト意識。大きくいえば国民の教育と健康に対して金をケチっているわけです。湯水のように使えばいいのではないです、そうではなくて、です。志望者の熱意。これを軽視してはなりませぬ。無茶な対比をするのではありませんが、人を選ぶ手立ては知識の多寡だけではないはずです。試験の点数では推し量れません。その手間を避けているだけです、山口県は。不正のないことを自慢してますが、人を機械のように見立てている愚です。もういい加減に直して貰いたいと思います。小泉改革の過ちを認めるべきです。亡国論です。そう思います。
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