日経に「ママと呼ばないで!」と映画のタイトルのような見出しで特集記事です。理想は友達親子、だそうです。小さい子に名前を呼ばせるんだそうです。おかあさんでなくママでなく名前です。記事には小学4年の娘が自分の母親をちーちゃんと呼ぶんだそうです。なんじゃらほい?なんでもきっかけはこの母親が、長男が生まれた途端に周囲からお母さんと呼ばれることに違和感を持ったからだそうです。自分には千春って言う名前があるのに、と。他の母親は五歳と三歳の子に自分のことをひろみさんと呼ばせているそうです。この母親に言わせると、名前で呼び合うと不思議と同じ目線で会話が交わせるんだそうです、とにかく親の言うことを聞きなさいなどという強引な言い方が出てこない、んだそうです。なんじゃ?この記事は書きます、子供が親を名前で呼ぶことに社会も寛容になってきたようだと。厳格な両親に育てられて不良になった(んでしょう)女が母親になると、自分の子には自分を名前で呼ばせて対等な立場を心がけるようにしている、あんな押しつけはしたくない、んだそうです。学者は無意味な言い換えをするばかりです、九十年代以降は家族の中で夫や妻、子供という役割が薄れ、個人を尊重する傾向が強まったって。結局この記事(記者)は親の価値観の押しつけは子供が混乱するからいけないとまとめて、秩序規範崩壊に誘導したいんです、全くの左翼記事です、びっくりします。何だか薄ら寒いというか、宇宙人を見る思いです。お母さんと周りから呼ばれるのが嫌だってのはどうにもわかりません。どう思おうがあなたの自由でしょうが、子に累が及ぶのをみすみす見ているだけしかないのが何とも歯がゆいことです。こういう一番大事な秩序を体に染み込ませないで、社会秩序を理解できましょうかね。いえ、そんなに大上段に言わなくても、「親の言うこと聞きなさい」を強いない教えないことの重大さがわかってないのでしょうね。自分が気づいていないのですからどうしようもないことですが、やはりこの女たちの親の責任は大きいなと思うわけです。子は親を見て育つしかないのですから。週刊誌には昔のコギャル達が母親になって我が子殺し、虐待が続いていくことが書かれています。いつもこんな記事の前振りには、みんながみんなこんな馬鹿母親ばかりじゃないけれどと書かれますが、ならばこの歴然たる差は何なのだ、こんな奴らを育てた馬鹿親の責任だろう、ひいてはこんな与太記事で煽る左翼マスコミの差し金だろうと思うことです。娘がこんな馬鹿でないことを祈るばかりですが、どうにかなりませんかね。いや、どうにかせねばならぬことでしょう。こんな記事にはちゃんと反論するとか、そうじゃないことを述べるとか。言われればわかるんです。教育を抜本的に変える!なんて顔真っ赤にしてるんじゃなくて、端々でしっかり子供たちに話して教えていくべきなんでしょう。背筋が寒い感じがします。こりゃぁまずいですよ。そうは思われませんか。
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