お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

台風一過・・・・

2005年08月10日 | ボランティア
 S君が来て三日目。今日はもう帰る日です。

 昨夜は娘がS君と寝てくれたので私はぐっすり眠ることができました。今日から仕事の娘にはちょっと申し訳なかったのですが、私との時よりはよく寝たようです。

 今日は近所の公園に連れて行きました。
 アスレチックを見るなり私の手を振り払って駆け出したS君。小さな体(体格的には3歳くらい)なのに、どれも怖がることなく挑戦します。身のこなしの敏捷さはやっぱり4歳児です。

 昼食後、お昼寝させようと誘うのですがやだ、やだと逃げ、やっと眠ったと思ったら今度は起きません。4時過ぎたので無理に起こして「園に帰ろうね」と言ったとたんにわんわん大泣きです。

「まだ、帰らない!」と言い張るのでわけを聞くと、指を一本ずつ指しながら、あれもこれもまだ遊んでない、動物園も行ってないと訴えます。その真剣な顔のかわいいこと!

 なんとか言い聞かせるとピタッと泣き止み、一転して帰るモードに。切り替えの早い子でほっとしました。

 彼がいなくなった我が家。小さな嵐が去った後のようにほっとした空気が流れると同時に、なんとも寂しい、カラーだった空気が白黒に戻ってしまったかのような感じもしています。

 
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続 「豆台風」

2005年08月09日 | ボランティア
 「豆台風 たった一人で 夜も眠れず」

 今朝は5時に起床したS君。時計を指差して、
「おばちゃん!もう朝ごはんの時間だよ、早くご飯ちゅくって!」

 普段なら、5時おきはなんともない私ですが、昨夜は一時間おきに起きてS君の世話をしていたせいかろくに眠れず、朝はふらふら状態でした。夜は8時に床に就いたものの、「うんち」をしたり、途中で起きたり、ごろごろ動いてあちこちぶつかったり・・・おねしょをするかもと言われていたので、それも気になって様子を見ていたら全然眠れませんでした。

 早起きのS君は笛を吹いてみんなを起こして回り、元気いっぱい。朝から夜までパワー全開でした。
 
 遊園地に行ってもおしゃべりと元気さは相変わらず。好きな乗り物を見つけるとこっちにお構いなしにとんでってしまいます。

 帰宅してからも大人相手にくたくたになるまで(大人が!)遊び続けました。4歳の子ってこんなに元気だったかしら?

静かに座っているのは食事の時15分くらいと、好きなアニメを見ているときの30分だけ。あとは動き回っています。子どもが一日2万歩歩くと言うけど、信じますね!

 「疲れを知らないこどものように・・」という歌の通りでした!それだけ、こちらが年を取ったと言うことなんでしょうね・・・

(写真は大好きな車に乗ってご機嫌のS君。前から3台目です。)
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こんにちは!小さな台風Sくん

2005年08月08日 | ボランティア
 今日から二泊三日の予定でS君が我が家に来ました。

 「ふるさと里親」になって最初に我が家に迎えたのが4歳のS君。大人ばかりの静かな我が家が急に賑やかに騒々しくなりました。

 とにかく4歳の男の子のエネルギーのすごいこと。よく動き回り、よくしゃべる上に「これなあに。あれは?」「あれしたい。これもやりたい」と好奇心のかたまり。片時もじっとしていません。とってもかわいいいけれど・・・疲れます。

 「人見知り」という言葉とは全く無縁の彼は、会う人みんなに自分から話しかけます。バスに乗っても、お店でモノを買っても「ありがとう」を皆に言うので感心します。

 少しの間も目が離せない彼が相手では、中年の私たち夫婦だけではお手上げだったかもしれませんが、幸い娘が夏休み中で助かりました。母親代わりで、全てに付き合ってくれています。

 明日は暑いけど、遊園地に連れて行こうかと計画しています。
 (ワタシ、ついていけるかなあ?)
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姉の死  <その3>

2005年08月07日 | その他
 今日は姉の葬儀。読経が終わり、祭壇の花が摘み取られ、棺の中に横たわる姉の周りに、あふれんばかりに飾られた。

 そして火葬場で姉は、白いお骨になった。

 一連の弔いが終わって、私は不思議な思いにとらわれていた。涙がそれほど出ないのである。あんなに生前は姉のことを想い、気にかけていたのに。

 数年前に両親が亡くなったときは、ずっと泣いていた。亡くなった後も、一年以上、両親のことを考えるだけで涙があふれて、声をあげて泣いていた。

 しかし今回は、悲しいのに涙が出ない。その理由は、余り突然に亡くなったためか今も心のどこかで姉の死が信じられないでいるのだ。確かに、ずっと具合は悪かった。しかしそれなりの日常生活を送り、楽しんでいた姉なのだ。通院や入院はしてもこんなに早く亡くなるとは想像だにしていなかった。

 死体を見て、触れて、お骨も拾った。

 でも、私はまだ姉の死を実感していない。ついさっきも「8月15日は、姉の家に行く日だったな」と考えている自分にハッとした。
 何言ってるの?お姉さんはもういないじゃない!

 こんなことを繰り返して、少しずつ姉の死を受け入れるようになり、泣けるようになるのだろうな、と今は思っている。つらい・・・・
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姉の死 <その2>

2005年08月06日 | その他
 昨夜、5年前の教え子のお母さんからメールが届いた。今、広島に向かう新幹線の中にいますと・・・

 その方は、数ヶ月前にお父様を亡くされた。そのお父様が被爆者だったので、明日の慰霊式典に出席するというメールだった。私は、伯父と伯母がやはり広島で被爆したこと、昨日姉が亡くなったことを返信した。

 そして、奇しくも今日、8月6日が姉の通夜の日となった。

 今日の姉は納棺され、棺の上には姉の愛用の品や孫娘たちが描いた在りし日の絵などが賑やかに置かれていた。

 そして、姉は家族によってきれいにお化粧されていた。そのため、少し若返り、眠っているかのように見えた。(エンゼルメイクというそうですね)

 私は義兄に姉にネイルケアをほどこす許可を取った。実は8月15日にネイルケアをする約束が二ヶ月も前からしてあったのに、それができないうちに姉が亡くなったのが心残りだったのだ。

 息子のお嫁さんのSさんは、冷たくなった姉の指先に丁寧にネイルケアをしてくれた。ピンクのマニキュアを塗って、こころなしか手の色も明るくなった。生前の姉だったら、どんなに喜んだことだろう!

 祭壇の姉はたくさんの花に囲まれていた。花が大好きな姉の最後にふさわしいものであった。
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姉の死  <その一>

2005年08月05日 | その他
 昨日の朝、私の大好きな姉が亡くなった。62歳だった。

 朝、七時過ぎの弟からの電話で姉の死を知った。実感が湧かず、涙も出ない。とりあえず急いで身支度し、家をとび出す。

 姉は早起き。昨日も5時前には起きて朝の仕事を終え、居間のソファに座っているのを義兄が見て、声をかけたが返事がないので思わず心臓に手を当てたら、すでに止まっていたという。

 救急車を呼び,蘇生を試みたが病院に搬送後30分で死亡が確定したと言う。いまだに死亡原因は判明していない。

 姉は9年前、大動脈乖離(石原裕次郎と同じ病気)で仕事中突然倒れた。すぐに大手術となった。途中で血液が足りなくなり、急遽知り合いに献血を依頼した。私の血も。一応手術は成功だった。しかし、術後の姉はこんこんと眠り続けるだけで昏睡状態が続いた。私たちは交代で姉の名前を呼び続けた。

 もうだめかと思われた12日目、姉は目を覚ました。しかし、手術のため心臓を30分間も止めたためか、脳梗塞が起きて、姉の脳の半分は死んで真っ黒だった。そして姉は半身麻痺と失語症という重い荷物を背負うことになった。

 それからの姉は闘病とリハビリで病院通いの日々が始まった。入院も度々であった。

 私たちが目を見張ったのは義兄の変わり方であった。それまでの義兄はいわゆる縦のものを横にもしない人で、家事は全くしないどころか、目の前にある灰皿でも姉を呼んで持ってこさせる亭主関白を絵に描いたような人だった。

 それが、姉が倒れたとたん180度の変化を見せたのだ。仕事も辞め、本当に献身的に姉につきっきりで世話をする生活に変わった。姉の世話はもちろん、家事全般を全て一人でこなした。しかも、いつ行っても広い家の中はチリ一つなく、きれいに整頓されているのに感心してしまうほどだった。

 姉は言葉は出てこないが身振りで思いを伝え、まるで女王様のように振舞っていたが、義兄はその全てを受け入れていた。私が姉の様子を電話で問うと、必ず容態と、リハビリの進歩を語ってくれて「がんばってるよう」というのだった。
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第一回「みんなでお昼を」

2005年08月03日 | ほっとすぺーす
 今日は初めての「みんなでお昼を」の日。

 いつものメンバーに新しい人が三人申し込んでくれたけれど、母子一組が具合が悪くて不参加だった。でも、七人で作っておいしくいただきました。

 今日の献立は、さけご飯、ゴーヤーチャンプル、コーンと三つ葉のおひたし、パンプキンスープ、トマト、バナナのフリッター。これで大人400円、子ども200円は安い!まあ、今月は出血大サービスですね。

 でも、みんながおいしいと満足してくれて良かった!

 午後から、Y.Kさんが来てくれた。彼女は私の20年以上前の教え子で、たった一年間担任しただけど不思議とつながっている一人。嬉しいことに、今回近所に引っ越してきたので、これからはちょくちょく会えると思うと嬉しいな。

 追伸 ついに私もネイルケアをしてもらいました!何十年ぶりでしょう、マニキュアなんて・・・不恰好の私の爪だが、それなりに美しくしてもらって、ちょっといい気分です。
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『二十四の瞳』を見てまた涙

2005年08月02日 | 映画・演劇・本
 今夜『二十四の瞳』を見た。私が教師になったきっかけの一つはこの物語の影響だった。

 繰り返し映画を見、原作を読んで、せりふの殆どを覚えてしまったくらいである。他の壺井栄の作品もほとんど読んだが、やはり本作品は特別である。読むたびに涙が抑えられない。

 私が教師になったとき、「教え子を再び戦場に送るな」という日教組のスローガンを知り、まさにこの作品のテーマであると思った。

 しかし、今朝の新聞に憲法改正案(改悪案)が出ていた。思ったより穏やかな表現ではあったが9条を変えて、戦争に若者を派遣できるようにするのに変わりはない。

 大石先生が「私を靖国の母にしないで!」と息子に叫ぶ場面があるが、私も息子を持つ一人の母として同じ気持ちである。

 自分の息子、夫を戦場にやりたい親、妻がいるのだろうか?
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電話が入りました

2005年08月01日 | ほっとすぺーす
 「ほっとすぺーす麻生」に、今日、電話がつきました。

 番号は、987-9196です。
 でも、やっとついたのに4日から16日まで夏休みです。私以外のスタッフが帰省や旅行でいないので休まざるをえません。

 休みの間に電話があってもいいように、留守電などの設定をしなければ・・・
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