お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

私、大丈夫かしら?

2016年03月30日 | その他

 昨日、告別式から帰宅すると、男性の声で電話がありました。

 直前に「古靴を売りませんか?」なんて変な電話があったばかりなので(最近このたぐいのが多い!)、「はい」と、つい無愛想な声で応対すると、私の名をフルネームで確かめてから「パスモがこちらに届いています」と・・・小田急バスの営業所からでした!

 「ええっ?パスモですか?」

 「はい、バスの中に置き忘れてあって、こちら登戸営業所に届きました」

 あらまあ!ビックリポンです。なぜって、全く自覚がなかったんです。慌てて確かめましたが、バッグの中にも、コートの中にも当然ながらパスモは見当たりません!情けないなあ・・・ないとすぐにも困る物なので、取りに行くことにしました。

 なくならないようにとバッグなどに固定して、改札口ではスーッと長く伸びるものを取り付けている事を、先日友人に自慢して「あなたもつけたら?」なんて言ったのが恥ずかしいです。この日は取り付けないでそのままポケットに入れてたのが良くなかったようです。       (でも、「たまプラーザ」行きに乗ったのになんで登戸営業所に?)

 登戸駅から歩いて約15分。多摩川沿いに営業所があり、無事パスモは戻ってきました。私のは自動チャージ方式なので、見つかって本当に感謝なのですが、それにしても忘れ物・なくし物が多い昨今、年を感じます。

 帰途、美容院によってカットして、少し気分転換してきました!

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幼子を残して・・・

2016年03月29日 | その他

 甥の連れ合いRさんが二年三ヶ月の闘病の末亡くなりました。まだ30代半ばで、二人の子は6歳と4歳です。

 昨日の通夜と、今日の告別式に参列してきました。幼い二人が数珠で遊んだり、眠ってしまったりしながらも、最後までがんばっている姿に涙を誘われました。

 驚いたのは、通夜への参列者が予想を上回って多かったことです。五人ずつの焼香の列が延々と、僧侶の読経は終えても、まだ長く続いていました。(用意されていた香典返しがなくなりそうになって係の職員が慌てたほどでした。) 喪主である甥も、Rさんの交友の広さや、多くの方に慕われていたことに驚いていました。

 Rさんは、いつも笑顔で、前向きで、生き生きとした人生を歩いてこられたようです。私には結婚式披露宴で花嫁自ら大きな和太鼓をたたいていた活発な姿が今も忘れられません。

 また、闘病中も在宅で仕事が出来るようにと頑張って、行政書士の資格を取得したというのもすごいなあと思いました。せっかく取った資格を生かすことが叶わなかったのはなんとも残念ですが・・・

  最後に棺が式場を出て行く前に、Rさんの出身校のたくさんのOB達が校歌を歌って送り出しました。しかし、伴奏は大きな音でしたが、歌声は涙に負けてかすれかすれになって・・・いっそう心を打たれました。

 残された甥と幼い息子二人。これからどんなふうに歩いて行くのでしょうか・・・上の子は四月に小学校入学です。が・ん・ば・れ・・・

 

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「リリーのすべて」を見て思いだしたこと

2016年03月25日 | 映画・演劇・本

 先日映画「りりーのすべて」を見て、昔の教え子N君のことを思い出しました。

 Nを初めて見たとき、おかっぱ頭だったのでちょっと変わっているなと思いました。他にも、女の子としか遊ばないとか、しぐさや口調が女っぽいことなどがあり、すぐさまクラスのからかいの種になりました。

 Nが「せんせ~、みんながぼくのことオカマって呼ぶんですよ~」と訴えてきたとき、一応みんなに注意はしたものの、他の男子とあまりにもかけ離れているのは何故だろうと不思議に思っていました。

 Nの家に家庭訪問に行った時は驚きました!彼の部屋はまるで女の子の部屋のようでした。赤やピンクの物ばかり! 母親に話を聞くと、小さい頃はお姉ちゃんの服を着たがって、よくスカートをはいていたそうです。写真も見せてくれました。これはもう生まれつきで、仕方ないなあと思いました。学校ではさすがにズボンでしたけど・・・お姉ちゃんもあきれていました。

 しばらくして事件が起きました。ある女の子の誕生会に呼ばれたNが、その時来ていた女の子の赤いハンドバッグをこっそり盗んだというのです。本人は否定しましたが、親に連絡すると彼の部屋から出てきました。そのときだけでなく、Nが遊びに来ると物がなくなると女の子達の間で噂になっていたようです。

  Nの父親は、彼の性向を苦々しく思っていて、彼と厳しく対立していたようですから、彼は欲しい物は盗むしかなかったのかもしれません。

 その数年後、Nの家は家庭崩壊してしまいました・・・両親の争いに子ども達も巻き込まれて・・・・30年以上も前の話です。

  今、Nはどうしているのでしょうか・・・あの頃と違って現在はLGBTの人たちも生きやすくなってはいるけれど。リリーのように手術したのかなあ、それとも・・・・ 

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講師は来てくれるかな?

2016年03月22日 | ボランティア

 昨日は市民自主学級講座について、市民館のスタッフとの打ち合わせ会でした 。

 全10回の講座の持ち方、講座の内容、そのためのチラシ作成、交付金(15万円)の使い方など考えねばならないことは山積み!しかし、担当者のHさんは全てにわたって適切なアドバイスをしてくれて、さすがでした。

 講座の内容は講師も含めて4月末までに決定しなくてはなりません。(私は4月に関西と東北行きを計画しており、ちょっと心配です。)

 一回目は300人収容の大会議室を8月末に押さえて貰いました。そして、本講座に関心を持って貰うために著名なゲスト講師を呼ぼうとなったのですが、自伝的エッセイ「カワサキ・キッド」を書いた東山紀之さんはつてもないし、講師料も高いだろうし無理だろうということになって、仁藤夢乃さんにお願いしてみようということになりました。でも、この方も最近は有名になってなかなかつかまらないようです。

 他の日に依頼したい講師も打診はこれからだし、講座の内容すら全ては決まってないので、今後忙しくなりそうです。

 そして我々のグループ名ですが、決定打がなく結局この日も決まりませんでした 

 

 夜は、久しぶりに娘夫婦と会食!鷺沼の「とうふ屋うかい」に初めて行きました。とうふ料理屋さんですから、良く行く「梅の花」と似ているものもありましたが、こちらは真ん中に和風庭園や桜の木があって、趣がひと味違っていました。

  前菜に、桜が一枝添えられていたのが嬉しくて、断って持ち帰りました。料理のお味は・・・全体的にはまあまあでした。

                    

 この日の話題は、娘婿のTが四月から出向になるのですが、通勤に約二時間もかかるという事についてでした。どの経路で行っても大して変わりはないようですが・・・

 彼は「まあ、二年ですから通勤時間を勉強時間と思って・・・」と前向きに話してましたが、私なら片道二時間は辛いなあ!

 

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市民自主学級講座とスプリングコンサート

2016年03月17日 | ボランティア

火曜日

 福祉パルで、市民自主学級講座の話し合い。 先日のプレゼンの結果は?・・・企画提案が受理されました!早速、具体的な講座の内容について、5人の知恵を出し合いました・・・・と言えばかっこいいのですが、実は私達のグループ名をどうするかで結構もめました!

「今の名前カワサキ・キッズって、子ども対象みたいで少し変じゃないですか?」

東山紀之の本から取ったんだけど」

「私はヤングサポート麻生がいいな。私達のしたいことをそのまま表現してると思う」

「そうかな、サポートするって言い方は、ちょっとやだな。上から目線で」

といった具合で、次回までの宿題に。

 講座の内容については、各自からこんな話題で、こんな講師をと、たくさん出てきました。さすがメンバーは意識の高い方ばかりです。(私を除いて) 貧困、不登校、ひきこもり、人権、18歳選挙権、道徳の教科化、家庭の教育力、働く者の権利、などなど。

 次回、もう少し話しを煮詰めることになりました。

 

木曜日

 毎年恒例の、「スプリングコンサート」を王禅寺子ども文化センターで。

 今年の曲は、「小さな世界・美しく青きドナウ・さくらさくら・10人のインディアン・365日の紙飛行機」の5曲。子ども達が50人くらいと大人と赤ちゃんが20人くらい集まって賑やかだったな!

 この中で私が一番苦手なのは「10人のインディアン」。途中で調が変わる曲って混乱するんです。年だな~~  

 子ども達は私達の後に出演したチュネ・ポチさんの伴奏で、たくさんの歌を元気に歌っていました(教員時代を思い出します

                  

                                             

 今回は、昨年引退したAさん(86歳)が聞きに来て下さり、嬉しかったです。

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疲れましたが・・・

2016年03月14日 | 社会

 12日土曜日は朝から夜まで、楽しく、充実した日だったのですが、正直ちょっと疲れました。

 先ずは「教会と地域福祉フォーラム21」に参加するため、神泉駅へ。

 初めての会場(聖ヶ丘教会)でしたが、スマホがあるから大丈夫!と甘くみていたのが間違いの元。駅を出て、少し行くと周囲は高層ビル街・・・自分の位置があっという間にわからなくなり、迷いに迷ったあげく、10分で着くはずの所に3倍くらいかかってしまいました!(当然遅刻)

 今回のテーマは「居場所を失う若者たち~教会と地域が出来ること」でした。私の考えていた内容とは少しずれていましたが、それなりに勉強にはなりました。

 

 午後4時頃終わって、神泉駅に戻りましたが、あれだけ迷った甲斐あってか今度はスマホ無しですんなり。ところが、携帯の充電が切れそうで、着信への応答が出来ませんでした。往きに30分も使ってたからですね!

 そのまま渋谷のオーチャードホールヘ、熊川哲也Kバレエカンパニーの「ドン・キホーテ」を見に行きました。

 お目当てはキトリを踊る中村祥子さん。数年前にNHKのバレエの祭典で見てから惹きつけられてしまったバレリーナです。日本人離れした大柄で美しい肢体と、生き生きと踊る姿が素敵な人です。(その頃は海外のバレエ団のプリマだったので、生の舞台を見られるとは思いませんでした。)

 図書館のバレエ雑誌に彼女の練習着の写真が何枚か載っていたのを見つけて、色鉛筆で描きました。それがこれです。

                           

 長い手足でしょ? 都民劇場の案内に彼女の出演プロを見つけたときは本当に嬉しかったです。運良く当たりました。(運といえば、「題名のない音楽会」にもう何通も申し込んでいるのに運悪く一度も当たりません!!)

 お相手は宮尾俊太郎さん。彼も大柄で、スター性に溢れたステキなダンサーです。

 座席は3階席でしたが、見ようによっては舞台全体を見渡せるいい席でした。中村さんはやはり群を抜いて輝いて、素晴らしい踊り手でした。ただ、想像していたよりも少し体が硬い気がしました。白鳥などを踊ると、また違ったのでしょうか・・・

 今回は隣席がご高齢の男性で、芝居が好きで都民劇場には50年以上前から入っているという方。開始前も、休憩時間もとにかくしゃべりっぱなし・・・昔の俳優や演出家のこと、見てきた数々の舞台のこと、話しは尽きません。聞いていてとても面白いのですが情報量が多くてさすがに疲れて、二回目の休憩時間にはトイレに行かせて貰いました。

 この方のお話で印象深かったのは「母さんが 夜なべをして 手袋編んでくれた」の「かあさんの歌」を作った方がおじさんだということ。私は故人だと思っていたら「生きてますよ、元気ですよ。今は岡山にいるよ。窪田聡は本名じゃないんだ」とのこと。ビックリしました。(だって、隣席の方は80歳位の方で、そのおじさんならお幾つ?)

 今度、歌声喫茶のみんなに教えてあげようっと。皆さん好きな曲ですからネ。

 ※ネットで「窪田聡」を調べました。1935年生まれ。シンガーソングライターの草分け。開成から早稲田に進むも一日も通学せず、新宿の歌声喫茶などで音楽活動を行う。現在は、「窪田聡 歌のある風景」として、年に5~6回開催している  (現役の方だったんですね!失礼しました)

 

  

                            

                   

                      

 

 

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あの日から5年

2016年03月11日 | 東日本震災ボランティア関連

 あの日から5年がたちました。

 今日は教会の会堂清掃に行きました。2時間くらいで終えて、お茶の時間です。

 話しは自然と、あの日の出来事に・・・めいめいが、どこにいて、どんな体験をしたか口々に語り始めました。私も聞かれて浅草での体験、長い間歩いてステップハウスに行き、友人共々泊めて貰ったことなどを話しました。

 でも、当然ながら私達の話は、「あのときはちょっと困ったね」程度の話しです。誰も怪我一つしなかったし、ましてや津波とは無縁で、家族や友人を失ったりしなかったし、家屋家財の被害もありませんでした。

 単なる「思い出話」であって、現在の自分の生活とはなんの関わりもないのです。テレビで惨状を見たり、今も続く仮設の暮らしや、一向に元に戻らない町や村の現状を見て「気の毒だなあ」「大変だなあ」という思いを寄せるだけで、決して当事者の皆さんと同じ思いにはなりません。

 そのことが、申し訳なく思います。

 来月、久しぶりに東松島に行きます。

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古文書から広がる世界

2016年03月10日 | 古文書

 「奥の細道」を、なんとか読み終えて、今は「百人一首」と「寺子屋規則」などを読んでいます。

 本当は「東海道中膝栗毛」を読みたかったのですが、どうやら絶版になってるらしく、どこを探しても見つかりません。アマゾンには中古があったのですが、元の何倍もの値段がついてる!のでばからしくて・・・

 江戸文化に興味を持っていたせいか、NHKのドラマ「ちかえもん」を見始めたら、これが超面白くて、木曜日が来るのが待ち遠しくて!・・・図書館に行って「近松門左衛門」関係の本を借りて来て読んでも松尾スズキの顔が浮かんでくるほど!・・・終わってしまい、残念です

 その後、ビデオで「駆け込み女と駆け出し男」というのを見ました。これもなかなか面白くて映画の原案となった「東慶寺花だより」も購入しました。作者が井上ひさしだったんですねえ。

 というわけで、思いがけず江戸文化というか、「候文」の世界にはまり込んでいる毎日です。

                  

 「百人一首」は、筆ペンで書いて学んでいます。

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ヒヤシンス&クリスマスローズ

2016年03月07日 | その他

           

 我が家のヒヤシンスたち。左の部屋の中のは、今年購入した3色のセットですが、右側の鉢の白を見てください!これ、重みで倒れたのではありません。初めから下向きになって、そのまま咲きました。上に向かせようとすると折れそうなので仕方なくそのままに・・・めまいを起こした私みたいな姿。

 右側のベランダのヒヤシンスは、もう何年目かしら?  放っておいても季節が来ると芽を出し花を咲かせてくれる感心な奴です!  去年咲き終わったときは球根が小さくしぼんでたので、さすがにもう終わりだろうと思って、土の上にほったらかし、つまりは捨てたと同じ扱いをしたのに、なんと今年も芽を出し始めたので、大慌てで埋めてやったところ・・・三つとも花芽を(数は勿論少ないです)つけてくれました!奥のは今朝見たらもう咲いていました!  本当に感心なヒヤシンスたちです。

 私もしぼんできたけど、あきらめないで咲かないと・・・

                                      

 これは、三色のヒヤシンスと同時に購入した物です。なんだと思いますか?小さな花も葉っぱも緑色のシックな植物・・・クリスマスローズです。今、満開なんですよ、これでも。実が熟したら、まいてみたいです。

 

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めまいで病院へ

2016年03月05日 | 健康

 3月3日、自宅で突然めまいがして、その場にくずおれるように倒れました!

 近くにいた夫もですが、自分でもビックリ。「何これ?」という気持ちでした。しばらく倒れたままでいると、次第に治まってきました。

 「めまい」ではかなり前に、早朝、回転性のひどいのがベッドで起こり、救急車で病院に行きそのまま3日間入院し、退院後は「めまい外来」で診て貰いましたが、結果は読書など根を詰めないようにと言われただけでした。

 今回のは回転はしなくて、浮動生のものでした。そして今朝、やはりベッドから置きようとしたら強いめまいが起こり、とうとう病院へ行きました。検査と問診の結果、季節の変わり目に起こるタイプの物で、特に心配は無いでしょうと言われて、一安心。もしかしたら、どこかに悪い病気が潜んでいてのめまいではと疑っていましたから・・・

 安静にしていると良くないので、普通の家庭生活をし、ラジオ体操など運動もどんどんするようにと言われました。ハア、運動不足からもめまいが起きるんですね。皆さんも気をつけましょう!

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確定申告で、ショック

2016年03月04日 | 社会

 昨日、確定申告に行ってきました。

 係の方々はとっても親切で何でも気軽に教えてくれるのだけど、書類を揃えるのと、並ぶのが面倒で、ついつい行きそびれてました。

 思ったよりは空いていて、すぐに順番が来ました。係の人に「医療費の領収書が多いので半分だけ計算してきました。それでいいですか?」と聞くと「一応全部計算して下さい」と言うので、30枚以上足して計算しました。領収書の大きさがまちまちで計算しにくく、イライラ!

 その他に源泉徴収書、寄付金の領収書などの記載事項をパソコンに打ち込みました。終わってから係の方が、ポツンと一言。

「あなたの場合は、寄付金申告(約20万円)だけで還付金の上限(源泉徴収税額)に達してますから、医療費(約40万円)は関係なかったですね!」 (ええっ、そうなの?早く言ってよ!)

 毎回、病院や薬局から貰ってくる領収書をちゃんと取っておいたのに、全く意味が無かったなんて・・・ 私にはやっぱりよくわからない確定申告です。

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日記<その四>

2016年03月02日 | その他

 <その三>からひと月近く空いてしまいました!

1959年 3月20日・・・今日は卒業式。用意は5年生がしてくれたので私達は9時半までに学校に行けば良かった。でもぎりぎりだった。 卒業式の時、全員失敗した。ほんとは立たなくていいところで立ってしまった。なんてあわてんぼなんだろう。 胸がじんとして泣きそうになったががまんした。 通信簿があがっていてうれしかった。

 6年間通った最後の感動の日なのに、たいしたこと書いてないですね・・・でも、今思うと、本当に感動的な卒業式でした。

 式場ですが、当時は講堂、体育館のような大きな建物が無かったので、式典はたいてい『ぶち抜き教室』といって、普通教室を三つくらいつなげて(つまり間の壁ははめ込み式でした)やっていたように記憶しています。でも、私達の卒業式は二つの校舎の間にある中庭で、つまり青空の下でやりました。式は、その頃は珍しかったと思うのですが、卒業生、在校生、先生や職員、父母が、オペレッタ形式で気持ちを伝え合うものでした。(今なら「呼びかけ」ですね)

 「うららかに 春の光が 降ってくる   良い日よ 良い日よ 良い日今日は   桜よ 香れ 鳥も歌え  良い日よ 良い日よ ・・・」こんな歌詞で始まります。在校生が「今こそ巣立つ 卒業生 お幸せに お幸せに・・・」と歌うと、私達は「ありがとう 君たち ありがとう」と応えます。こんな形で延々と続くのです。今でもかなりの歌詞とメロディーを覚えていて、懐かしくて入浴中などに時々歌うのですが、友達、先生、親を思い泣けてきます。

 また、式典が終わって退場するとき、両側の校舎の窓から紙吹雪を在校生がパアッとまいてくれて、それが風に乗ってキラキラ美しかったことが脳裏に焼き付いています。

 そして、式後は同じ場所で、お母さん達が作ってくれた御馳走をみんなで食べたことも良い思い出です。

 

 この後、日記は4月21日で終わっています。その間、愛犬チロが死んだこと、4月10に皇太子の結婚式があって、親戚の人がテレビを見に来たこと、相変わらず映画を見に行ったことなどが書いてあります。書かなくなったのは新たな中学校生活が忙しかったからでしょうか。 

 ところが、ところが、この後、1992年に、娘が日記を書いているんです!なんと33年後です。

 1992年8月20日・・・お母さんの日記が余っていたのでこれから終わるまで、これに日記を書きます。終わりまで・・・の筈が、11月10日で終わってました!まあ、似た者親子ということで・・・)

  

左が私。娘の方は時々カットが入ってました。  

 

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