古い机の中を整理していたら、奥の方から古い日記が出てきました! 「横線 1959 中学日記」と扉に書いてあります。表紙が布張りのなかなか立派な日記帳です。(昭和34年版 博文館新社発行 180円)
2頁目には『日記について』という発行者の一文が麗々しく書いてあり、各頁にも懇切丁寧に様々な解説が付けられている「ありがた~い」日記帳です。解説の内容は、気象と生活、生物ごよみ、この日生まれの偉人、国語、数学、英語、歴史、世界の名作など、非常に教育的な内容ですが、私は殆ど読まなかった罰当たりです!(なお、巻末にも32頁にも及ぶ付録が付いていて、日記と言うより半分読み物みたいです)
さて、この日記、書いているのは小学6年生の私でした。元旦から付け始めているのですが、『新年にあたって』という頁で『最後まで続けられるかしら』と自ら書いている不安が的中!・・・4月21日で終わっていました!
でも、久しぶりに読んでみると、ひらがなと誤字が多いへたくそな日記ながら懐かしくて、家族との会話などを読んでいると涙が出てきました。 当時、父50歳、母41歳、姉16歳、私12歳、妹10歳、弟5歳の6人家族でした。今、生きているのは私と妹だけになりました・・・・
今から56年前・・・当時の子ども、いや私はどんな生活をしていたと思いますか?(自分でも興味津々)
私の家は水道工務店をしていました。事務の人たちと工事をする職人さんたちで10人くらいいたでしょうか?いつもわいわいと賑やかな生活でした。 私は静かで、落ち着いた生活にあこがれて、将来はサラリーマンと結婚したい、子どもも4人は多すぎる、一人っ子ならおやつは食べ放題なのに!と心密かに思い、一度で良いから板チョコを一枚、一人で丸ごと食べてみたいという、いじましい夢を抱いてる子どもでした!
日記には、遊んだことが一杯書いてありました。(勉強のことはほぼゼロ)お正月には、妹とバドミントン(はねつきではなく)をしていました。テレビを見たことも書いてあるので、もうテレビがあったんですね~。もちろん白黒。
あと、自由ヶ丘にスケートに行ったこと、映画館に映画を見に行ったことが良く出てきます。この頃から映画が好きだったようです。
また「色つきの写真を撮るために着物を着た」なんていう文も。カラー写真という表現は知らなかったのかな?
1月14日の所には「正田さんにゆい納がかわされた」なんて事も書いてありました。そう、今の天皇皇后陛下の事です!小学生の日記に出てくるくらい国民的関心事だったんですね!
この頃の私はそろばんと習字を習ってまして、2月に三度目の挑戦で2級に合格しています。妹は5級合格。今も、そろばん塾なんてあるんですかね?