★朝日新聞2月26日「論壇時評」より★
高橋源一郎・・・「人質問題」をめぐり、いくつかのことを考えた。一つは湯川遙菜さんについて語られることが少ないということだった。確かに、彼の行動の多くは、理解に苦しむものだった。だが、わたしたちはそうではない、彼は特殊なのだ、といえるだろうか。その人間的な弱さ(と見えるもの)も含めて、実は、彼は「ふつうの人」だったように思える。そのことが私にはとても悲しかった。
私はこの文章を読んで、まさに自分の思いを指摘されているような気がしました。
全然この問題とは関連ないのですが、私は数年前からある方と関わってきました。その方は私とは育った世界も境遇も違い、いわゆる不遇な人生を余儀なくされてきた方なので、私はできる限りの支援をしてきたつもりでした。
しかし、関われば関わるほど、その方の行動に納得出来ない面が次々と現れてきて、理解に苦しむことが多々ありました。まさにその方は「特殊なんだ、普通じゃないんだ」と何度思ったことでしょう!
でも気づきました。その方の困った面ばかり見ればそうなんだけれど、でも、自分も同じような境遇で育っていたら、同じようになっていたかもしれない。その方は弱さを持った「ふつうの人」なんだと・・・
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酒井啓子・・・イスラム国問題について述べて「「命の値段には違いがある。テロリストが外国人を惨たらしい姿で殺害するのは、その命が「高い」とわかっているからだ。・・・イラクではIS侵攻以来、毎日100人弱が亡くなっている。だが、それでは世界は動かない。・・・国籍は違っても目の前の同じ命を救いたいと感じ、日本人として何かしなければと思う。・・・・遠く危険の及ばないところから行う支援は、施しに過ぎない。」
私も東北支援から自宅に戻る帰途、時々考えます。自分は震災以前と変わらない安全な場所にいて、時々出かけていきボランティアしていると自己満足しているだけではないかと・・・ましてやIS問題には困ったものだと眉をひそめているだけ。
でも、自分で出来ることしか出来ないのですよね・・・