お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

今年を振り返って

2004年12月31日 | その他
 毎年平穏に終わる年はありませんが、今年は特に大変な一年だったような気がします。

 来年こそ、世界から争いがなくなり、飢えや病気から解放され、世界の人々がが平和に
暮らせますように。

 11月にこの「お気楽ボランティア日記」を始めて、毎日書き込むことがすっかり定着しました。とても楽しいです。
(頭を悩ますこともありますが、教員時代に毎日学級通信を書いていたので苦ではありません!)
 
 コメント、お待ちしています。

 では、良いお年を。

 雪の夜に
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ええっ! 文字化け!

2004年12月30日 | その他
 ブログを始めてから、曲がりなりにも毎日更新をしてきたのに、今夜開いてみて
びっくり!文字化けしているではありませんか。
 
 どうして?何度やり直しても同じでお手上げ。息子に助けを求めてようやく元に
戻りました。なぜかエンコードという設定が知らない間に変わっていたようです。

 いよいよあと二日で新年。今日は大掃除をしたり、お節を作ったり、花を生けたり
とちょっぴり忙しい日でした。

 大掃除のほうは、息子が手伝ってくれたので、ずいぶん助かりました。
普段は掃除などしないのにやるとなると徹底的にやるのは男の特徴なのでしょうか?

 今夜は気持ちよく入浴できました。
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新しい試み、どうかな?

2004年12月29日 | ボランティア
 今日はK子さんの家を訪問する日。カーテンを開けたらなんと雪。
『まあ、大丈夫でしょ、行っちゃえ』とばかりバイクに乗って走り出したら、とたんに視界不良状態に。片手をワイパーにしながら運転してたけど、吐く息で曇って怖いこと!

 そうまでしてK子さんの所に行きたかったのは、最近見つけた組みひもディスク(写真の白い丸いもの)が、K子さんも出来るのではないかとの思い付きを確かめたくて。

 K子さんは脳性まひのため車椅子だが、右手のわずかな指だけ動く。それを使って何か出来ることはないかと以前からずっと考えていたが、なかなか見つからない。
 
 十日くらい前、図書館で組みひもの本を見つけて早速材料を買ってきて始めてみたら、簡単で面白くあっという間にはまってしまった。毎日やっていたら、一週間くらいでこんなに組めてしまった。(写真はその一部)
 
 ある日ふと思いついた。台を工夫したらK子さんにも出来るのでは!!!
 というわけで昨日もう一つ組みひもディスクを買って来て、今日プレゼントした次第。
さて、どうやったらK子さんが一人で扱えるものが出来るか、チャレンジの始まり、始まり!

 (帰りはさらに降りつのる雪にお手上げで、お母さんに送ってもらう、、)

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これからどうなるのでしょうか?

2004年12月28日 | 社会
 テレビやインターネットでスマトラ沖地震・津波のニュースを目にする度に死者の数が増えていきます。これだけ大きな津波が起きるなんて信じられません。(被害のすさまじさは目を覆うばかりなのに、成田空港で、現地に旅行に行く男性が、楽しみにしてるから計画を変えるなんて出来ないという意味のことを言ってるのをニュースで見て、唖然としました。)
  
 インドネシアには日本人の知人がいるので、早速安否を問うメールを送ったところ直ぐに無事との返信を受け取り、インターネットの有難さを実感しました。
(インドネシアは最近いろんな事件が起きているので安否を問うたのは初めてではありません)

 日本でも、台風、地震、猛暑と今年は異常続きでした。これからどうなるのでしょうか?
 終末の予兆でしょうか?
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「お気楽」の意味

2004年12月27日 | ボランティア
 ブログの題を「お気楽ボランティア日記」とつける時、「お気楽」という言葉に
ちょっとふざけたような気分が感じられて、どうかなと迷いました。
 
 でも、この「お気楽は」は私のように余暇を使って、無理せず、マイペースでボランティアをしている者にはぴったりかなと思っています。
 
 また、中高年で体力的にも精神的にも衰えを感じてくる世代には、文字通り「気持ちを楽に」
して続けることが長続きのこつではないでしょうか?
 
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教師のゆとりは必要ないか

2004年12月26日 | 教育
 先週近所のスーパーで元同僚に一年ぶりにバッタリ会った。
彼女は私とほぼ同年代。二年前に大きな手術を乗り越え、今も現役で頑張っている.
しかし、
「定年まで勤めるんでしょ?」
 すっかり元気そうな姿にそう声をかけると、
「とんでもない、それまで持ちそうにないわ。精神的に辛くて」
との返事。

 学校はここ数年揺さぶられ続けている。これまでの教師が長い体験で培った職人芸のような授業が子どもたちに受け入れられなくなっている。総合学習、英語、パソコンと新しいことも増えてきた。週休二日制で授業時間が減ったが、かえってその分毎日の仕事量は増え、疲れはたまる。
 文科省の方針は短いサイクルで変わり、現場はついていくのに大変だ。
 
 「今は休み時間、ちょっと一息ついてお茶を飲むのも許されないの。子どもと遊べって。」

 休み時間は子どものためであって、教師のためではないと言うことなのだろう。正論かもしれないがそれでは教師はリフレッシュできない。

 三年前アメリカの小学校を訪ねて驚いた。昼食を先生たちだけ別室で和気藹々とゆったり食べていたのだ。日本では先生は給食の配膳から後片付けまで時間に追われて髪振り乱して、時には子どもを怒鳴りながら必死でこなしているというのに!
 アメリカのその小学校では昼食時、ボランティアのお母さんが来て子どもの面倒を見てくれるとか。ものすごく羨ましかった。
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言葉の重さ

2004年12月25日 | 社会
 今朝の朝刊の片隅の「勝手に流学記」の中にマザーテレサの言葉が紹介されていました。

「『愛』の反対は『憎しみ』ではなく『無関心』」
 
 このコラムを書いた人は大学生でインドの「死を待つ人の家」で四ヶ月半ボランテイァをして
この言葉の意味を実感したようです。

 私も自分自身を省みて、深くそう思います。
 私が時々行く駅の通路に、一人の男性浮浪者がいます。大抵は少しの荷物を枕元において元の色が分からなくなったような毛布をかぶって隅っこで寝ています。ピクリとも動きません。顔を見たことはありませんが、体つきから察するにまだ若者のようです。
 そこを通るたびに、彼がいなければ良いと思います。見てしまうと、何も出来ない私の良心の呵責に悩まされるからです。
 「なんで昼間から、そうやって寝ているの?家族はいないの?」
 
 私は声にならない声でつぶやくだけ。いまだに言葉がかけられません。
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電車内読書は楽しい

2004年12月24日 | その他
 今日は会堂清掃のために茅ヶ崎に。
 
 家から会堂まで片道約一時間半くらいかかるので半日仕事になるのですが、電車はたいてい座れるので往復は楽しい読書の時間になります。
 
 リタイアしてからはずっと家にいるのですから時間はたっぷりあって、読書なんていくらでも
出来そうに思うのですが、どういうわけか読むのは夜、布団に入ってからで、昼間本を開くことは
ほとんどありません。
 
 しかし、電車に乗るとどういうわけか読書に夢中になります。座席(出来ればはしっこ)に座って、揺られながらの読書は最高に集中できるのです。
 
 これは今に始まったことでなく、中学生になって電車通学を始めたときからのくせで、たまに本を忘れたりすると、すごく損をした気になります。

 今日持ち込んだ本は「マグダレンの祈り」でした。

 (写真は茅ヶ崎の教会堂です。会堂のまん前では「ハッスル、ハッスル」とかの言葉で有名らしい人の家を建築中です。)
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「ザ・ニュースペーパー」  <その2>

2004年12月23日 | 映画・演劇・本
 「小泉純一郎」の次に面白かったのが皇室問題。

 皇太子の問題発言をめぐって秋篠宮家、天皇家の人々が総出演で議論をたたかわせるのですが、
一人一人の形態模写が実に良く出来ていて、感心しました。
 
 「さーや」の結婚発表が延期になったことなど、つい最近のことまでちゃんと取り入れていました。さすが新ニュースを欠かしませんね。皇室を扱うという勇気だけでも感動です。

 NHKもやり玉に。会長が出てきて、「紅白歌合戦」変じて「黒黒歌合戦」の司会をする趣向にも大いに笑わせられました。

 まあ、笑って済む問題ではないことばかりの今年一年でしたが、一晩くらいこんな風に笑うのもいいかな?

 会場には中高年男性の姿が多く見られたのが、普段は劇場で中年女性ばかり見ている私には新鮮でした。
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抱腹絶倒「ザ・ニュースペーパー」  <その一>

2004年12月22日 | 映画・演劇・本
 今夜「ザ・ニュースペーパー」のパフォーマンスを見てきました。
初めから終わりまで、もう笑いっぱなしで、帰りは喉が痛くなったほど。
とにかく面白い!昨今テレビなどで流行の若手お笑いなんか比べものになりません。
 
 「ザ・ニュースペーパー」を見たのは三回目ですが、前の二回は集会のゲスト出演だったので、
今夜のように二時間たっぷりと楽しんだのは初めてです。

 政治問題から、皇室、芸能、社会といろいろな分野での今年のニュースを辛口の切り口で料理するのがほんとにうまい!
 
 特に「小泉純一郎」は絶品です。はじめて見た時は本物が来たと思ったくらい姿かたちもしゃべりもそっくり。彼の無責任さをあぶりだすその独白は、何度見ても面白いです。


 
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溝の口駅で

2004年12月21日 | ボランティア
 土曜日の朝、溝の口駅でバケツなど清掃道具をもった一団とすれ違いました。
写真では一部しか写っていませんが、20人くらいはいました。その中の一人が
その会の名称を書いた旗のようなものを持っていて、よく覚えていないのですが
田園都市線沿線をきれいにする会?とか書いてあったような気がします。
 頭が下がります。

 教師をしていた頃、一年生の一人が内緒だよと言って、
「ぼくね、お母さんとまいしゅう駅に行って草取りしてるんだ」
と秘密を教えてくれたことがありました。驚くと同時にその親子にとても感心したことを覚えています。




 
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シシュババンで  マザーテレサ<5>

2004年12月20日 | ボランティア
 おやつのじかんになった。おやつは丸いビスケット。子どもたちはわあっと集まってきて、一枚ずつもらっては食べている。
 そんな中、一人の幼児に私の目はくぎ付けになった。その子には指がなかったのだ。いや、全くないわけではない、あることはあるがそれは指ではなく豆粒だった。手のひらに五つの豆粒がついていた。両手とも、、、よく見ると足の指も同様だった。
 
 その子は私の傍に来て、他の子のようにビスケットをねだった。私はこの手でつかめるのかと危惧しながらもわたすと、その子は豆粒のような指のつけねに上手にはさみ、おいしそうに食べ始めた。にこにこと笑みを浮かべながら。僅かの隙にはさんでいるので何回となく落としてしまうが、直ぐまた拾っては食べているのを見て、たくましいなあと、ちょっと安心した。

 やがて食べ終わると、私に体を摺り寄せ甘えてきた。そのとき私が抱っこしていた子を押しのけて、自分の場所を作ろうとやっきになってひざに上ってきた。その小さな手で。
 かわいくて、いつまでも抱いていたかった。

 シシュババンの子どもたちには障害を持つ子が多かった。一緒に来たボランティアの女性は別室で働いていたが、戻ると私にささやいた。
「あの部屋は、重度の子がいっぱいだった。」と。

 障害があると捨てられてしまう子どもたち。幸多かれと祈るしかなかった。
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見ましたか? 昨日のNHKスペシャル

2004年12月19日 | 社会
 「イラク・最前線で何が起きていたか」
 昨日のNHKスペシャルのタイトルにひかれて見て、驚き、また考えさせられました。
 
 アメリカの「州兵」と呼ばれる、訓練と災害時の援助をしていただけの人たちが、つまり軍隊に入っていたわけでなく、民間で働いていたり、学生だったりした普通の人たちがイラクに派遣されて苦しむ様子に驚きました。
 
 彼らは月一回の訓練に出るだけで手当てが月に三万円もらえるのが魅力で「州兵」になったのに、突然イラク行きを命じられ、とまどっていました。断れば軍法会議にかけられるそうです。

 特に、牧師でありながら派遣させられた男性は「自分は何をしにイラクに来たのか」と人一倍苦しんでいました。
 このような姿は今までのイラク報道では知りえませんでした。
 
 どこで、どんな爆撃があって、何人死んだ、、、
私たちは、いえ私はこういう数字を聞いても「またか」と思うだけでした。しかし、
昨日の報道には数字ではない人間の心が映し出されていました。

 イラク人であれ、アメリカ兵であれ、戦争のただなかにあって苦しまない人はいないのだと思います。なのに、誰が何のために戦争を遂行したがるのでしょう。
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中国のお父さんの楽しみは?

2004年12月18日 | その他
 今日も「ともしびの会」に。 お相手はRさん。
テキストを読んだあと、また日中の文化の違いが話題になりました。

 日本では趣味と言うと、スポーツクラブなどに出かけるのがごく普通ですが、中国では
近所の人たちと卓球、ダンス、太極拳などを近所の広場で楽しむのだそうです。
 
 北京に住むRさんのお父さんが毎日のように楽しむのは、なんと凧揚げ!いろいろな凧をあげるそうです。ちょっと、日本では考えられない趣味ですよね。凧をあげる場所もないし、、、
 
 でもそういえば、数年前に天安門広場へ行ったとき、夜だと言うのに凧、主に連凧がいくつも揚がっていたのを思い出しました。夜でも子どもがたくさん来てるなあと思ってたら、揚げてるのはほとんどが大人の男性でしたっけ。

 中国ではまだまだ近所付き合いを楽しんでいると知って、なんだか羨ましかったです。

(写真は県立高校生相手に、ことわざカルタ、俳句カルタを楽しむRさんの子、Zちゃん。
 難しい漢字のでも全部取れます!おそるべし、四歳)
                       
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シシュババンで  マザーテレサ<4>

2004年12月17日 | ボランティア
 マザーテレサの施設では、二手に分かれてボランティアをすることになった。
男性三人と女性一人が「死を待つ人の家」に、残りの女性三人が「シシュババン(子どもの家)」に。私は「子どもの家」に行った。

 行ったのはいいけれど、誰も何も指示してくれないので何をすればいいのか分からず、しばらくうろうろしてしまった。私の入った部屋は、幼児でいっぱいだった。欧米系の若い女性たちがあっちの子、こっちの子とだっこしてあやしていた。

 そのうち食事が始まったのでその介助と、その後の排泄の世話をシスターや他のボランティアの真似をして行う。戸棚には幼児の服が山と積まれていたので、汚れたらすぐ着替えさせる。子どもが多いので、結構忙しい。言葉は通じないけれど、日本語で適当に話しかけた。
 
 慣れてきて外を覗いてびっくり。建物の側溝の上に少し大きな子どもたちが並んで座って用を足していたのだ。側溝には水が流れるから、まあ水洗トイレともいえる。
 
 しばらくして、おやつの時間になった。そこで私は今も忘れえぬ一人の子どもに出会った。
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