日記の続きです
3月3日・・・本店から、ひな祭りの日においでと電話が来た。私と姉と妹と三人で行った。孝子さんが「たかちゃん(弟)もつれてくればにぎやかになったのに」と言った。 お白酒はあまりおいしくなかった。お赤飯とハムが美味しかった。うちからもケーキを持っていった。みんなでトランプをした。
(「本店」というのは父の兄の店のことで、この伯父が父を山口から呼び寄せたので、私達一家は上京して東京に住むことになりました。伯父の家には子ども、つまり従兄弟がたくさんいたのですが、女の子はこの孝子さん一人で、お茶の水を出て、東大卒の大蔵省官僚と結婚しました。そのため水道屋の従兄弟達は「話が合わないヨ」と言ってこの夫婦を敬遠していました。でも私達はやさしい孝子さんが大好きでした。)
3月5日・・・今日、学校から帰ると妹がいなかった。母に聞くと映画に行ったというので私もおかしを持って行った。 上映したのは「風花」「むすめの中のむすめ」「とりもの道中」です。私はこの中で「とりもの道中」が一番おもしろかった。とくに中村かつおが自分の妹にどげざしているところが楽しかった。
(とっても気軽に子どもだけで映画館に行っていて、へんな家庭だなあと思われた方もあると思いますが、理由は二つあります。映画館が我が家から徒歩2分と近かったこと。それから、これが最大の理由ですが、店の前に映画のポスターを貼る場所を貸していたので、映画のチケットを毎回無料で貰っていたのです。ヒマさえあれば行ってましたね。
この頃の映画はいつも三本立て。時代物や現代物を組み合わせていたのでどれか一本は面白いのに当たりました。私は時代物が好きで、中村錦之介のファンでした。中村かつおはその弟です。
この映画館の他に、徒歩1分の所に洋画専門のモンブランという名の映画館がありました。最初に上映したのは「赤い山」ではなかったかしら・・・ここはあまり子ども向けでは無かったので、滅多に行きませんでした。)
3月6日・・・きのうくつ下取りに行くのをわすれたので、今日取りに行った。母から50円もらった。私はせいぜい10円か15円くらいだと思っていたら48円とられた。おどろいた。20円しかもっていかなかったらはじをかくところだった。母に言ったら、母も驚いていた。もうたのむのよそうっと。
(最初自分でも意味がわからない日記で・・・よく考えると、この頃多分、靴下かストッキングの伝線修理で素人の手に負えない物は、掛け接ぎやさんに頼んでいたのだと思います。でも、私はまだストッキングなんてはく年ではないので、自分のだとしたら靴下ですよね?でも、靴下の穴なら母が直してくれたはずなんですが・・・金銭感覚は今の10分の1位かしら。ケチですね)
(アップしてから読み返して気づきました。この靴下はもしかしたら中学校用の黒いストッキングを注文していたのを取りに行ったのかもしれません。四月から私立中学校に通うことになっていたので・・・)
3月13日・・・もう大相撲が始まってるのにウチのテレビはこわれて写らない。となりの悦ちゃんが「きのうの〇〇見た?」とか「〇〇山、負けたね」とか言う。でもあたしは見なかったというのはくやしいから「そうね」とことばを合わせて答えた。テレビやさん、早くこないかなあ。
(この頃のテレビは大相撲とプロレスが大人気で、子どもも大人も夢中でした。我が家も例外ではありません。幕内力士もプロレスラーもその殆どを知っていました。・・・今は、全くといって良いくらい見ません。関心もありません。まあ、今回は琴奨菊フィーバーでちらっと見たくらいです。テレビの前に陣取って家族全員で大騒ぎしていたのは今は昔です!)