お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

姉の死  <その一>

2005年08月05日 | その他
 昨日の朝、私の大好きな姉が亡くなった。62歳だった。

 朝、七時過ぎの弟からの電話で姉の死を知った。実感が湧かず、涙も出ない。とりあえず急いで身支度し、家をとび出す。

 姉は早起き。昨日も5時前には起きて朝の仕事を終え、居間のソファに座っているのを義兄が見て、声をかけたが返事がないので思わず心臓に手を当てたら、すでに止まっていたという。

 救急車を呼び,蘇生を試みたが病院に搬送後30分で死亡が確定したと言う。いまだに死亡原因は判明していない。

 姉は9年前、大動脈乖離(石原裕次郎と同じ病気)で仕事中突然倒れた。すぐに大手術となった。途中で血液が足りなくなり、急遽知り合いに献血を依頼した。私の血も。一応手術は成功だった。しかし、術後の姉はこんこんと眠り続けるだけで昏睡状態が続いた。私たちは交代で姉の名前を呼び続けた。

 もうだめかと思われた12日目、姉は目を覚ました。しかし、手術のため心臓を30分間も止めたためか、脳梗塞が起きて、姉の脳の半分は死んで真っ黒だった。そして姉は半身麻痺と失語症という重い荷物を背負うことになった。

 それからの姉は闘病とリハビリで病院通いの日々が始まった。入院も度々であった。

 私たちが目を見張ったのは義兄の変わり方であった。それまでの義兄はいわゆる縦のものを横にもしない人で、家事は全くしないどころか、目の前にある灰皿でも姉を呼んで持ってこさせる亭主関白を絵に描いたような人だった。

 それが、姉が倒れたとたん180度の変化を見せたのだ。仕事も辞め、本当に献身的に姉につきっきりで世話をする生活に変わった。姉の世話はもちろん、家事全般を全て一人でこなした。しかも、いつ行っても広い家の中はチリ一つなく、きれいに整頓されているのに感心してしまうほどだった。

 姉は言葉は出てこないが身振りで思いを伝え、まるで女王様のように振舞っていたが、義兄はその全てを受け入れていた。私が姉の様子を電話で問うと、必ず容態と、リハビリの進歩を語ってくれて「がんばってるよう」というのだった。
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