図書館で偶然見つけた、西岡昌紀著「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」は衝撃的な本でした。
1995年のマルコポーロ事件の時は、変な人が特別な意図を持って「ガス室はなかった」なんて適当なことを書いてる位の認識でしたから、月刊誌マルコポーロが廃刊に追い込まれたと知っても「へえ、やっぱり」程度の気持ちでした。記事を書いた人の名前さえ知りませんでした。
しかしあれから10年。そうとは知らずに本書を読み終わった今の私は、ガス室はなかったかもしれないと思うようになりました。
私もアウシュビッツに行き、確かにこの目でガス室なるものは見てきました。そう説明もされたし、その前から「常識」としてガス室でユダヤ人が大量に虐殺されたことは知っていました。毒ガスを発生させたチクロンBの空き缶も見ました。
ただ、今思えば、あのときこんなことを考えました。
『ガス室って思ったより狭いし、チクロンBを投入したという穴も簡単なつくりだな。こんな所で毎日何千人も殺せたのかな。』と。
しかし、小さな疑問を抱いても、ガス室で苦しんで死んでいったたくさんの人がいたのは紛れもない事実として今まで少しも疑ったことなどありませんでした。だって、これまでに出たたくさんの書物、それに写真、映画、どれをとってもユダヤ人絶滅計画を推進するためにガス室が使われたことを主張しています。周囲にそれが真実かどうかなどと疑問を挟む人も誰一人いませんでしたし・・・。
何年か前に「ショアー」という収容所の生存者達の記録映画を見ました。ものすごく長い映画で見るのが疲れるほどでした。そこに出てくる複数の証人たちもガス室のことを証言していました。生き証人が戦後何年も経ってから証言しているのを誰が疑うでしょうか。
でもこの本を読み終えた今、ユダヤ人絶滅計画も、ガス室の存在も私は疑わしいと思うようになりました。現在、この本の評価はどうなっているのでしょうか?
1995年のマルコポーロ事件の時は、変な人が特別な意図を持って「ガス室はなかった」なんて適当なことを書いてる位の認識でしたから、月刊誌マルコポーロが廃刊に追い込まれたと知っても「へえ、やっぱり」程度の気持ちでした。記事を書いた人の名前さえ知りませんでした。
しかしあれから10年。そうとは知らずに本書を読み終わった今の私は、ガス室はなかったかもしれないと思うようになりました。
私もアウシュビッツに行き、確かにこの目でガス室なるものは見てきました。そう説明もされたし、その前から「常識」としてガス室でユダヤ人が大量に虐殺されたことは知っていました。毒ガスを発生させたチクロンBの空き缶も見ました。
ただ、今思えば、あのときこんなことを考えました。
『ガス室って思ったより狭いし、チクロンBを投入したという穴も簡単なつくりだな。こんな所で毎日何千人も殺せたのかな。』と。
しかし、小さな疑問を抱いても、ガス室で苦しんで死んでいったたくさんの人がいたのは紛れもない事実として今まで少しも疑ったことなどありませんでした。だって、これまでに出たたくさんの書物、それに写真、映画、どれをとってもユダヤ人絶滅計画を推進するためにガス室が使われたことを主張しています。周囲にそれが真実かどうかなどと疑問を挟む人も誰一人いませんでしたし・・・。
何年か前に「ショアー」という収容所の生存者達の記録映画を見ました。ものすごく長い映画で見るのが疲れるほどでした。そこに出てくる複数の証人たちもガス室のことを証言していました。生き証人が戦後何年も経ってから証言しているのを誰が疑うでしょうか。
でもこの本を読み終えた今、ユダヤ人絶滅計画も、ガス室の存在も私は疑わしいと思うようになりました。現在、この本の評価はどうなっているのでしょうか?