お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

歯医者の憂鬱

2010年03月31日 | その他
 子どもの頃から歯が弱くて、磨いているのにすぐ虫歯になった私。

 当然、歯医者に行くのは大嫌い。でも、行かなくては治らない・・・どうにも我慢できなくなっていくから、お金も時間もかかる。この繰り返し。

 とうとう奥歯がなくなってインプラントを入れたのは何年前だったかしら・・・10年以上は優にたっている。

 まだ、インプラントの出始めだったせいかどうか、私にとっては口腔環境としては決していい物ではなかった。

 とうとう、外すことになった。麻酔だけで10万かかるというので二の足踏んでたら、そのうち別の歯もダメになり、そこに新たなインプラントを入れることに・・・見積もりを見たら、ものすごい金額!一本当たり40万もする~~・・・

 こういうのって、保険が効かないから高いとは思うけど・・・やたらとインプラントがはやるわけですよね。最近の歯医者ってみんなインプラントを扱っているみたいだもの。

 ほっとのスタッフはやはりインプラントで200万かかるとか。ご主人も同じ金額。二人合わせると・・恐ろしい!あ~あ、憂鬱!

 若い皆さん、虫歯や歯周病にならないようにして下さいね。
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聖地旅行⑩・・・イエスの墓

2010年03月30日 | その他

 もうすぐイースターです。

 日本ではクリスマスもイースターも、本当の意味はあまり知られていませんが、私達クリスチャンにとってはイースターがなかったら、つまりイエスの復活がなかったら、信じていることが根底からひっくりかえってしまうほどの出来事です。

 イエスが十字架にかかって亡くなったゴルゴタの丘には、聖墳墓教会がありました。イメージしていた丘はなくて、やっぱり荘厳な教会があるのです。

 その前に、イエスが十字架を担いで通られた道、ヴィア・ドロローサを通りました。ヴィア・ドロローサは死刑判決を受けた所からゴルゴタまで14留あります。

 ここは多分1留、出発点だったと思いますが、足下の石畳は当時の物だというので私の足と一緒に撮りました。

            

 右上の写真の上方に丸い物があってそれにⅧと刻まれているのがわかりますか?ここが8留ということです。

             

  ヴィア・ドロローサのほとんどは商店街みたいな所でがっくり来ますが、ところどころに左上のように十字架を担ぐイエス像が飾られていて、往時を偲べます。

 右上の写真は聖墳墓教会の中で、押すな押すなの人だかりの中心にこそ、イエスの墓があるらしいのですが私は近寄りませんでした。

               

 左上の絵の前でも人だかりがしていたので覗くと、大勢の信者が長い板のような物をなでたり、額をこすりつけたりしていました。ここは、イエスが息を引き取った後で油を塗られた場所だそうです。

 この後、「園の墓」に行きました。

 こここそ私のイメージにあったイエスの墓でした。どちらが本当の墓の場所かは分かりませんし、それはどうでもいいのです。私達一行はよみがえられた墓の近くでみんなで賛美しました。

                           

 左側で背を向けて説明中の人は現地ガイドさんで、右から二人目の横顔を向けている男性が添乗員さん。どちらもヘブライ大学出身でイスラエルを知り尽くした方達です。

                                 

 左上の写真の左隅がお墓です。石のふたが置いてありましたが、右の写真のような扉がついていて、「HE IS NOT HERE FOR HE IS RISE」と書いてあるのが面白かったです。

                    

   これは墓の内部の見取り図です。思ったより広かったです。

 ここの売り場に『からし種』入りの聖句栞を売っていると添乗員さんから聞いて、みんなが争うように買ったので無くなってしまいました!私?・・・買いましたよ、10枚も・・・

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聖地旅行⑨・・・パレスチナ自治区へ

2010年03月29日 | その他

 シナイ山に行くとき、国境を越えてエジプトに入りました。

 でも、イスラエルの中でもイエスの生まれたベツレヘムに入るのに、やっぱりパスポートが必要なんて知りませんでした。

 そう、ベツレヘムはパレスチナ自治区なんです。つまり、アラブ人の町です。私達はイスラエルでずっと乗っていたバスをいったん降りて、アラブ側のバスに乗り換えないといけないのでした。

 下の写真はイスラエル側から撮った検問所です。

              

 パレスチナ側にはいると、お店の看板があの独特なミミズのような文字に変わり、景色が一変しました。一見した感じでは、男性が多く女性は余り見かけません。町の様子も少し寂れているように思えました。

 さて、いよいよ聖誕教会です。イエスが生まれた場所といえば・・・小さな馬小屋のようなところ・・・ですよね。

 でも、やっぱりここも大きな、でんとした教会でした。中は薄暗く、たくさんの人で混み合っていました。(この時期は「いい季節」なのかどこも混み合っていましたが、イースターの頃はもっともっと混み合うそうです。)

             

 (左の写真)ギリシア正教が管理しているとかで、たくさんのランプが天井からぶら下がって、何とも賑やかです。

(右の写真)マリアの像の下にイエスをかたどった赤ちゃんの人形が置いてありました。飼い葉桶のはずですが・・・

         

 地下に降りて、みんなが写真を撮るのがここ。何だかよく分からないまま、私も写真を撮ってから聞くと、イエスが生まれた場所だそうです。なぜ星形の穴なの?・・・三人の博士が★に導かれてイエスに会いに来たから・・・・だそうです。ハア・・・

 帰りは検問所を通ろうとすると、少年達が土産物を持って、しつこく迫ってきました。「少年が三人組で来たら気をつけて。組んでスリをすることがあるから」と添乗員さんに注意されていたので、みんな彼らを無視して歩きました。子どもを信用できないなんて、悲しいけど・・・

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発想力の違い?

2010年03月27日 | ボランティア
 25日の夜は宿直ボランティアで、ステップハウスへ。

 入り口を入るなり、Kさんが待ちかまえていたように来て「今日、タオル人形だよね。ほら見て!」と袋を開けました。中にはたくさんのタオル。

 しばらくして、外から帰ってきたYさんには会うなり言われました「この前、休んだねえ。タオル人形作れなかったネ。今日は大丈夫?」

 手作りの会も、回を重ねるうち皆さんが楽しみに待ってくれるようになったと思うと、嬉しくなりました。

 いつもより30分早く始めました。参加者は4人。(参加率50%)
 作り方は簡単。タオルと三本の輪ゴムとティッシュがあればすぐ出来る・・・はず。でも、なかなか顔の形がうまくいかないと苦労していました。ティッシュの丸め方にこつがあるようです。

 でも、びっくりしたのは形が出来てからです。
 ポーランド人のYさんはボタンを縫いつけて目と鼻を作り、口は黒糸で刺繍したのですが、今まで私が教えた中では最高のできばえでした!可愛いです!(写真の右上のくまちゃん)
 私の作ってきた見本とは関係なく、彼女の判断で作ってました。

 左下の白い人形はミャンマー人のNさんの作。耳に毛糸をリボンのように巻いて飾りました。う~ん、面白い。発想が違うなあ!

 その点私を含む日本人三人は、見本に縛られていたかも・・・

 でも、とにかく皆さんはそれぞれ満足して、誰にプレゼントしようかなと思いを巡らせていました。

「有り難う!」と言われて私も嬉しい夜でした。
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聖地旅行⑧・・・「嘆きの壁」にて

2010年03月25日 | その他

 今朝の朝刊を見て、納得しました!

 国際面に「イスラエルと亀裂拡大 占領地入植問題 米の和平仲介暗礁に」という記事があり、早速読んでみたところ、私達が「嘆きの壁」を訪れたときに米副長官夫人を見かけたわけが分かったのです!

 私がイスラエルに行くと告げたとき、おおかたの反応は「大丈夫なの?危なくないの?」でした。「大丈夫よ。だって、ガザの方には行かないもの。」と、情勢をよく知らない私は答えていました。

 しかし、私はパレスチナ領(ベツレヘムがある)に入ったり出たりするのが大変なこと、「嘆きの壁」に近づくのに検査を受けること(実際は人が多すぎてさんざん待ったあげくフリーパスになりましたが・・)などで、やはりここは現在も紛争地域であることを実感しました。

 中に入ってみると、世界各地からの観光客やら、社会見学?の子どもやら、家族連れやらで大変賑わっていました。

    

                     

 少年少女達の向こうに、黄色の帽子をかぶった大人のグループが見えますが、私達もここではこの帽子に助けられました。

 「ちょっとダサイなあ」と、旅行社から帽子を配られたときは恥ずかしい気持ちもあったのですが、人混みでは仲間を確認するのに大いに役立ちました!外国人のグループでも帽子派が目立ちました。

 「嘆きの壁」は男女はしきりで区別されていました。お風呂じゃないけど、男性用の方が倍くらい広く、女性の方は混み合っていました。下の写真は、男性用の方です。

  

 見た感じは、こちらの方は純粋にお祈りに来ている人が多い感じですね。男性は入り口で帽子キッパをかぶります。紙製でした。

                 

  (手前で写真を撮っている人は私達のツアーの人です。目印の帽子で分かります。ちなみに肩からぶらさげているペットボトルも旅行社からのもの。水は必需品です。)

 この帽子キッパは、町で普通に見かけます。「でも、どうしてずり落ちないんだろう?」と不思議でした。ピンで留めている人ももちろんいますが、中にはただ載せているだけに見える人もいるのです。髪の毛が全くない人も被っているんですから不思議です。

 女性側の出口当たりがざわざわしているので行ってみました。米副大統領夫人が来ていると言います。待っていると、その夫人が出てきました。(サングラスの女性)

   

  私はその数分前に、ある男性を撮っていました。実は正統的な格好をしているユダヤ人男性を撮りたいと物色していたのですが、みんなせわしなく動いているので撮れなかったのです。ところが、じっと立っている男性を発見。パチリ。

                 

 それが上の写真です。・・・さて、くだんの米副大統領夫人ですが、このあとこの男性に近づくと握手を交わし、親しく話していました。(というのは半分想像です。大勢の人やガードマンみたいな人に阻まれて、ちらっとしか見えませんでした!)

 あれ、ということはこの男性は米副大統領夫人をここで待っていたんですね。この男性は誰だったのでしょう?

 なぜ、米副大統領夫人がイスラエルに来ているのか?新聞もニュースもみない私達旅行者には分かりません。

 毎晩ホテルでテレビをつけてましたが、ヘブライ語も英語も分からないし、ニュース番組自体が少ないようでした。(日本のことなんか全く取り上げられませんでした。)

 というわけで、今朝の新聞(朝日新聞2010年3月25日朝刊9頁)でやっと米副大統領がイスラエルに来ていたわけが分かりました。その記事です。

 「中東和平を外交上の最優先課題とするオバマ政権は、イスラエルとパレスチナの間接交渉を目指し、今月9日にバイデン副大統領をエルサレムに派遣した」(実は今まで副大統領の名前さえ知らなかった私ですが、調べてみると波瀾万丈の人生を送った、いえ送りつつある人ですね。)

 しかし話し合いはうまく行かず、今度はネタニヤフ首相が訪米したのですが、逆に両国の溝は深まったとか・・・別の記事でも「イスラエル軍がガザ北部を空爆」と報じていました。・・・・ああ、いつになったら平和が来るのでしょうか!

 

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別れの季節

2010年03月24日 | ほっとすぺーす
 春3月は別れの季節。

 ほっとすぺーすでも例外ではありません。
 息子一家、S君、そしてA君も・・・

 S君は何年になるでしょうか?・・・初めてほっとに来たときはまだかわいい少年でした。将棋が大好きで、勉強よりも将棋ばかりやらされたね。あとゲームもいろいろ。オセロだけは私の方が強かった!

 いつからか、来るたびに野の花だの、真っ赤なからすうりだの、学校の帰りに見つけたものをお土産に持ってきてくれるようになったね。

 「手を出して」というから出すと、カミキリムシだったり、カブトの幼虫だったりして「きゃあ~」と悲鳴を上げてしまったことも・・・

 いつも図書館から借りてきた本を持っていた君は読書家だった。レイチェルカーソンの「沈黙の春」が読みたい言って驚かせてくれたのはまだ中一の時だったかしら。本を何冊か貸したけど、いつもあっという間に読んでしまった!

 ほっとの周年行事では、かぶとの幼虫をたくさんつかまえて自分で売りました。お小遣い稼ぎを得意技でやった君が逞しく見えました。

 その君も4月から高校生!・・・おめでとう!そしてサヨナラ・・・・


 A君とは、S君よりさらに長いおつきあいでした。私は赤ちゃんの頃から知っているよ。絵や工作が好きで、よく一緒に造ったけど上手だったなあ。ストーリーを考えて紙芝居も描いたよね。

 孫のTちゃんに絵本を読み聞かせているときの君は、別人のように優しく笑顔で接していたね。

 ダンスも好きだった。学校で習ったのをみんなの前で披露してくれたっけ・・・
 
 でも、一番のA君との思い出は昨年の夏休みの式根島への旅行です。岸壁でみんなでサバ釣りを楽しみました。A君はなかなか大きいのが釣れなくておかんむりだったけど。
 花火もしたし、往復の船の旅も楽しかった。

 A君、また会うときまで、サヨナラ・・・・

 
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聖地旅行⑦・・・ナザレの「受胎告知教会」

2010年03月23日 | その他

 マリアがイエスの誕生を天使に告げられたという「受胎告知」

 このとき、マリアは12歳くらいだったといいます。 この告知を受けた洞窟の上に建つという教会は、大変大きく立派で、近代的な会堂でした!

         

 聖地に来て思うのは、聖書に書かれた所にはどこも立派すぎるほどの大きな教会が必ず建っていること。まあ、ある面仕方ないとは思うのですが、往時の面影はかけらもない、きらびやかな飾り付け(特にギリシア正教の教会)や、聖画や聖像でいっぱいの会堂に入ると、プロテスタントの私は違和感を覚え、ちょっと居心地が悪かったです。

 ここには世界中から贈られた母子像が掲げられていました。お国柄がもろに出ている図柄で、見ていて楽しかったです。

            

 あれ、日本のはないなあと思っていましたら、礼拝堂の内部に飾られていました。廊下の画よりひときわ大きく、目立っていました。

               

 マリアが来ている着物の袖にホンモノの真珠がふんだんに使われているというのでそばに行ってみました。う~ん、そういわれてみれば・・・会堂内が薄暗いので、光ってはいませんでした。

 私の印象に残ったのは、庭のなつめやしと、マリアと天使の像です。なつめやしはイスラエル中どこにでも生えてましたが、実をつけているのは初めて見たので感激でした。こんな小さな実があのおいしいデーツになるのですね。  それにしても、ぎっしりとなってること!

  

                       

  なんだか人間くさい天使とマリア像に親しみを感じました!このとき、会堂の鐘楼から素敵な鐘の音が響いてきました。いいなあ~

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マザー・テレサ映画祭に

2010年03月22日 | 映画・演劇・本
 今日、川崎アートセンターのマザー・テレサ映画祭に行って来ました。

 見たのは「マザー・テレサと生きる」「マザー・テレサの遺言」の二本です。(全部で7本の上映)

 「マザー・テレサと生きる」は、マザーの死後、その精神がどのように受け継がれているのかという視点で、「マザー・テレサの遺言」はインタビューに答えてマザーが彼女の行動と考え方を語るという視点で描かれていました。

 私もかつて訪れた「死を待つ人の家」でボランティア活動をした、日本人の若者や、中年の夫婦、外国人の青年たち。誰もが、大変な労働のはずなのに「来て良かった!」「何をすべきかが分かった!」と感動の声を上げていました。



 中でも素晴らしいのは中年の夫婦です。
 日本に帰って、同じようなホスピス「きぼうのいえ」を立ち上げてしまうのです。そしてすごいのは、そこはもはや「死を待つ人の家」ではなくて「喜びを持って生きる人の家」に変わっていたことです!

 「マザー・テレサの遺言」も良かったです。彼女の口から語られる言葉は、平易で、愛に満ち、神への信頼に満たされていました。インタビュアーは、結構厳しいことも質問するのですが、何を聞かれてもズバリと答え揺るがないマザーに、魅せられました。

 観客は1本目は20人くらいでしたが、2本目は50人くらいと増えていきました。(この映画館にしてはとても多い方です!)
 私のそばにいた若いお母さんが、幼い子どもと赤ちゃんをお父さんに預けて会場に入ったのが印象的でした。 お父さんも、偉いなあ。

 帰りに、マザーの写真と言葉入りの葉書を数種類買いました。

(写真は、各新聞での紹介記事コーナー。かなりたくさんのメディアが注目していたのですね。監督の千葉茂樹さんのインタビューが多かったようです。)

 なお、映画祭は26日で終わりです。(23日休映)未だのかた、急いで下さい!
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聖地旅行⑥・・・花いっぱいの「アルベル山」で礼拝

2010年03月21日 | その他

 日曜日。ガリラヤ湖畔を一望できるアルベル山で礼拝することになりました。

 「アルベル山」・・・といっても、小高い丘といった程度の所です。

 この日は7カ所も回った後だったので、入り口に到着したのはもう閉門の時間を過ぎていました。しかし、「日本から来た」と強引に頼み込んで入れてもらいました。

 歩き出して間もなく、そのなだらかな道の両側に咲く、可愛らしい花々に気がつき、私は小躍りしたいくらい嬉しくなりました。

 みんなはてっぺんの木を目指してどんどん歩いていきます。・・・でも、私は全部の花に挨拶していくので遅れに遅れて・・・皆さん、早すぎますヨ~!

                 

 こんなに可愛い花々!名前が分からないのが残念でした。(生物の先生だった方に図鑑を見せてもらったのですが、種類が多くて特定するのが難しいこと!)

     

  アザミをたくさん見かけましたが、この赤い花は似ていますがアザミではないようです。右側は緑のボンボン型。さわるとちょっと痛かったです。

               

 

 庭や公園ではなくて、素晴らしい景色の山道に咲いている・・・ほんとに素敵でした。

       

 左の白い花はマツムシソウに似ていました。でも、とにかく大輪で高貴な感じがする花でした!

                

 この白い花はたくさんさいていました。白というよりアイボリーで、とっても上品な感じの花でした。

             

 賛美歌を歌った後、このツアーの団長で、教文館の社長である渡部満さんがショートメッセージをして下さいました。

        

 眼下に見えるのは、ガリラヤ湖。初めての渡部さんとのツーショット。

 渡部さんはツアーの数日前に足を怪我されたので、杖をついての参加でした!ほとんど行動を共にされましたが、シナイ山登山と、最後のマリアがエリサベツを訪問した教会の見学はパスされ、ちょっとお気の毒でした。(そこはかとなく哀愁が漂ってませんか?・・・ませんね。)

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聖地旅行⑤・・・ここがあの「ガリラヤ湖」

2010年03月20日 | その他

  「マサダの砦」の他で、心に残る訪問先は「アルベル山」「オリーブ山」そして「ガリラヤ湖」です。(たくさん見た教会は、どこも後世人間が造ったもの。私にはどこも似たり寄ったりに思えました。)

 ガリラヤ湖・・・イエスが「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう。」と、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを召命されたり、さまざまな奇跡を行われたところでもあります。

 その湖畔に自分が佇んでいるなんて・・・不思議な感覚です。

                    

  しかも、都合良く漁をしている小舟まで一艘浮かんでいました(エンジン付きでしたが)  

            

 湖畔に建てられた「ペテロ首位権の教会」と「イエスとペテロの像」

        

 有名な「ペテロの魚」を昼食で食べました。その湖畔の食堂はまあ大勢の人で賑わっていましたが、全員がその魚を食べていました!ガリラヤ湖でこんなに獲れるんでしょうか?

          

 この魚は「黒スズメ鯛」だそうです。添乗員さんが日本から醤油を持ってきていましたが、レモンだけでもおいしいお魚でした。

 昼食後は、貸し切りの船に乗り、ガリラヤ湖遊覧を楽しみました。船の上で、みんなでたくさん賛美歌を歌いました!湖上を渡る風が、気持ちよかったです。

 昼食時に出たパンの残りをちぎって海に撒いたので、カモメがたくさん寄ってきて、ずうっと船の周囲を飛び回っていました。

         

 下船後、1986年に発見された、イエス時代の船を見に行きました。湖底から引き上げるのに大変な工夫と労苦があったようです。

          

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聖地旅行④・・・私も浮いた~「死海」

2010年03月19日 | その他

   シナイ山登山をあきらめた私。死海での浮遊体験は絶対にしようと思ってました。

                               

(この写真はホテルの部屋から撮りました。この岩山は岩塩で出来ています。近くに、神の言いつけに背いて塩柱にされたロトの妻だという岩がありました)

   

   早朝、ホテルのプライベートビーチに行 き、早速海の中へ。皆さん、なんだかおそるおそるでしたが(多分、ガイドさんに死海の水をコップ一杯飲んだら死にます!と、驚かされていたせいかな?)私は平気でどんどん入りました。 

 わ~、ホントに浮く~!気持ちいい~!

                

   海底は、小麦粉みたいなきめ細かい泥でぬるぬるしていました。足の裏が黒く映っているのは泥です。この泥が肌にいいというので、掬って体に塗りつけました。なめらかな泥パックです。

         

 他の人も入ってきて、みんなでわいわい楽しみ始めました。左の女性のようになって腕を動かすと前後にすいすいと進みます。私は一人であちこち泳ぎまくって、いっぱい楽しんじゃいました!

 添乗員さんはみんなのカメラをいっぱい首からぶら下げて、大忙しで注文に応えて写していました。三人でシンクロナイズドスイミングみたいな格好もしたけど、誰のカメラに入ってるのかな?

 誰かが「なめてみて」というので、指をちょっとだけなめてみました。・・・・ガ~~ン!・・・苦い!、痛い! ・・・これは塩というより、苦い漢方薬?みたいな・・・

 死海は海抜マイナス400メートルの低地にあり、塩分濃度30パーセントの濃い海水です。それで・・・

 1,誰でも浮く。(保証付き)

 2,一度入ると10年若返る。(?)

 3,リラックスできる。(保証付き)

 4,酸素が多い。(低いところにあるから)(保証付き)

 5,滅菌効果がある。(保証付き)

 6,良い紫外線を取り込む。(保証付き)

 7,やせる。(?)

 だそうです。アトピーなど皮膚病にも良いとかで世界各地から治療目的で来ると聞き、知り合いの重症のアトピーの方のことを思いましたが、なんせ遠すぎますよね。

 お土産に『死海の泥パック』を買いましたが、ほっとのスタッフは誰も喜んでくれませんでした

 

 

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聖地旅行③-2・・・「マサダの砦」集団自決顛末

2010年03月18日 | その他
 2年間も「マサダの砦」に籠もっていた967人のユダヤ人達はどのようにして集団自決を図ったのか?
 ヨセフスの「ユダヤ戦記」から記述を追っていきます。(私は1巻も2巻も読んでいないので、そこに至るまでの事は分かりません。砦における攻防のみを記します)

 ローマ兵は斜道からの攻撃で外側の城壁を壊しますが、ユダヤ側はその内側に木と土で作った塁壁を作って備えていました。
 この塁壁はいくら叩いても壊れません。そこで、作戦を変えて火で攻撃するとあっという間に燃え上がりました。最初はローマ側に吹いていた風も途中から変わり、塁壁に吹きつけて至る所を燃やしました。

 これを見たユダヤ側の指導者エレアザロスは、風の向きの変化にも神の真意を見たのか、集団自決を決意します。「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神に近いものでしょうか・・・

 彼は同士を集めて演説し、彼の決意の程を語って聞かせます。・・・が、反応はいろいろでした。熱狂的になる者、怖じ気づく者・・・

 そこでエレアザロスは、熱意を持って更に長い演説をします。本では約10ぺージに渡って霊魂について、これまでの各地でのユダヤ人がどう戦い、どう死んでいったかについて詳しく語ります。

 そして最後にまた呼びかけます。
「われわれの両の手が自由で剣を帯びているうちに、その手に高貴な奉仕をさせてやろうではないか。敵どもに捉えられて奴隷にされる前に死のうではないか。自由人として妻子と一緒に生を断とうではないか。・・・自決でもって彼らを仰天させ、その大胆さで彼らを驚かせよう」

 ここまで聞いた同士たちは全員憑かれたかのように散って行き、揺るぎない覚悟を持ってその目的を遂行しました。つまり、愛する妻子を自ら殺害するのです。
 それから男達は自分たちの所持品全てを一カ所に積み上げ、火を放ちます。

 ついで、くじで10名の者を選ぶと、彼らは逡巡することなく全員を殺害しました。さらにくじで一人を選び、選ばれた者は9人を殺害すると宮殿に火を放ち、最後は自害したのです。

 (食料品だけは残しておくようにというのがエレアザロスの方針でしたから、それは焼かなかったのでしょうね。食糧が尽きたから死んだと思われたくなかったようです。)

 ローマ兵たちは戦闘を予期して出撃してきました。
 「しかし、敵は一人も見あたらず、周囲は恐ろしいほど荒涼としていて宮殿だけが燃えていて、沈黙が支配していた。」とあります。
 さぞかし、びっくりしたでしょうねえ!あれだけ抵抗してきたのですから・・・

 ローマ兵が大声で呼びかけると、女二人と、子ども五人が洞窟から出てきました。七人が自決から免れていたのです。女達は事の次第を語りました。

 ローマ兵たちは・・・「勝ち誇るようなことはせず、逆に敵達の決然たる覚悟と、事の決行に当たってかくも多くの者が動じることなく死をものともしなかったことに感嘆の声をあげた。」とか。

 ここがユダヤ人の最後の戦いの場所でした。この後、ユダヤ人達は世界に離散していきます。

 「マサダの砦」は現代にも生きています。
 「リメンバー パール ハーバー」ではありませんが「ノー モア マサダ」を合い言葉にしているそうです。

 町で軍服姿の若者を何度も見かけました。彼らのイスラエル軍入隊宣誓式はここで行われ、「マサダは二度と陥落させない」という言葉で締めくくるそうです。

 ちょっと複雑な思いで砦を後にしました。

 


 
 
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聖地旅行③・・・圧巻!「マサダの砦」

2010年03月16日 | その他

今回、帰国して真っ先にしたこと・・・それは「ユダヤ戦記」をネットで購入することでした。現地ベテランガイドの信夫(しのぶ)さんが何度も口にしていた本です。

( 時差ぼけの頭でクリックしたせいか、1巻2巻を購入したつもりが、2巻と3巻が届きました。・・・しまった!・・・ところが「マサダの砦」は3巻に載っていたのでラッキーでした! )

  「マサダの砦」・・・現地に行く前は、名前さえ知りませんでした。

                 

 死海の近くにそびえる断崖絶壁に作られた砦です。下から見上げても、ロープウェーで頂上から見下ろしても「こんなものを、こんな高いところに2000年も前の人が作ったのか!」と驚天します。

 ここは紀元前100年頃に造られた要塞を、ヘロデ王が強化増築し、豪華な冬の宮殿として建てました。城壁も宮殿もかなり広いものでした。食料も水も油も武器も大量に蓄えられていました。

 本によるとヘロデがこの要塞を避難所として造ったのは、ユダヤ人を恐れたことと、あのクレオパトラが怖かったからとか・・・・

 しかし、マサダが有名なのは、そのユダヤ人がローマ兵から逃れてこの要塞に逃げ込み、2年間も立てこもり、追いつめられ、ついには集団自決したからです。その数、960人!(自決に加わらなかったのは二人の女と、五人のこども七人だけ)

 この集団自決するまでのエピソードが大変興味深いのですが、それは次回に。

                  

 この写真の中程に見える、ベース型はローマ軍の陣地の跡です。ローマ軍は二万人といいますから、陣地も大きいです。

 ローマの指揮官は、一人も逃げ出さないように要塞の周囲に包囲壁を作り、歩哨を立てました。しかし、頂上に行くには狭い道しかないので、土盛りが出来る場所を探し、そこに斜道を築きました。

               

 左の写真は真上から、右の写真は斜め上から見た斜道です。ここから速射砲や投石装置を駆使して攻撃しました。

              

 これは頂上の備蓄倉庫の辺りですが、まだこんな風に残っているのもすごいと思いました。

 世界遺産ということもあり、見学者は大変多く、ロープウェーは満員でしたし、あちらこちらに置かれた屋根付きの広場は、様々な国から来た観光客でいっぱいでした。大人気のスポットなんですね!

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聖地旅行②・・・・「荒れ野を行く」

2010年03月15日 | その他

 成田→韓国→テルアビブと長い機内を過ごした後、バスでシナイ山へ行ったのですが、景色は途中から裸の岩山と砂ばかり・・・このバスの移動も長かった!

 モーセが出エジプトをして40年間荒れ野を旅しましたが、その間、民が何度も「こんなことならエジプトにいた方が良かった!」とつぶやき、モーセを責めます。

 現地に来てみて実感しました!『私も、つぶやくだろうなあ・・・こんなに岩と砂ばかり・・・』

   

                             

 それでも所々にこんな木が細々と生えていました・・・名前を忘れましたが、どこにいってもこの木でした。こんな過酷な所に生える木は種類が少ないんですね。

    

 砂漠にあるオアシスを見学に行きました。すると、めざとく私達を見つけたベドウィンが粗末な小屋からわらわらと10人くらい出てきて、いろいろな物を売りつけます。

 バスからオアシスが見えるところまで15分以上有り、帰りはラクダに乗ることにしました。何も買ってあげなかったのがかわいそうな気もして・・・

                

 ここの砂漠のラクダは、全部ヒトコブラクダです。この前にも乗りましたがその時はとても痛くて、二度と乗るまいと思ってましたが、今回は毛布をいっぱい重ねてあり、気持ちよく乗れました。5ドルでした。

 ラクダを引くのは子ども達。この女の子は12歳。少女とラクダの名前を聞いたのですが忘れました!学校に行ってるのかと聞いたら、行っていると答えましたが、ちょっと信じられません。近くに町など無いところですから・・・・

           

 この写真は多分(砂漠ばかりで、どこがどれだったか??)ミツペラモンのクレーターです。私はここで旅行社にもらった帽子を強風に飛ばされてしまいました!この写真のどこかに・・・・って、見つかるはずナイよ~(優しい添乗員のSさんが、すぐ自分のをくれました。帽子は必須です)

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聖地旅行①・・・「シナイ山登山」

2010年03月14日 | その他

 今回の旅行のタイトルは「聖書を体験し、再発見する旅  イスラエルとシナイ山の旅 11日間」でした。

 そう、あのモーセが十戒を授かったシナイ山に登ることが、この旅行の目玉の一つで私もそれに惹かれて参加を決意したのです。

 説明会で言われたとおり、寒さ対策、暗闇対策もバッチリ!最後は長い階段があると聞き、近所で長い階段を見つけると登ってました。

 しかし・・・ネットでシナイ山は「登山中級」と書いてあるのを知ってから、迷いが生じ始めました。私はほとんど登山の経験がないからです。

 参加者28名中、登らない人が10数名いると判明し、ますます弱気になり、ついに断念しました!

 『最近膝が痛いし、2時から登るなんて睡眠リズムが狂うし、ラクダに乗ったとしてもけっこう怖いと言うし・・・・・そうだ、聖書にもモーセは登っていいが民は登るなと書いてあるじゃない、登るべきじゃないよね』と、言い訳をいっぱい考えて。

 でも、70歳過ぎた人も結構登っていました!ちょっと怪我をした人もいましたが、まずまず無事に下山してきた面々、私を見ると、「えっ、登らなかったの?その若さと元気で!」と皆さん口をそろえておっしゃるので、ちょっと恥ずかしかったです。

 しかし、旅の初めに無理しなかったせいか、11日間体調は絶好調で過ごすことが出来ました。

 まあ、ホントは登りたかったですけど・・・装備も無駄になったし・・・

          

 左の山がシナイ山。なだらかな道を下りてくる人が見えますか?右下の建物は聖カテリーナ修道院。

                   

 シナイ山は実は候補が四つあるそうです。この山は泊まったホテルの真ん前の山ですが、私のイメージ的にはこの山の方がよっぽどシナイ山らしい雰囲気があると思うのですがネ・・・

 

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