お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

知ってましたか?「お見舞いメール」

2007年02月28日 | その他
 ほっとすぺーすと関係のある方がH病院に入院されたと聞き、お見舞いに行くときのことを考えて、ネットで調べました。

 すると、H病院のホームページに「お見舞いメール」という欄が・・・えっ、患者さんにメールが出せるの?

 クリックしてみると、患者さんにお見舞い、励ましのメールを送りましょうと書いてありました。きれいな台紙にプリントして、封筒に入れて、翌日には配達しますとあります。

 便利ですねえ。知らなかったなあ!病院がこんなサービスをしてるなんて・・・

 こういうサービスを他の病院もしてるのかしらと調べてみると、結構いろんなところで取り入れているんですね。いつの間に・・・

 もちろん、私はすぐに出しましたヨ。
 (ちなみに、返信はないそうです)
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かわいいでしょ?パン粘土人形

2007年02月27日 | ほっとすぺーす
 写真の雛人形は、最近足しげくほっとすぺーすを訪問してくださるMさんに教わって私とFさんが先週作りました。

 材料はパンド。パン粘土です。油絵の具を練りこんで色を作って細工していきます。簡単そうに見えて、ちょっと技術を要します。

 Mさんは年配の方で、お体も少し不自由ですが、まだまだ技術は確かです。20年以上も作ってきた方ですから、小さな花びらもまるで本物みたい。

「初めてにしてはお上手ですよ」と、こちらを持ち上げながら教えてくださる。
 一日がかりでやっと出来上がり、来る人みんなに聞きました。
「ねえねえ、どっちの人形を、どちらが創ったと思う?」

 大抵の人は間違えるので、笑って訂正します。ごく普通の感覚の私と、ちょっと派手めなFさん。
 そのヒントで皆さんは私がつくったのはどちらだと思いますか?

(正解は後日。なあんて、もったいぶるほどのモンではないですよね。左が私)
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ALSを生きる人々

2007年02月25日 | ほっとすぺーす
 昨日のNHKのETV特集を見ましたか?
「生のかたち・難病患者からのメッセージ」

 私は一時間半全部を食い入るように見ました。なぜなら、難病というのがALSでしたから・・・亡くなったばかりのKさんを想いながら見ました。

 この病気は原因不明で体中の筋力が衰えてゆき、ついには寝たきりになり、人工呼吸器で生きるしかない難病です。

 ですから、正直な話、わたしたちほっとすぺーすのスタッフは「Kさん、こんなに早く亡くなってお気の毒だけど、あの辛くて長い闘病生活を考えると良かったのかもしれないわね」と思ってもいました。

 しかし、それは間違いでした!
 昨日紹介されたALSの患者の皆さんは、懸命に今を生きていらっしゃいました。寝たきりでも、人工呼吸器をつけていても、言葉は失っても、生きる意味を見出だし、家族やボランティアに支えられながら、逆に家族の支えにもなって生きていました。
 
 たとえ体は動かなくても、「母」として子育ては私の責任と、おしゃれをして学校に出かけるお母さん。
 他のALSの患者の役に立ちたいからと大学院入学を決めた男性。
 家族から離れて一人暮らしを始めた女性。
 すごいなあ!強いなあ!私は感心しました。

 Kさんが生きていたら、これからの人生をどんな風に生きたのでしょうか?

 結局、どんな状況にあっても人が人として生きるという意味や重さは同じなんですよね、苦労や悲しみも有るけど、喜びや楽しみもある・・・
 私たちとの一番の違いは、自分のことを考える時間がたっぷりあるということみたいです。
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夕刊みて、 ドッキリ!

2007年02月21日 | ほっとすぺーす
 昨夜遅くなってから夕刊(朝日)を開きました。

 真ん中あたりに、いつもの加藤周一さんの「夕陽妄語」がありました。題は「不条理の平等」

 う~ん、また難しそうな・・・と思いつつ冒頭の文を見てが~ん!
「一人の書籍編集者が亡くなった」と書いてあるではありませんか!
 エッ、まさか!

 私の教え子のお父さんで、編集者のTさん(ほっとすぺーすのパンフレット作成ではおおいにお世話になりました)では!と、一瞬思ってどきりとしました。

 Tさんは、加藤周一さんと親しい編集者です。(ほっとすぺーすにはTさんから寄贈していただいた加藤さんの著書が何冊かあります。)

 冒頭の文に驚いたものの、その後に続く文を読んで「これは、Tさんのことではないな」と感じました。というのはこう書いてあったからです。
 『個人的なつき合いが、深かったとは言えないだろう。年に一度会うこともあり、会わないこともある。』
 Tさんは、頻繁に加藤さんの仕事していたようだったもの・・・

 でも、それに続く文にまたまた「もしや?」と・・・
『しかし数十年にわたるつき合いであった。会えば話は用件の他にも身辺雑事から国際政治にまで及び、ほとんど何事につけても意見の違いは大きくなかったと思う』
 Tさんは加藤さんと映画を観た感想の話まですると言ってたなあ・・・・。

 それに、加藤さんはこの編集者の訃報に強い衝撃をうけたとも書いていたので、私は思わず携帯でTさんに「お元気ですか?」とメールを打ってしまいました。

 しばらくして、Tさんから元気との返信が来たので、ほっとしました。

 そして、落ち着いて「夕陽妄語」を読み返しました。
 一編集者の死から思いを広げて、難しい論が展開されていました。戦争で死んでいく子どもや若者と、編集者の死は「不条理の平等」を共有していると。

 ウ~ン、分かったような分からないような・・・


 
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心を病む人を想う

2007年02月18日 | ほっとすぺーす
 先日、ほっとすぺーすとも関わりのあるRさんが入院したと伺いました。

 最低でも3ヶ月はかかるだろうと家族の方から聞きました。Rさんは心の病です。

 これまでの彼女はいつも明るく、前向きで、よくしゃべり笑う人だったので、心の病にかかっていると聞いたときは信じられませんでした。でも、今考えてみれば彼女は自分でも気づかないうちに「明るく振舞う」自分を演じ続けていたような気がします。

 嫁、妻、母。
 女性はいろいろな顔を持っていますが、そのどれをも完璧にこなそうとすれば素の自分が内側に押し込められて、無理が少しずつ積み重なっていきます。そしてそれがある限界点に達した時、壊れてしまうのですね。

 ゆっくり治してほしいと思います。でも、入院となるとお子さんのことも気がかりだろうなと案じています。

 ほっとすぺーすとして、何かできることはないかと考えているところです。
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ALSのKさん、早すぎた死・・・・

2007年02月15日 | ほっとすぺーす
 今夜はリコーダークラブの練習日でした。

 楽しく2時間を過ごした帰りがけ、仲間のYさんからALSのKさんが亡くなった事を聞き、仰天しました!
(生前、Kさんは症状が進んでからはボランティアさんとほっとすぺーすに見えていたのですが、そのボランティアさんはYさんの奥様だったとか!それでKさんの死をご存知でした。)

 実は、10日の「トピアリー作り」のとき、参加者のひとりから、「Kさん、亡くなったらしいわね」と言われたのですが、すぐに「まさか」と否定しました。だって、ついこの間私たちスタッフは入院中のKさんのお見舞いに行って、30分くらいおしゃべりしてきたばかりでしたから。お元気とまでは言えないけど、特に苦しいともおっしゃらず、椅子に腰掛けて話していました。

 念のため病院に電話してみると、「1月28日に退院した」と言われたので、「やっぱりただのうわさで、よかったわね」と話していたところでした。

 ところが、やはり本当に亡くなっていたのです。
 帰宅して、Kさんのお宅に電話をして驚きました。私たちがお見舞いに伺った二日後に急変して亡くなっていたのです。「退院した」と言われた28日のことでした。

 あまりに急で、まだ信じられない思いです。
 つい先日の新聞で、ALS患者の会の代表の方が「この病気は適切な看護と介護があれば長生きできます」とおっしゃった言葉を読んだばかりでした。

 Kさん、お見舞いにお渡しした三浦綾子さんの本、読んでいただく時間がなかったですね。神様のこと、人の命のこと、魂の救いのこと、今度お見舞いにうかがったときに話したいと思っていましたが・・・残念です。
 
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初めてBCJを聴きに行ってきました!

2007年02月13日 | 映画・演劇・本
 昨日、初めてバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の演奏を聴きに行ってきました。(東京オペラシティコンサートホール)

 演目はバッハのカンタータ85番、183番、68番、175番、28番。教会カンタータシリーズの48回目ということです。

 指揮者で音楽監督の鈴木雅明さん一家は私と同じ教会の会員なので、一度はBCJの演奏会にと思いながらも行きそびれていましたが、今回やっと友人と行くことが出来ました。会場は若い人から年配の人まで一杯で、その人気振りがうかがえました。

 演奏は素晴らしいものでした!私はバッハについて何も知らないので、事前に図書館でほんの少し知識を仕入れて行きましたが、そんな必要はないですよね。(いえ、本当はたくさんの知識があるに越したことはないと思うのですが、全く知らなくても味わうことは出来ると・・・)

 ソリストの四人は誰もがすてきな伸びのある声でしたが、私は特にカウンターテナーのロビン・ブレイズさんの甘い声に魅せられました。

 楽器ではヴィオロンチェロ・ダ・スパラが初めて聴く不思議な音色で興味深かったです。

 そして、リコーダー。普通の演奏会でリコーダーが使われることって殆どないと思うのですが、古楽器として使われているのでしょうか、三人が演奏していました。それが、私の吹くリコーダーとは全く別物の音色で(当たり前ですが)呆然としてしまいました。

 雅明さんの息子の優人さんのチェンバロも良かったです。奥様の環さんはアルト、弟さんの鈴木秀美さんはもちろんチェロと、一家全員が出演していました。それぞれが一流で素晴らしい音楽一家です。

(写真はサイン会の雅明さんとソリストたち)
 
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特別企画 「トピアリー作り」は・・・

2007年02月12日 | ほっとすぺーす
 土曜日は特別企画で「トピアリつくり」を楽しみました。

 10時からと2時からの二回で、延べ11人でした。
 ドライフラワーの花の部分を、球状のオアシスに挿して作ります。オアシスは大小用意しましたが、午前の部は全員が「大」を選択。
 
 同じ値段で作るなら華やかな大の方を選ぶものなんですね。(午後は、二つ目を作る人は全員「小」を選びましたが)

 始まるまではおしゃべりに花が咲いていましたが、始まったとたん皆さん真剣な顔で黙々と作業に専念。約一時間余でステキな作品が出来上がり、みなさん大満足な笑顔で帰っていかれました。

 写真でもその素晴らしさが分かっていただけると思います。

 準備・指導に大忙しだった講師のMさん、お疲れ様でした!
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男性訪問者が!

2007年02月07日 | ほっとすぺーす
 今日、初めて、自主的に男性の方がほっとすぺーすを訪ねてくれました!

 2005年7月のオープン以来、男性の訪問者はほんの少数。そのほとんどは、スタッフの家族や友人、または無理やり?お誘いした方がほとんどでした。

 ところが今日来てくださったKさんは、ホームページやこのブログ、さらに毎月配布しているチラシもよく見て下さっているとのこと、びっくりしました。

 2月のチラシはKさんのお住まいの号棟に配るのが遅れて、一昨日配布したのですが、
「今月のチラシが来ないのでほっとすぺーすはつぶれたのかと思いましたよ」なんて冗談まで言われました。

 いやあ、チラシを配ってもなかなか反応がないのでがっかりしていたのですが、Kさんのような方もいたのだなあと嬉しくなりました。

 パソコンが得意のKさん、いろいろ教えてくださいね。

 
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絵手紙教室で聞いた話

2007年02月05日 | ほっとすぺーす
 今日のほっとすぺーす麻生は二回目の『絵手紙教室』の日でした。

 優しいN先生と、生徒六人はわいわい言いながらも、真剣に?筆を動かします。
今日の題材は、百合根、赤大根、ふきのとう、なめこなど・・・(カメラを忘れたので写真がありませんが、みんななかなかの出来でした!自画自賛!)

 昼食を食べながら、最近の環境問題の話題から、昔はこんなに便利じゃなかったという話をしているうち、生徒のひとりのZさんがさりげなく戦時中のすごい話を始めたので、みんな身を乗り出して聞き入ってしまいました。

 それは、あの61年前の東京大空襲の話でした。
 もちろんあの空襲のことは写真や本やドラマで良く知っています。でも、実際に体験した方から、命からがら逃げ惑った話を聞くのは初めてでした。生々しい話を、まるでつい数日前に体験したかのように具体的に話してくれました。

 陶芸の熱く燃える釜の中のような、炎の街並みの中を布団を水でぬらして覆いながら逃げたこと、逃げているうち布団は乾いて焼けてきたこと、熱さに耐え切れず川に人が飛び込んだとき熱湯になっていた川からジュッと音がしたこと、両親はいつのまにか上半身裸になっていたこと、たくさんの死体で埋まった道を歩いたこと、等々・・・

 Zさん一家は風上に逃げたので助かったけれど、風下に逃げた人はみんな焼かれたそうです。お父さんが冷静に判断したおかげだったとか。


 Zさんは長い間、てんぷらなど揚げ物が出来なかった、打ち上げ花火がみられなかったと言います。どちらも、あの空襲の空や熱さを連想してしまい怖かったのだそうです。


「こういう話、子ども達に聞かせたいね」
「なまの戦争体験を話してくれる人は年々少なくなるから、早く聞かせたいね」
Zさんは、首をふって「私なんか人前で話せませんから」としり込みされるので、
「そうだ、Zさんの話を紙芝居にしたら?」と提案しました。
「それがいい。そうすれば小さな子にも理解できるよね」

 どういう風になるかは分かりませんが、この話は実現させたいなあと思いました。子供達だけでなく、戦争を知らない大人にも聞かせたいです。

 
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