麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第237回)

2010-08-23 09:22:20 | Weblog
8月23日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。



しばらく前から「金閣寺」を読んでいて、読み終わりました。
「仮面の告白」のようなすごい告白体小説をすでに書いていた作者が、なぜこれを書かなければならないのかわかりません。仕事として、ベストセラーを生み出すためでしょうか。最後まで主人公にリアリティを感じられませんでした。

なんとなく思ったのは、これは、サルトルの「聖ジュネ」に(方法は違うけど)対抗しようとしたものなのではないかということ。時代的に同じという以外、そう考えるなんの根拠もないですが。そういう、なにか「書きたい」ということとは違う情熱で作られたものという気がします。

もしかりに「聖ジュネ」を意識していたとしても、ジュネは本人が天才詩人だったからサルトルの(精神的)援護射撃には大きな意味があるけど(もちろん、それだけでなく、サルトルはその仕事を自己弁護にも利用しているわけですが)、金閣寺に放火したこの犯人に、三島由紀夫がそうするほどのなにかがあったのかは疑わしい。ボンクラがいうまでもなく、作者はそのことを知っていて、それでも自分と重ね焼きしようとしたのでしょうが、無理な作業だったのではないでしょうか。

ご存知のように私は小林秀雄が嫌いですが、「金閣寺」をテーマにした作者との対談では、作品をほぼ全否定していて、最後に「実際、忘れそうな小説だよ」と言っています。今回初めて読んでみて、まったく小林秀雄のいうとおりだな、と思いました。



先週、ここに書いたあとで、「ウェルテル」を読み終えました。本当にすばらしい文学。すばらしい訳文。気持ちが高揚してきて、また古い旺文社文庫の「ファウスト」を引っ張り出して読みはじめました。最高におもしろい。でも、訳者(佐藤通次)が明治生まれなので、ときどき日本語が立派過ぎてわからないところも。それで、以前から気になっていた小西悟さんという方の新訳本を買ってきました。なんと、わかりやすい。最高によい訳文で、注も該当ページについているので読みやすい。「本の泉社」という、初めて知った版元の本です。熱烈におすすめします。

ゲーテの、個性的で普遍的な雰囲気に近いのは、知る限りディケンズだけですね。たぶん、シェイクスピアはもっと大人で、もっと公平な人。「ファウスト」を読んでいると、なぜか「ロミオとジュリエット」が読みたくなって真ん中あたりを読み返しました。それは、なにか、年がいもなく高揚した気分をさます必要を感じたからでしょう。ゲーテもディケンズも永遠の青年のようなところがあり、その熱気の中にいるうちに、ひんやりした大人の言葉を読んでみたくなったのだと思います。そうやってクールダウンしたあとで、いままた「ファウスト」に戻ってきました。



では、また来週。
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