麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第238回)

2010-08-28 22:38:04 | Weblog
8月28日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。


「ファウスト」、読了。
小西訳、とてもすばらしかった。第二部が、とくによくわかりました。夢幻劇的なところは、ちょっと「ユリシーズ」の「キルケ(ー)」を読んでいるような気がしました。もちろん、ジョイスのほうが影響を受けているからでしょうが。

とりあえず、たまたま手に入れた「ウェルテル」から始まったゲーテブームはこのあたりで終わることができそうです。いちおう書いておけば、「ファウスト」は、井上正蔵、柴田翔、池内紀、手塚富雄、佐藤通次訳を持っています。いろいろな場面で各訳を比べましたが、佐藤訳と小西訳がやはりベストと思います。でも、部分によっては、柴田訳はさすがにリズムがよくてすごいと思いました(高校のとき初めて読んだ「されどわれらが日々」は今でも大好きな本です)。

「ウェルテル」の主人公のもつ過剰な部分が、どこからくるのか、それが「ファウスト」を読むとよくわかります。ゲーテは、第二部でドイツロマン派(とくにホフマン)が怪異なものをテーマにするのを揶揄していますが、その明朗なものを信じる情熱、その情熱への信頼、その情熱を持つ自分への信頼がゲーテの特徴で、その天才の核だと思います。先週も書いたように、たぶん、私は心の底では、その情熱にはついていけないことがわかっています。そんな信仰に近い情熱より、シェイクスピアの、どんな立場の人物にも肩入れしない公平な皮肉のほうが自分にはあっているし、作者が冷静だからこそ物語そのものの感動は大きいのではとも感じます。いずれにしても、ボンクラの意見などどうでもいいことですが。

ゲーテは変わった人ですね。マイナーなところがまったくないという稀有な人。ディケンズをひき合いに出しましたが、ゲーテが「大いなる遺産」のような暗い物語を書くことは絶対ないでしょう。でも、どこか、基本的には似ている。ディケンズが子どものころ金の苦労をしなくてすんでいればもっと似ていたと思います。

「ファウスト」、またいつか読みたいです。



くだらない話ですが、若いころよく行った定食屋があって、先日半年ぶりくらいに行きました。私の口にあう程度なので明らかにB級グルメですが、やっぱりうまい。で、なんとなく食いながら考えたのは、「ここでメシを食うのが今日で最後だったらどうか」ということ。「それはさびしい」と、すぐに思いました。「もう一回ここで食べるまで生きていたいなあ」と。そう思ったとき、ひさしぶりに霧が晴れたような気分になりました。おおげさでなく。



では、また来週。
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