麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第114回}

2008-04-07 00:03:59 | Weblog
4月7日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「風景をまきとる人」を書いて、なによりよかったのは、85年当時の四ツ谷や新宿の風景を自分なりに書き残せたことです。とくにこの小説は、はじめから「四ツ谷小説」といってもいいようなものに(自分にとっての)なるだろうとわかっていました。

舞台になる出版社のモデルのひとつがそこにあったことが、大きな理由ですが、それだけではありません。四ツ谷は、学生時代、高田馬場と同じくらい、毎晩のように徘徊した、自分にとって東京でのホームグラウンドといってもいい場所のひとつで、いつかはなにかに書いておきたいと思っていたからです。このブログのコメントで間違いを訂正してくれたピッコロ氏は、大学の同級生ですが、彼とよく私の下宿から、若松町、女子医大とたどり、フジテレビ下の通りを抜けて、市谷台町(ここにも友人が長く住んでいたことがあります)、曙橋と抜けて四谷三丁目に出て、夜中でも普通の洋食を食べられる店に行きました(こうして書いていても昨日のことのような気もしますが)。

当時は、ファミレスもコンビニも少なく、夜中になってもそういう定食屋(焼肉屋や飲み屋が開いているのは、いまも昔も同じなので)が開いていて、セイフー(四谷三丁目)が開いていることで、「都会だなあ」と感激したものです。それは、新宿が夜中になっても動いているということとは、ちょっと違う感じでした。

昼間は昼間で、また、別の風景が浮かびます。四ツ谷には、イグナチオがあり、半蔵門のほうに行けば、昭和40年代のまま時間が止まっている麹町と番町があります。四谷三丁目の交差点には、丸正バラエティブックスという、ほとんど紀伊国屋本店にも負けない(といっては言い過ぎか)くらいのすばらしい本屋もありました。また、高校の同級生で親しかった二人が上智大学にいたので、学園祭に行ったり、いっしょに授業を受けてみたりしたこともあります(学食が最高で、生協にはキリスト教関係の本がたくさんあってそれも気に入りました)。

――いまは、多くのものが変わってしまいました……。ずっと工事中だった駅は、どんなに個性的になるのかと思ったら埼京線にもあるチェーン店のような駅になり、イグナチオも建て変わり、丸正バラエティブックスはとっくの昔にカラオケ屋と焼肉屋になり、三丁目の風月堂も縮小して二階席はなくなりました。周辺でも、フジテレビ移転後の河田町はさびれ、夜中に洋食を食べさせてくれる普通のレストランもありません。あるのはどこの町にもあるコンビニと立ち食いそば屋だけ。

できれば、自分にとっての東京をもう一度、そして永遠に歩き回れるよう、ほかのいくつかの町についても書く機会を持てれば、と思わずにいられません。



更新が遅くなって申し訳ありません。

カミュについて書こうとここ二週間くらい思っているのですが、書くだけの体力がありません。

では、また来週。
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