麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第206回)

2010-01-16 22:37:31 | Weblog
1月16日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

光文社新訳文庫から、「純粋理性批判」の新訳が出始めました。
全7巻の予定。
少し読みましたが、わかりやすい訳だと思います。しかし、( )で訳者が言葉を補足している部分はどうでしょうか。逆にわずらわしいと感じる人もいるかも。

余計なことかもしれませんが、「純粋理性批判」のテーマについて書きます。
それには、このタイトルを言い直してみればいいのですが、まず「批判」は、カントが序文かなにかで述べているように、「まだ(自分が創始したばかりで)『学問』と、積極的に呼べるほど整ったものではない」という意味で使ってある、つまり「学と呼ぶにはまだ早い」ということですが、それは謙遜ととってもよく、であれば、まず「純粋理性批判」は「純粋理性学」といっていいことになると思います。つぎに「純粋理性」ですが、今はコンピュータがあるので説明が簡単です。「純粋理性」とは、「まだ一度も入力されていない人間の心というOS」という意味です。心なのか脳なのか、同じことかもしれませんが、「純粋」とは「未経験」の意味です。あわせると「まだ一度も入力されていない人間というOS学」ということになります。入力はされていなくても、当然OSには、データを処理するプログラムが用意されているわけで、それはどんなものなのか探ろうというのがテーマなわけです。

私は(同じような方がたくさんいらっしゃると思いますが)、子供のころから「わかる」とはどういうことだろう、と考えていました。結果としては「わかる」と、すっきりします。では、すっきりして心の緊張状態をとることが「わかる」ことの目的なのでしょうか。また、言葉で考えると人生はなんのためにあるのかまったくわからないのに、なんの不安もなく自分は生きているというのはとても不思議なことですよね。土台になっていることの意味がわからないのだから、その上に重ねたものはすべてよくわからないもののはず。でも、土台の意味はわかろうと努力もしないのに、どうでもいいようなことについては、わかりたいと強く思い、すっきりするまではなぜか努力をします。「わかる」とはどういう行為なのか。「純粋理性批判」のテーマを知ったとき、読んでみようかな、と思ったのは「わかる」という行為がなんなのかわかるのでは、と思ったからです。

今でも覚えていますが、大学時代1年生を3回やったあとに専門に進級し、科目登録のためにいろいろな授業を試しに受けていたとき、金曜1限に、川原栄峰先生の「純粋理性批判」の授業がありました。ドイツ語の原書でテキストを読んでいく哲学科の授業です。1限は8時20分開始で、でも多くの先生はだいたい20~30分くらい遅れて入るのでしたが、川原先生は時間ぴったりに授業を始められました(ひょっとしたら、先生はカントの規則正しい生活サイクルをご自分でも実行されていたのかもしれません)。そのころ、朝4時前に寝たことのなかった私は、たぶんその日は徹夜で出たのだと思います。当時、岩波文庫以外で唯一文庫になっていた天野貞祐訳「純粋理性批判」(講談社学術文庫)を読んで臨みました(読んでもさっぱりわかりませんでした)。授業中は、眠くて眠くて、ほとんどなにも聞いていませんでしたが、その日川原先生の言われた、「カントがこの研究にとりかかった目的」についてだけは今でも記憶に残っています。カントはこの研究を、「神の存在証明は無意味だということを証明するために行った」というのです。そのことが「なるほど」と思えたのは何年も後のことですが、とりあえず、1時間30分だけは、私はテキストとしてこの本を学んだのです(その1回だけで結局この授業はとらないことにしました)。

川原先生の仕事は、ちくま学芸文庫「ニーチェ全集」の「この人を見よ」(元講談社文庫)が私にとっては身近で、この本については今でも先生の訳が一番しっくりきます。というか他の訳は嫌いです。

「純粋理性批判」は、これで、岩波文庫、学術文庫、平凡社ライブラリー(元の理想社版カント全集)に続いて4番目の文庫となりました。これらの文庫に加え、岩波書店の新カント全集、河出の「世界の大思想」シリーズの高峯一愚訳(単行本化もされています)、また、以文社の単行本も、いちおう全部持っています。以前書きましたが、「超越論的論理学」の「概念の図式」の説明がこれまでよりわかりやすければいいなあ、と思っています(今のところ、いちばんいいと思う訳は岩波の新カント全集のものと、高峯訳です)。



「聊斎志異」6巻出て、完結しました。
しかし、「未成年」以来、またちょっとドストエフスキー流行りになっていて、「二重人格(分身)」を、三回目か四回目ですが、読んでいます。くどい文章だけど、クセになりますね。



では、また来週。
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