麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第832回)

2023-11-18 17:10:36 | Weblog
11月18日

「むなしい話」後記。

25枚の原稿を打ち込むのに、3週間もかかりました。途中、手を入れたくなったところもありましたが、もちろん、なにもしませんでした。63の老人が、22歳の青年を主人公として23歳の作者が書いた文に手を付ける権利はないと思うからです。創作としては15点ぐらいでしょうか。作文が85%。いちおう15点つけたいと思うのは、お笑い花月劇場と、主人公と母親のやりとりを重ね焼きにしたいという意図が創作的意図であることと、「主人公」と「書いている自分」の間に少しは距離をとっているからです。

主人公のモデルとして私が言えることは、この、母とのやり取りがあった年には、2年の留年を経て人文科(あとで人文専修という呼び名になりましたが)に進級していて、実はかなり充実した学生生活を送っていた、ということ。授業はゼミと専門科目(ドイツ語も週4コマきっちりありましたが)になり、ゼミでは「二コマコス倫理学」「方法序説」「存在と無」、専門科目では「死に至る病」「美術史学(ルネッサンスの画家列伝)」「人類学」など、読みたかったものを読め、学びたかったものを学び、楽しかったし、きっちり勉強しながら全部出席していました。が、そうして、そういうものを学べば学ぶほど、「いつか社会に出る」ということがいやで、怖くてしかたなくなってきた、というところがあったと思います。この主人公の対実社会への態度はそういう背景から、ただただパンクな感じになっているのであり、もちろん、本音ではあるのですが、ここに書かれたものに思想もなにもありません。ただ「意識の流れ」のようなものとして、思いつくままの言葉の羅列として読んでいただければと思います。でも、まあ、少なくともこの主人公はパンク野郎としては本物で、純粋である、と思います。

もちろん、これは、何十年かぶりに読んで、ちょっとおもしろいと思ったので、読んでもらおうとここに載せたのですが、もうひとつの意図としては、ここにくれば私自身がいつでも亡くなった母親を感じることができる、と思ったからです。写真よりも、生きている母がここにいるので。

「むなしい話」というタイトルは、ここでもちょっと書きましたが、「賭け」という短編を読んでから一時チェーホフにはまっていたことがあり、たしか「わびしい話」という短編があったと思うのですが、それに倣ったのです。

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