麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第59回)

2007-03-18 18:50:01 | Weblog
3月18日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

先週、吉行淳之介のことを書いて、何日かあと、吉行訳「好色五人女」が、河出文庫で出たのを知りました。すでに中公文庫になっているものも持っているし、ハードカバーのものも持っていますが、たぶん、今回も買ってしまうと思います。

河出文庫の古典の現代語訳は、以前、「国民の文学」シリーズで出たものと、「古典文庫」シリーズで出たものの(いや、ほぼ「古典文庫」のほうですね、たぶん)文庫化で、活字が大きいのが特徴です。

私は、3年前、「風景をまきとる人」を書き終わってハイになっているころ、ふだんあまり読まない方向の読書を集中的にしたことがあります。たぶん、本能的に自分をクールダウンできるような本を選んでいたと思います。まず、シャーロックホームズをすべて読み直し(そういえば、何回か前に触れた阿部知二さんは、創元文庫のホームズシリーズの訳者としていちばん知られているはずですよね)、続いて、河出文庫の「南総里見八犬伝」の現代語訳を読みました(こちらは初めて読みました)。真夏に、食うための仕事をまったくしていなかったので、クーラーもつけず、一日中読み続けていました。

勧善懲悪。簡単に言えば、それだけのテーマなのですが、とても痛快でおもしろく、3~4日で読み終えました。
明らかに、水滸伝や三国志演義の影響を受けていて、また誰でも気づくように、スケールとしては、それらに比べ小さいのですが、私は、八犬伝のほうが、やはり日本人なので、よいと思いました。
水滸伝は、逐語訳のものを約半分まで読んで挫折、三国志演義は抄訳でしか読んでいません。両方とも何種類かの翻訳で挑戦してみたのですが、途中でいやになったのは、水滸伝も、三国志演義も、読んでいると、いったいだれが義者なのか、裏切り者なのかがわからなくなってくるからなのです。結局のところ、「勝てば官軍」という、ご都合主義がこの両書には見られ、けっこうひどい裏切り者同士がくっついて、つぎに出てくるときは平気で民衆の怒りの代表みたいな顔をしているのです。
それが、逆にいえば、大陸的スケールを生み出しているのだとも言えるでしょう。しかし、私は日本人なので、こういう読み物を読むときには「いい者」と「悪い者」をはっきりさせておいてもらい、いい者は死んでも義を貫いて、悪い者は一度繁栄しても、やがては地獄に落ちる、というふうにしてもらわないと、興味を持続させることができないのです。
おそらく、作者の創作意図の第一も、「英雄伝だが、一本義の通った物語を書く」というところにあったのではないでしょうか。まあ、極端に言えば、修正版水滸伝を書いてやる、みたいな。
ご存知のように、この物語の作者、滝沢馬琴は、芥川龍之介の「戯作三昧」の主人公であり、「八犬伝」を読んでいるあいだも、戯作三昧のシーンがちらちら頭に浮かんできました。銭湯でのシーン、孫に観音様のメッセージを告げられるシーン、そうして、戯作三昧の最後で、馬琴がだんだんノってきて、八犬伝の世界に没入しているころ、妻と母親が、「たいしてお金にならないのにねえ」と別室でなげいているわびしい情景……。

 そういう意味では、八犬伝も、ドン・キホーテ的な書物ということになるのかもしれません。しかし、作者は自分の主人公を突き放して見てはおらず、ユーモアがあまり感じられないのは、この本が「読み物」で終わっている理由だと思います。

 でも、おもしろいです。もし、まだの方がいらっしゃったら、読んでみてはいかがでしょうか。

 では、また来週。
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