鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

30年前のノウハウはどこにあるのか

2007-11-17 | Weblog
 16日は第一次石油危機時代に交流したエネルギー関係者が年に1回集まる会合があった。エネルギーといっても主に電力関係者がほとんどで、鈍想愚感子は主に石油に関係したことが多かったのだが、ここでは石油関係者は小さくなっており、電力関係者の親睦会といった感が強い。それでも顔見知りもいなくはないので、毎回顔を出している。今回は冒頭の挨拶に立った勝俣恒久電気事業連合会会長(東京電力社長)が最近の円高を「干天の慈雨」と原油高を解消してくれるものとうまく表現していたのが面白かった。ただ、前回の電力料金値上げが1980年で、当時料金課長を務めていたが、いまその当時の事務方を務めた人はほとんどいなくて、ノウハウがないことを嘆いていた。電会社にとって料金値上げは大事業で、確かにそのノウハウが蓄積されていないのは嘆かわしいことだろう。コンピュータ化で事務作業がファイルの中に集約されてしまって、どこの会社でも見られる現象なのかもしれない。
 続いて、乾杯の挨拶に立った小林庄一郎関西電力顧問が「今年は電力業界にとって3つのよくないことがあった。1つは5月22日に業界人のだれしもが心の師と仰ぐ平岩外四・元東京電力社長が亡くなったこと、第2には原油価格が1バーレル(158リットル)100ドルを突破しそうな勢いで高騰したこと、そして第3には7月16日には新潟県中越沖地震が起きて刈羽原子力発電所が操業停止に追い込まれたことである。電力業界にとって今後に尾を引く大きな出来事であった」と言って、本当は乾杯できるような心境にはないと打ち明けた。
 考えてみれば、第1次石油危機から34年経っており、鈍想愚感子がエネルギーと関わった第2次石油危機から30年余を経過している。当時の原油価格は1バーレル20ドルくらいだった。第1次石油危機の時に同3ドルそこそこだった原油価格が一挙に4倍の12ドルとなり、大騒ぎとなった。いまでもはっきりと憶えているが、当時タンカーで原油を輸送するコストが1バーレル当たり1ドルで最終石油製品価格へ影響する度合いが高かったのが、原油価格が圧倒的に高くなって輸送コストを効率的にする努力が一遍に醒めてしまった。
 それがいまやはるかに高い80ドルから100ドルを超えんか、という水準にまできている。勝俣東電社長の言うように一部は円高で吸収できるだろうが、これまで省エネやエネルギー転換で吸収できていた原油価格上昇の衝撃はもう限界にきている。将来的なオイルサンドやオイルシェールの実用化もすぐには間に合うこともないだろう。
 となると、原油価格のもたらす日本経済への衝撃はしばらく続くことは避けられないだろう。その第1はすでに各方面で始まりつつある値上げラッシュであるが、需要面での反発もあるので、それだけでは吸収しきれないだろう。デフレから安定成長へうまく経済の舵取りが進んだように見えた日本経済もここしばらくは原油価格上昇の衝撃で混乱が続くことになることだろう。勝俣社長の30年前のノウハウ云々はそこまで含んだものではなかろうが、30年という時間は過ぎてみればアッという間であることはつくづく実感する。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする