鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

行きつけの東京・青山の古書店が閉店していて、淋しい思いをした

2017-12-19 | Weblog

 19日に東京・お茶の水の歯医者へ行った帰りにメトロの表参道駅で降りて、いつも立ち寄っている青山通り沿いの古本屋、タツミ堂書店を覗いたところ、店頭で若い衆と店主らしき人が全集ものを束ねていて、営業している風情はなかった。今日は休みなのか、と思ってよくみると、ドアの横になにやら張り紙がしてある。近寄ってみると、「86年営業してきたが、この16日を以て閉店します」と書いてあった。驚いて店主らしき人を見たが、何も言うわけがない。このところ、本屋街の神田神保町の古本屋街では相次いで名だたる古本屋が店を閉じていて、淋しい思いをしていたが、ここ青山で特異な古本屋として10数年来通ってきた古本屋も店を閉じてしまった。

 このタツミ堂書店は店内には内外の作家の全集ものが天井まで積んであり、店頭には単行本が1冊100円で並べてあり、これまでも隆慶一郎全集や林達夫全集、それに堀田善衛の「ゴヤ」、陳舜臣の「中国の歴史」などを購入してきたし、単行本では杉浦明平の「小説渡辺崋山」や安倍公房の「箱男」、塩野七生の「ユリウス・カエサル」、山口瞳の「居酒屋兆治」などを購入してきた。青山という背後に高級マンションが立ち並び富裕層が控えていて、いい本が仕入れられる好立地条件で、意外な掘り出し物が見つかり、重宝していたというのが正直なところだった。店主は80前後の老爺で、恐らく後継者もいなくて力仕事がdきなくなってきた、というのが閉店の理由かもしれない。歯医者に行ったり、都心に行ったりした帰りに表参道で降りて、この古本屋を覗くのが楽しみでもあった。

 1年くらい前にも神保町の岩波書店の本だけを扱う書店が店を閉じたり、数年前には巖松堂書店が廃業したし、小宮山書店もいまやかつての規模ではなく美術本中心に切り替えてしまって、神保町もすっかり昔の賑わいをなくしてしまっている。巖松堂はアマゾンと組んでネットで古書の扱いをしているようで、実店舗での販売からネット販売へ切り替えていることが明らかとなった。確かに古本の世界も店頭販売からネットへ移行しつつあるのは事実である。しかし、すべてネットへ移行していくのか、というとそうでもない。

 ことし6月に沖縄からやってきた友人が「沖縄には書店がない」といって、渋谷の東急百貨店7階のジュンク堂・丸善へ案内したら、大層喜んで、買いたい本を一通り見定めて帰っていったことがあった。新聞、雑誌での発売情報を見ただけでは一体どんな本なのか、見分けがつかないので、店頭で手に取って確かめたいという。それで沖縄に帰ってネットで注文するのだ、とも語っていた。

 ネットで注文するといってもその前にどんな本なのか、手に取ってみたい、という欲求は強いことだろう。新本に限らず、古本でも同じことが言える。どの程度の痛み具合いかは実際に見てみないとわからないところがある。そのうえで表示されている価格が妥当なものか判断がつく、ということになるのだろう。神田神保町のように古本屋が軒を並べているところも必要だろう。タツミ堂のように孤立店では立ち行くには難しいところもあろうが、多少まとまってあればそれなりの顧客吸引力は出てくることだろう。一読者としてはどんな形であろうと、実店舗で古本を備えている店はなんとしても生き残ってもらいたいものだ。

 

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