我が家といってもマンションの9階のベランダから富士山が見える。この秋の最低気温とかで、今日(10月23日)、富士山がくっきりと見えた。10年前に入居した時にはよく見えたのが、その後住宅やら、建造物が立て込んで、いまではアパートとアパートの間、なおかつ送電線の隙間からしか見えない。それでも姿がうかがえるだけでも喜ばなくてはならないのかもしれない。
いまでもそうだが、東海道新幹線で富士山の南を通過する際にいつも富士山が車窓から見えるか、見えないかでその日のツキを占う。「今日は富士山から富士山が見えたからツイてる」なんて思ったりしたものだ。それからすると、東京に居ながらにして富士山が見えることがあるなんて信じ難いことでもあった。いまでも冬の富士山の姿はまさに霊峰といった感じで、宗教的な畏怖さえ感じてしまう。だから、家から富士山が眺められるなんて幸運の賜物といえる。よく山中湖に行くが、富士山の真下に行っても富士山が見えるのは2回に1回だ。
で、マンションから富士山が見えるのは年に50日あるか、ないかだ。冷静に考えれば、天気が良くて多少冷え込めば、富士山が見えるのだ。それでも富士山が見えると、今日はツイてる、もしくは今日はいいことがありそうだ、と思えてくるのは富士山に対する特別な思いがあるからだろう。
いまでもそうだが、東海道新幹線で富士山の南を通過する際にいつも富士山が車窓から見えるか、見えないかでその日のツキを占う。「今日は富士山から富士山が見えたからツイてる」なんて思ったりしたものだ。それからすると、東京に居ながらにして富士山が見えることがあるなんて信じ難いことでもあった。いまでも冬の富士山の姿はまさに霊峰といった感じで、宗教的な畏怖さえ感じてしまう。だから、家から富士山が眺められるなんて幸運の賜物といえる。よく山中湖に行くが、富士山の真下に行っても富士山が見えるのは2回に1回だ。
で、マンションから富士山が見えるのは年に50日あるか、ないかだ。冷静に考えれば、天気が良くて多少冷え込めば、富士山が見えるのだ。それでも富士山が見えると、今日はツイてる、もしくは今日はいいことがありそうだ、と思えてくるのは富士山に対する特別な思いがあるからだろう。
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