先週末の土曜日は、久しぶりに暖かくなり天気もよくなるとのことで、神奈川の湯河原にある幕山に登りに行った。まずは、湯河原駅で下車し、路線バスで鍛冶屋まで行く。
湯河原の周辺は、鎌倉幕府開運街道と呼ばれている道がある。鎌倉幕府を開いた源頼朝が、挙兵し関東の源氏をまとめて平家を打ち破るが、その過程で頼朝や実平の強運や湯河原パワーの相乗効果で命を救われたと云われている。鍛冶屋のバス停近くには、湯河原トリプルパワースポットの一つである五所神社の楠木があり、クスノキパワーにより、健康長寿で、ボケ防止、勝負事や新規事業に勝てると言われているそうだ。
鍛冶屋バス停からは、歩いて幕山公園に向かう。幕山公園にある湯河原梅林には、約4,000本の紅梅・白梅が植えられており、2月上旬~3月上旬は「梅の宴」が開催され、”梅のじゅうたん”のごとく咲きほこり、園内は梅の香りに包まれる。もう満開の梅が見られるかと思っていたが、今年は寒い日が続いていたせいか、まだ7分咲きくらいだ。
9時過ぎ、幕山登山口から幕山山頂に向けて登り出す。
登山道は、梅林の中を縫うように進んでいく。
上に進むにつれ、蕾のままになっている梅が多く見られる。
それでも、場所によっては見事な梅の花が見られる木もある。
梅見をしながら山登りする人たちも多い。
白、紅、紅白混ざった花が1本の木に咲いている。
梅林の最高点を超えると、本格的な登山道だ。
登山口から30分ほどで東屋に到着する。急登で喉が渇いたので、途中の無人販売で買ったミカンを食べたりして休憩する。
見晴らしがいい場所からは、真鶴半島がくっきり見える。
10:10。幕山山頂626mに到着する。すでに山頂には多くの登山者が休んでいた。
我々は、さらに幕山をぐるっと周回するコースに進んでいく。
日陰の登山道は、霜が解けて泥濘んでいる場所が多く、滑りやすかったが、大石平という平らな場所まで下りてきた。こんな所にもクマ注意の看板が有り、クマが出るとは思いも寄らなかった。
山の神を通り過ぎる。
一ノ瀬という場所から林道をしばらく歩くと、「しとどの窟」への分岐に出る。距離は1100mとなっていたので、行ってみようと言うことになり、急な登山道を進む。
30分ほど、急坂を息をあえぎながら上っていくと「しとどの窟」への分岐に出た。
近くには、石仏やお地蔵さんが置いてあり、もうすぐだ。
「しとどの窟」に到着する。石仏が多数置かれ、人間が潜伏するにはなかなか広く雨宿りもできていい場所だ。
「しとどの窟」とは、源頼朝隠潜地として有名な場所だ。平治の乱に敗れ、伊豆に流されていた源頼朝は、治承4年(1180年)8月17日、北条時政や地元の豪族・土肥実平らの助けを得て、平家打倒の兵を挙げる。しかし、石橋山合戦で自軍の十倍の兵力を有する大庭景親軍に大敗し、主従わずか7名で山中に逃れ、この近辺を領地とする土肥実平・遠平父子の案内で洞窟や大木の洞に隠れ、敵の追手をかわした(世にいう七騎落)。この時、潜伏したと言われる岩窟が「しとどの窟」なのである。
洞窟に隠れていた頼朝主従は平家方の梶原景時に発見されるが、景時はわざと見逃し、頼朝を助けたという逸話が残っている。九死に一生を得た頼朝は、この後、実平が手配した小船で安房国(現在の千葉県南部)に渡って再起を図ったのである。この場面は、先日放送された大河ドラマのシーンにもあり、まさにタイムリーな場所に来ることができてよかった。
「しとどの窟」の前で記念撮影。
元来た道を戻り幕山公園に向かう。下山途中には、真正面に幕山が大きく見えた。
幕山公園まで戻ってくると、俄然人手が増えていた。天気に誘われて大勢の観光客も梅見に出てきたようだ。
朝よりも、梅の花の開花がかなり進んできたように見える。
幕山の岩壁は、ロッククライミングの練習場でも有り、何人かのクライマーの姿も見える。
幕山と湯河原梅林の全景。朝よりもずっと見応えのある景色になっていた。また、大きな岩は幕岩といい、湯河原トリプルパワースポットの一つでもある。苦難があっても恋愛が成就する。石にかじりついてもという献身の心が相手に伝わるというパワーがつくそうだ。
その後は、「梅の宴」会場内の売店で食事などして、湯河原駅に戻り、湯河原温泉で汗を流してから帰路についた。本当は、1週間前を予定していたのだが、寒くて天気を悪いことを予想して延期したのが幸いした。ぽかぽか陽気の中、いい登山日和の一日だった。
参考1.今回の高低図&コースタイム
参考2.今回のコースマップ
湯河原の周辺は、鎌倉幕府開運街道と呼ばれている道がある。鎌倉幕府を開いた源頼朝が、挙兵し関東の源氏をまとめて平家を打ち破るが、その過程で頼朝や実平の強運や湯河原パワーの相乗効果で命を救われたと云われている。鍛冶屋のバス停近くには、湯河原トリプルパワースポットの一つである五所神社の楠木があり、クスノキパワーにより、健康長寿で、ボケ防止、勝負事や新規事業に勝てると言われているそうだ。
鍛冶屋バス停からは、歩いて幕山公園に向かう。幕山公園にある湯河原梅林には、約4,000本の紅梅・白梅が植えられており、2月上旬~3月上旬は「梅の宴」が開催され、”梅のじゅうたん”のごとく咲きほこり、園内は梅の香りに包まれる。もう満開の梅が見られるかと思っていたが、今年は寒い日が続いていたせいか、まだ7分咲きくらいだ。
9時過ぎ、幕山登山口から幕山山頂に向けて登り出す。
登山道は、梅林の中を縫うように進んでいく。
上に進むにつれ、蕾のままになっている梅が多く見られる。
それでも、場所によっては見事な梅の花が見られる木もある。
梅見をしながら山登りする人たちも多い。
白、紅、紅白混ざった花が1本の木に咲いている。
梅林の最高点を超えると、本格的な登山道だ。
登山口から30分ほどで東屋に到着する。急登で喉が渇いたので、途中の無人販売で買ったミカンを食べたりして休憩する。
見晴らしがいい場所からは、真鶴半島がくっきり見える。
10:10。幕山山頂626mに到着する。すでに山頂には多くの登山者が休んでいた。
我々は、さらに幕山をぐるっと周回するコースに進んでいく。
日陰の登山道は、霜が解けて泥濘んでいる場所が多く、滑りやすかったが、大石平という平らな場所まで下りてきた。こんな所にもクマ注意の看板が有り、クマが出るとは思いも寄らなかった。
山の神を通り過ぎる。
一ノ瀬という場所から林道をしばらく歩くと、「しとどの窟」への分岐に出る。距離は1100mとなっていたので、行ってみようと言うことになり、急な登山道を進む。
30分ほど、急坂を息をあえぎながら上っていくと「しとどの窟」への分岐に出た。
近くには、石仏やお地蔵さんが置いてあり、もうすぐだ。
「しとどの窟」に到着する。石仏が多数置かれ、人間が潜伏するにはなかなか広く雨宿りもできていい場所だ。
「しとどの窟」とは、源頼朝隠潜地として有名な場所だ。平治の乱に敗れ、伊豆に流されていた源頼朝は、治承4年(1180年)8月17日、北条時政や地元の豪族・土肥実平らの助けを得て、平家打倒の兵を挙げる。しかし、石橋山合戦で自軍の十倍の兵力を有する大庭景親軍に大敗し、主従わずか7名で山中に逃れ、この近辺を領地とする土肥実平・遠平父子の案内で洞窟や大木の洞に隠れ、敵の追手をかわした(世にいう七騎落)。この時、潜伏したと言われる岩窟が「しとどの窟」なのである。
洞窟に隠れていた頼朝主従は平家方の梶原景時に発見されるが、景時はわざと見逃し、頼朝を助けたという逸話が残っている。九死に一生を得た頼朝は、この後、実平が手配した小船で安房国(現在の千葉県南部)に渡って再起を図ったのである。この場面は、先日放送された大河ドラマのシーンにもあり、まさにタイムリーな場所に来ることができてよかった。
「しとどの窟」の前で記念撮影。
元来た道を戻り幕山公園に向かう。下山途中には、真正面に幕山が大きく見えた。
幕山公園まで戻ってくると、俄然人手が増えていた。天気に誘われて大勢の観光客も梅見に出てきたようだ。
朝よりも、梅の花の開花がかなり進んできたように見える。
幕山の岩壁は、ロッククライミングの練習場でも有り、何人かのクライマーの姿も見える。
幕山と湯河原梅林の全景。朝よりもずっと見応えのある景色になっていた。また、大きな岩は幕岩といい、湯河原トリプルパワースポットの一つでもある。苦難があっても恋愛が成就する。石にかじりついてもという献身の心が相手に伝わるというパワーがつくそうだ。
その後は、「梅の宴」会場内の売店で食事などして、湯河原駅に戻り、湯河原温泉で汗を流してから帰路についた。本当は、1週間前を予定していたのだが、寒くて天気を悪いことを予想して延期したのが幸いした。ぽかぽか陽気の中、いい登山日和の一日だった。
参考1.今回の高低図&コースタイム
参考2.今回のコースマップ