prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「西部に来た花嫁」

2007年05月13日 | 映画
昭和初めの日本には「ピクチャー・ブライド」(同題の映画にもなった)なんて言われた写真だけを頼りにアメリカに嫁いだ女性がかなりいたらしいが、これはその北欧版。
もっと時代が古いので写真は使えなかったらしくmail-order brideなんて言われている。

北欧女のリヴ・ウルマンが傲慢な西部男ジーン・ハックマンのもとに嫁ぎ、えんえんと喧嘩しながらなんとか一緒に暮らすのを、スウェーデン出身のヤン・トロエル監督がしんねりむっつりしたタッチで描く。

続編にImmigrants(移民たち)があり、深夜テレビで放映したのをちょっと見た。大勢の移民たちが一度に絞首刑になるシーンがあったと記憶している。
(☆☆☆)


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Zandy's Bride - Imdb

西部に来た花嫁 - allcinema

「ロッキー・ザ・ファイナル」

2007年05月12日 | 映画
還暦ボクサーなんてプロレスじゃあるまいしムリヤリな話になるのはわかりきっているので、どうやってそれをもっともらしく見せるかという小技に注目。

歴代の名ボクサー同士のバーチャル対決がきっかけになるというのは、ありそうな話。
あとチャンピオンが人気がないので取り巻きたちが往年の人気者であるロッキーを担ぎ出してビジネスにしようとするというのは、もっとありそうな話。ただし若いチャンプがとってつけたようにナマイキになったり割とマジメになったりと性格付けがあいまい。

明らかに実力に開きがある対戦で、一気にその差が縮まるというのは一作目ではラッキーパンチがうまく入ったから、というのが強調はしていないがはっきりわかるように描いていた。二度同じ手は使えないのでどうするのかと思ったら、うまく切り抜けました。本当の小技なのだが、こういう細かいところにこそ作り手のクレバーさが出たと思う。

対戦シーン、色を抜いたり変な具合に映像処理しているのは感心しない。
一作目から30年経ったファアデルフィアの街が、なんだか一段とうらさびれたみたい。
(☆☆★★★)



「あしたの私のつくり方」

2007年05月11日 | 映画
ここでは携帯が重要なコミュニケーションのツールになっているわけだが、マスコミ的にはえてして表面的なつきあいの象徴のようにとらえられがちな携帯、特にメールが、周囲のちょっとした空気の乱れにも敏感に反応している少女たちの支えとしての表現になっている感覚の細やかさが見もの。
森田芳光の「ハル」以来、デジタルツールを人間的なニュアンスをこめて描いて見せた好例。

自己肯定感が弱い少女たちが、「ありのままの」とか「本当の」自分、という紋切り型ではなくて、人とのつながりの上で自然と色々な顔を見せる自分(たち)でいいんだ、という手ごたえをつかむまでの話。

小説を書こうという少女のもとに太宰治の作品があるのは当たり前すぎるくらいだが、長部日出雄によると太宰の作品の語り口の特徴は読者を擬似二人称に見立てて直接語りかけているかのような体裁をとっていることで、それがそれぞれの読者に「作者に選ばれた」「この作者をわかるのは自分だけだ」と思わせる効果をもたらしている、という。
作中で書かれている小説はまさに特定の相手に向けて直接書かれているわけで、どこかに「自分を見ている人がいる」という感覚を持つこと自体が救いになっているよう。

ネットで検索をかける場面でyahooやgoogleではなくgooのサイトが出てくるので、撮影に協力したからかなと思ったら、エンドタイトルでしっかり「特別協力」とか出る。何したんでしょ。

クライマックスで携帯のテレビ電話機能というのが出てくる。私が持っている携帯にもある機能だが、使った試しがない。あれだけ使うとどれくらい通信費がかかるのだろう、と余計なことを考えてた。
(☆☆☆★)



「ミラーを拭く男」

2007年05月10日 | 映画
緒形拳扮する初老の男が、交通事故を起こしたのがきっかけなのか、カーブミラーを片端から拭いてまわるうち、ミラーを拭く旅に出る。
拭くとミラーがたわんで写っている像がぶにぶにと収縮したり、家の中をもっぱら一方方向からの長い移動撮影で撮ったりしているのが、ちょっと実相寺昭雄みたいな画作りで面白く寓意っぽさもあるが、途中から交通安全とは関係なく拭いて回るのが自己目的化してから、どう展開させていいかわからなくなったみたいに単調になる。
マスコミが絡んだりしてもそれで話が膨らむわけではない。
偏屈なのか、ディスコミュニケーションなのか、緒形拳のセリフが極端に少ないが、黙っていることがあまり積極的な表現になっていない。
(☆☆★★★)


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ミラーを拭く男 - goo 映画

「潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ」

2007年05月09日 | 映画
主演がリチャード・ハリスとロバート・デュバル、それに「スピード」(1994)でブレイクする直前のサンドラ・ブロック、シャーリー・マクレーン、パイパー・ローリーといった相当な豪華キャストなのだけれど、いかにもシブイ感じで劇場未公開(1993)。

劇中の映画館で上映されているのが「避暑地の出来事」(59)と「華麗なる賭け」(68)と間が十年も開いているが、まず70年代の話だろう。前者の今見るとカマトトなやりとりと後者の大胆に唇がアップになるキスシーンと、ずいぶん若者の風俗が変わっていく時代で、老人たちにはあまり関係なさそうで何気に影響している。

ただ、孤独ではあっても年取っても矍鑠としてロマンスも体験して、という描き方は「若い人が頭で考えている老人」ではないか、と思って調べてみると、クリス・コンラッドの脚本はもとはフロリダ大学とノースウェスタン大学の創作コースで書き上げたもの。案の定、というか。

原題はWrestling Earnest Hemingway、ハリスが若い時にヘミングウェイとレスリングをしたことがあるという設定から。
(☆☆☆)


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「ブラッド・ダイヤモンド」

2007年05月08日 | 映画
松本 仁一著の「カラシニコフ」で家族を奪われカラシニコフ自動小銃で武装させられた少年兵の存在は知ってはいたが、具体的にスクリーンで見ると、特に父親に向って銃を向けるシーンはショッキング。
ハリウッド映画としてはぎりぎりの表現だろう。実際の悲惨さはそんなものではないだろうが、それを改めてしたり顔で指摘してみせても仕方ない。
アフリカの悲惨をまたハリウッド映画が「商売」にしていると非難してみせるのもまた。

「小さな大量破壊兵器」とも言われ、実際もっとも多くの人間を殺してきた銃であるだろうカラシニコフを少年兵を含む武装勢力が一斉に撃ちまくるシーンの特殊視覚効果と音響は、なんだかいてもたってもいられないような怖さ。

レオナルド・ディカプリオがまだ悪人である分、人間的であるようなキャラクターをすっかり青っぽさをぬぐって好演。ジャングルにいると山猫みたいだな、と思った。
アフリカの悲惨さの根源である肥大化した資本主義と権力のメカニズムだけに則って動く自動人形のような「将軍」だの「外国資本」などの連中は、非人間的になりすぎてもはや悪「人」ですらないような気がする。ことはシステムやメカニズムの問題で、彼らが改心すれば物事がいくらかでも改善するというレベルではない。

ダイヤモンドの価格が「作られた」ものであることは知っていたが、それが取り引きさる間にどれだけ血塗られてきたかを見せられてからだと、ウィンドーに飾られているダイヤのネックレスがなんだか悪い冗談のように見える。

本物のアフリカ生まれであるジャイモン・フンスーの顔や体型は、同じ黒人でも「アフリカ系」アメリカ人とは違う感じ。

主要な白人のキャラクターがジェニファー・コネリー(この人もうまく年取った)を除いて、全部アフリカ生まれなのが興味深い。アフリカは黒人のものというばかりでなく、そこに混ざり定着した白人のものでもあることを教える。白人が奪ったものを黒人に返してやればいいとでもいった調子で部族社会をそのまま安直に独立国とスライドするのを認めたのが、今の悲惨の一因になってもいるのだろう。
(☆☆☆★★)



こんな夢をみた ジェームス・キャグニー編

2007年05月07日 | 映画
こんな夢をみた。

クラブでジェームス・キャグニーに脅される。
「ネコ」をお題にしたコントを書け、使えるのは小さなステージ一つとそこにいるダンサーだけだ。
それでできたのが、これ。

・ダンサーたちが並んで踊っている。
・その前を黒ネコに扮したキャグニーが横切る。
・ダンサーたちがバタバタと滑って転ぶ。
・その前で黒ネコキャグニーが鮮やかにタップダンスをささっと踊ってみせて、引っ込む。

…というもの。
なんで、突然キャグニーが現れたのか目がさめてから考えたら先日「白熱」を見ていたかららしい。
ただしキャグニー主演版ではなく、日本題は同じでもバート・レイノルズ主演で、内容もまったく関係ないのだが。

註をつけると、ジェームス・キャグニー(1899~1986)は往年のギャング映画のスターだが、アカデミー賞はミュージカル「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」で受賞している。


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「ブレイブ ストーリー」

2007年05月06日 | 映画
宮部みゆきの原作は知らないが、ゲーム風という印象が強い。
プロット+キャラクター+声優の知名度…といった感じで内容・製作の両方にわたって、足し算引き算で作っていったよう、というか。
「オズの魔法使い」の昔から、ファンタジーの世界が現実から逃避するツールではなく、ときおり現実が嵌入してくる鏡、という構造はあるけれど、これもそのパターン。
ファンタジーだからといって、避けられない不幸を避けられたりする(ハリウッド映画だと平気で死んだ人間がほいほい甦ったりする)安直さはないけれど、大風呂敷を広げた割りに展開が駆け足で、何を体験して学んだかという重みは不足気味。

今だとドラマではキャストの誰が視聴率何パーセントだから誰と足せば何パーセントとれるはず、という作り方をしているらしいけれど、似たようなもの。で、実際にその通りになるんですか、計算が立っているんですか、というともちろんその通りにはいかない。
いかなくても不思議とやめる様子はないのは、大袈裟でなく戦争に似ている。
企業群がコラボして作った作品に「欲望を抑えよ」と説教されるというのも妙な気分だが、説教自体が商品なのだね。
(☆☆★★★)


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「白熱(1973)」

2007年05月06日 | 映画
原題のwhite lightningというのは「密造酒」という意味の隠語。アメリカ南部で北部の連邦政府に酒税なんか払えるかと密造酒を作ってトラックを自在に操り、取り締りを振り切るのを誇りとするドライバーが大量発生し、今でもレース化しているが、その走りっぷりを形容してのことらしい。

ここでは保安官が悪の親玉で、弟を保安官に殺されたバート・レイノルズをその手先が車で追ってくる、というさかさまになった設定がアメリカ史がらみで一応面白い。
あとは普通のアクション映画。
(☆☆★★★)


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