prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「あしたの私のつくり方」

2007年05月11日 | 映画
ここでは携帯が重要なコミュニケーションのツールになっているわけだが、マスコミ的にはえてして表面的なつきあいの象徴のようにとらえられがちな携帯、特にメールが、周囲のちょっとした空気の乱れにも敏感に反応している少女たちの支えとしての表現になっている感覚の細やかさが見もの。
森田芳光の「ハル」以来、デジタルツールを人間的なニュアンスをこめて描いて見せた好例。

自己肯定感が弱い少女たちが、「ありのままの」とか「本当の」自分、という紋切り型ではなくて、人とのつながりの上で自然と色々な顔を見せる自分(たち)でいいんだ、という手ごたえをつかむまでの話。

小説を書こうという少女のもとに太宰治の作品があるのは当たり前すぎるくらいだが、長部日出雄によると太宰の作品の語り口の特徴は読者を擬似二人称に見立てて直接語りかけているかのような体裁をとっていることで、それがそれぞれの読者に「作者に選ばれた」「この作者をわかるのは自分だけだ」と思わせる効果をもたらしている、という。
作中で書かれている小説はまさに特定の相手に向けて直接書かれているわけで、どこかに「自分を見ている人がいる」という感覚を持つこと自体が救いになっているよう。

ネットで検索をかける場面でyahooやgoogleではなくgooのサイトが出てくるので、撮影に協力したからかなと思ったら、エンドタイトルでしっかり「特別協力」とか出る。何したんでしょ。

クライマックスで携帯のテレビ電話機能というのが出てくる。私が持っている携帯にもある機能だが、使った試しがない。あれだけ使うとどれくらい通信費がかかるのだろう、と余計なことを考えてた。
(☆☆☆★)