prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「恐怖のバランス」

2006年03月17日 | 映画



デジタルカメラを使った「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」風に極端に対象に寄った画面を編集、というよりばらばらのままコラージュしている感じの作り方。
うがって見ると、テロリストの視点に合わせて一種の視野狭窄症に陥っている状態を再現しているようでもある。
時間が逆行したり、場所もあちこちに飛ぶので、かなり全体像がつかみにくい。フランス語と英語ほかの言語がごちゃまぜになって出てくるので、どこの国のどんな人種のキャラクターなのかわかりにくいせいもある。
核兵器の原料になる物質がどこかに行ってしまい痕跡も辿れなくなっているあたりが、嘘みたいな分逆にリアル。
(☆☆☆)

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「ホテル・ルワンダ」

2006年03月16日 | 映画
主人公が恵まれた立場にいたことは否定できないだろう。さしあたって虐殺「する」側にあったフツ族の出(といっても、植民地化したヨーロッパ人の見かけに拠った恣意的な分類にすぎないが)であること、四つ星ホテルの支配人であること。経済的にも恵まれていたこと。
また、基本的に家族や親しい人間に限って助かろうとしているのであって、初めから博愛精神にあふれていたわけではない。
もちろんそれが功績を減殺するわけがないが、ただ何らかの力がなければ、人を救うことはできないかと今更ながら思わさられる。

大勢人を救ったのが立派という描き方ではなく、命を救うためならむしろ堂々と賄賂を使ったり、避難民たちに外国の知り合いに電話攻勢をかけさせたり、ついには「将軍」を虐殺の責任を問われるぞと逆にゆすったりする知恵の回り方がお見事。
ドン・チードルは、ホテルマンとしての如才なさと恐怖を押し隠しながら戦う勇気と、家族に対する愛情とをないまぜた好演。

外国人の特権で早めに脱出できる報道陣たちがバスで出発する場面、大半が後ろめたさと無力感から押し黙っているのに混じって、取り残される大勢の現地人たちに一見暢気にカメラを向けているのがいるのが見えた後、現地人たちが雨にうたれてたたずんでいる情景につながれる断絶感の深さ。

ラスト近く、無数の難民たちをかきわけてわずかに外国に脱出できるルワンダ人たちを乗せたトラックが行く場面、桁外れの悲惨さとともに、わずかな立場の違いが生死を分ける不条理もありありと感じさせる。

フランスのオーナーに電話する場面を含めて全編英語だが、妙になまりがある感じ。

国連軍の大佐(ニック・ノルティ)が我々はpeace-keeperであってpeace-makerではない、というのが皮肉に聞こえる。平和などすでに存在していないのに、どうkeepするのか。
銃を撃てない軍などナメられきっているのが、イラクにいる自衛隊ともだぶって、なんとも歯痒く見える。

あまり製作費をかけられなかったみたいで画面の仕上がりのレベルはそう高くない。虐殺の場面でも、良くも悪くも目をそむけたくなるような画はあまりない。

映画とはズレるが、緒方貞子氏の著書「難民支援の現場から」で、逃げ出した難民たちの中にも武器を隠し持っている者が大勢いてキャンプで虐殺が繰り返されかねない、それでも難民を受け入れるべきかどうか氏が判断を問われる場面がある。結局、さしあたって「命を守ること」を基準にして受け入れるわけだが、「結局こういう状況を解決できるのは、政治しかないのです」とあるのが重い。
(☆☆☆★★★)

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「美しき野獣」

2006年03月14日 | 映画
相変わらず韓国映画は女性客ばっかだが、内容はとことん暑苦しい男の映画。
昔の東映ヤクザ映画みたいに主人公がとことんマゾヒスティックなまでに追い込まれていくところといい、対立しているかのようだった二人の男が一蓮托生になるところといい、母親を含めて女を不幸にしっぱなしなところといい。
ついでに、ヤクザが出所するところでスーツ姿の子分たちがずらっと両脇に並んで出迎えるのも、どこかでさんざん見たような絵柄。

クォン・サンウが骨身を惜しまず走り回りとび蹴りを含めた乱闘を演じるのは、見ごたえあり。本当に痛そうな感じがする。カーチェイスで反対車線を逆行するスタントも、日本ではできないだろう。
重要な小道具であるメモの隠し方はいささか安易。あれで見つからないはずがあるかと思わせる。

高層階の割れた窓を潜り抜けたカメラがそのまま地上にまで一気に降りて飛び降り自殺に見せかけて突き落とされた男の死体を捉え、また上昇して今度は窓を外から写す、といったカメラワークなど、大いに冴えている。
(☆☆☆★)

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「チャンピオン」

2006年03月13日 | 映画
カーク・ダグラス主演、マーク・ロブソン監督の1949年作。
製作・スタンリー・クレイマー+脚本・カール・フォアマンは「真昼の決闘」のコンビ。

貧しさから身を起こし、まわりの人間を傷つけながらボクシングのチャンピオンにのし上がるが、その絶頂で倒れる主人公はダグラス自身と同様にユダヤ系で(巨人ゴーレムに喩えられる台詞あり)、対戦相手がアイリッシュといった、黒人全盛になる前の時代。
暗い殺伐としたムードを出した、フランツ・プラナーの白黒撮影が出色。
クライマックスのダグラスの鬼神のような顔の凄いこと。

昔のボクシングのトレーニング法は、今と比べるとずいぶんマイナーな感じ。
金儲けが第一で当たり前に八百長が横行する体質など、人間の醜い面を厳しい調子で描いているのは、赤狩り時代のハリウッド映画らしい。

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「死者の書」

2006年03月12日 | 映画
川本喜八郎相変わらず入魂の一作だが、長編となると「鬼」「道成寺」「火宅」あたりの短編のスゴ味と不条理感は薄れるみたい。
人形に命を吹き込む人形アニメだと生死のあわいが自然に表現できる。

折口信夫の原作同様、近代の直線的なものとは違う中世の多焦点的な時間や「語り」の感覚を再現しようとしているよう。志が高いのはわかるが、その分いささかとっつきにくい。
実写では吉田喜重の「嵐が丘」が試みていたことに近い。

基本的に顔の表情は動かないで、局面の変化によって色々な表情に見えてくるというのはウルトラマンみたい。というか、日本的なマスクのあり方なのかも。

エンドタイトルの協力者の名前の多いのなんのって何百人もずらっと並ぶのにちょっと参る。大山のぶ代、ジェームズ三木、古川タクなど知っている名前もちらほら。

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「都会を動かす手」

2006年03月11日 | 映画
1963年製作。フランチェスコ・ロージ監督、ロッド・スタイガー主演。
以前イタリア文化会館で上映されたのを字幕なしで見たが、まるで理解できなかった。日本公開の予定もあったはずだが(佐藤忠男の評論集に収録されている)中止になり、DVDも出ていないので今回の字幕つき放映(3/4)はありがたい。

40年以上前のイタリア映画だというのに、描かれている政治の腐敗ぶりは呆れるほど今の日本そのまんま。
土建屋の土地の不法取得と地上げ、手抜き工事による死亡事故、選挙を乗り越えることで禊が済んだことにして罪を逃れる策謀、特別法をこしらえてその場をごまかす、などなど。
「政治にモラルはない」「書類を調べるのに最短で半年、まず二年はかかる」などの台詞もそのまんま通用する。

紛糾する議会や退去を強制される住人の抵抗などの、大勢の人間が押し合いへし合いして自己主張してぶつかりあう場面のヴォリュームがすごい。このあたりは日本では真似できないところで、おそらく素人を多く使っているのだろうが、リアルであると同時に隅に写っている奴まで芝居っ気たっぷり。ロージの演出力の見せ場でもある。
左翼があまり青っぽくなくてタフな感じなのもお国柄か。

ほとんどの場面でエネルギッシュに振舞っているスタイガーが教会にお参りする場面で、ろうそくに火をつける代わりに偽のろうそくの電気の明かりがついていくのが、内面の空虚さに対応しているよう。

ラストに出る字幕はイタリア語だったのでよく読めなかったが、これはフィクションで実際の人間や事件に似ているのは偶然云々といっているみたい。これは明らかに文句言われた時のエクスキューズ。途中でぶちっと切れた感じで終わるのは、モデルになった事件が製作当時現在進行形だったかららしい。
カメラ・オペレータにのちにロージの大半の作品を担当するパスカリーノ・デ・サンティスの名前が見える。

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「ブレージング・サドル」

2006年03月10日 | 映画
ユダヤ人と黒人のガンマンの組み合わせというのは随分挑発的で(南部だと一番睨まれる組み合わせの筈)、やたら黒人の巨根ぶりを暗示したり、黒人の開拓民をインディアン(監督のメル・ブルックス自身が演じている)が「我々より色が黒い」と見逃したりと、下ネタと人種ギャグがいっぱい。人種ギャグは情報が伝わった分、日本でも公開当時(1974)よりわかりやすくなっていると思う。

字幕放送だが、原語の台詞にピー音が入らず堂々とniggerと連呼されているのは、アメリカの全国ネットのテレビじゃムリだろうなあ。

もうすぐ「プロデューサーズ」が公開されるメル・ブルックスの初期作品。ここでも突如として西部劇からその撮影中のスタジオに場面が広がり、別のステージで撮影中という形でいささか強引にレヴュー場面が出てくる。

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「ジャーヘッド」

2006年03月07日 | 映画
オープニングの海兵隊の訓練風景は嫌でも「フルメタル・ジャケット」を思わせるが、その後も頻繁に過去の戦争映画が引用される。「地獄の黙示録」はもろに上映会の様子が出てくる(「ワルキューレ」に乗ったヘリコプター部隊の襲来に若い兵士たちが発情した動物のような大騒ぎ)わ、「ディア・ハンター」の「カヴァティーナ」は出て来るわ、兵士がガスマスクをかぶって「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの真似をするわで、「戦争」そのものが現場の兵士にとってさえ実感が薄れ、「映画みたいなもの」になっているよう。

戦闘シーンらしい戦闘シーンはなく、空港を空爆するカットなどわざわざガラス窓に写して見せている。代わりに見られるのは、炎が消え去った後の黒こげになった死体であり、火がつけられた油田の黙示録的な風景だったりする。
戦場にいて平時を思い平時にいて戦場を思うという具合の文学的なセンスが強い。トイレでカミュの「異邦人」を読んでたりしてね。が、その分かったるくもある。

それにしても、海兵隊は妙にHEADという言葉が好き。「フルメタル・ジャケット」ではトイレの意味で使われていたし。
(☆☆☆)

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アカデミー賞

2006年03月07日 | 映画
作品賞 「クラッシュ」
監督賞 アン・リー(「ブロークバック・マウンテン」)
主演男優賞 フィリップ・シーモア・ホフマン(「カポーティ」)
主演女優賞 リーザ・ウィンザースプーン(ウォーク・ザ・ライン」)
助演男優賞 ジョージ・クルーニー(「シリアナ」)
助演女優賞 レイチェル・ワイズ(「ナイロビの蜂」)

これだけ主要部門がバラけた結果も珍しい。全員が初受賞というのは新鮮でいい。どこかの国みたいにいつも似たような雁首を並べられるはヤだものね。
「クラッシュ」は多少「ミリオンダラー・ベイビー」の余勢をかった感じ。 「ブロークバック…」が落としたのは、やはり同性愛映画はブレーキがかかるか。
「ハウル」が落ちたのは予想通り。

社会派的な作品が多かったせいか、テロを警戒していたせいか、ちょっと地味めな気がする。しかし、この受賞結果、全部日本の公開での宣伝に使えるのだね。みんな、これからなのだから。それだけ日本の公開は遅いということ。

「SAYURI」が撮影・美術・衣装デザインで受賞。「リアル」な日本ではないが、エキゾチックなコスチューム・プレイとして評価されたということか。

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「PROMISE」

2006年03月07日 | 映画
珍作。
ど派手を通り越して絶句するような色彩やデザインといい、チャン・ドンゴンが重力を無視し岩壁を「カリオストロの城」ばりに身体を横に倒して走ったり、鳥のコスチュームを着た女がでかい鳥かごに閉じ込められたり凧みたいに空を飛んだりと、「白髪三千条」を狙ってハズしてるみたいな冗談としか思えないシーンがてんこ盛り。
なんだか、アニメかファンタジー系のゲーム見ているような気がしてきた。
チェン・カイコーって、アメリカで撮った「キリング・ミー・ソフトリー」とか、なんかの間違いみたいなのを結構作りますね。

女にうつつを抜かしているシーンの真田広之のいやにだらしない顔が地みたいで可笑しい。
その女が三人の男を虜にするほどいい女に見えないのが困る。
まさかと思ったら、上映前にサラ金のプロミスのCMが流れた。
(☆☆★★★)

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「暗黒街」

2006年03月05日 | 映画
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、ジョージ・バンクロフト主演の1927年作品。ベン・ヘクトがアカデミー原案賞(Original Story)。
余談だけれど、淀川長治の投稿家時代のペンネームがバンクロフトからとって「バン・黒子」。

顔役と部下と情婦との三角関係の綾のつけ方がヤクザ映画的な奇麗事で(逆か)、現実にはおよそありそうではないのに映画的には濃厚で魅力あり。
公開前はコケると思われていて、ヘクトは名前をクレジットから外させようとしたら大ヒットしてオスカー受賞。なんのこっちゃ。

「リオ・ブラボー」の冒頭の、無法者が痰壷に金を放り込んでうらぶれ男に拾わせようとする“手”が使われていた(逆か)。情婦の名前がフェザース(これも「リオ・ブラボー」のヒロインの名前に使われている)で、羽根を大胆にあしらった衣装がスタンバーグ趣味。
パーティのシーン、やたらとテープが使われているのもそう。牛の模型がちらっと写るのは、モーセが十戒を授かって帰ってくるまでに待てない民衆が作った偶像になぞらえているよう。

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