prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「瞳をとじて」

2024年02月20日 | 映画
冒頭の室内シーンは製作途中で中断した映画のワンシーンのはずなのだが、冒頭に置かれているのでそれ自体映画中映画という文脈からは微妙に外れている。

登場人物の年齢が上がったのはエリセ自身が歳をとったということだろう。探し求められる少女の若さ美しさがそれに対置されるわけだが、作り手のスタンスは「ミツバチのささやき」からは遠く離れているのがアナ・トレントの出演によってより明確になっている。
ミゲルが持っている携帯がスマートフォンではなくガラケーなのがふさわしい。

監督と主演男優の二人が元水兵で、おそらく若い時世界を共にまわってきたであろう時間が、二人が離れていた時間と重ねられる。

映写技師が扱う手と映写機の間でフィルムのモノとしての存在感を改めて教える。

「ミツバチのささやき」を品田雄吉は「これは詩的な映画なのでなく、純粋な詩そのものなのだ」と評したが、ここで主に映画関連のさまざまな引用が散りばめられているのは詩に対する注釈のようなものだろう。
長い時間をかけて降り積もってきた感情の現れとも言える。

ラストでまた映画中映画が枠を飛び越えて「ミツバチのささやき」の「フランケンシュタイン」のように直接見る者=映画中映画を見る観客だけでなく、それを見る我々の感情をわしづかみにしてくる。