PMS(月経前症候群)とかパニック障害といったあまりなじみのない症状を一応モチーフにしているのだけれど、それらについて啓蒙しようとか理解を求めるといった作りにはあまりなっていない。
上白石萌音がかなり大きな会社に勤めていたのがPMSが原因で辞めざるを得なくなり、いくつかの臨時雇いを転々としてからミニチュアのようなプラネタリウムを作っている会社に再就職し、そこでパニック障害を抱えた青年松村北斗 と出会う。
その出会うところからストーリーが動き出すわけではなく、青年が障害を抱えているのを観客に伏せて何だか態度の悪い男という具合に提示しておいて、男が服用している薬の種類をヒロインが見て心当たりがあったので困っている男に届けるというなんでもないような親切というより当然に思える反応から入っていく。そのなんでもないようなことが、両方ともハードルになっているのだろう。
アメリカ映画の作劇だったら「ストーリーエンジンがついてない」と言われるだろうなと思った。つまり主役の男女が出会うところからストーリーが動き出すわけではなく、というより動かそうとあまりしていない。
精神科医がやたらとたくさんの本を背景に入れている。わかりきったようなことしか言わない先生だなはじめは思うのだが、そのうちわかりきったことを繰り返すのも患者を安定させる手かなと思えてくる。
プラネタリウムというのがだんだん重要なモチーフであることがわかってくる。プラネタリウムそのものがミニチュアというのが、星空のミニチュアを映写する機能とだぶる。
星座を考えた人たちにとってはあまりに茫漠とした星空から星座という関連づけを考えたのだろうが、それ以前のカオスから聖書の光あれではないが夜明けが来るというより根本的な発想がある。