prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ハスラー」

2022年11月03日 | 映画
始まってすぐとにかく登場人物がよく酒を呑むのに驚いた。
主人公のエディにしてからが昼日中からプールバーに車で乗り付けるなりショットグラスを開け続け、運転手は別にいるんだよねと心配になる(もちろんマネージャーが運転する)くらい。

酔って腕が鈍っているように見せてエディの腕前を知らない素人を騙して賭け金を釣り上げる作戦でもあるわけで(「ハスラー2」ではエディ自身が若いホイットニー・ウィテカーにひっかかる)、中盤このトラップを見破られるとリンチを受けることになる。

純粋な競技と違って勝てばいいわけではなく、まずカネのためにビリヤードをやっているわけで、動かすカネを増やすのにギャラリーからも賭け金を吐き出せるための興奮=ハッスルさせるハスラーの手口として、プロレスなどにも通じる複雑な駆け引きが絡む。

しかし飲み過ぎれば当然本当にヨレヨレになって腕が落ちてしまうわけで、このあたりの自制ぶりを勝者であるミネソタ・ファッツの立ち居振舞いのひとつひとつに見せる。ウィスキーを飲むにしてもストレートではなく氷と水で割り、休憩をとり、顔を洗い、コンディションを整える。普通だったらプレイに入る前にジャケットを脱ぐが、逆に着こんで身だしなみを整えるのだ。

さらに不気味なのがジョージ・C・スコットで、登場シーンではポーカーの最中だというのにミルクを飲んでいるという調子。エディに目障りだからどいてくれと言われても、5センチくらい椅子をずらすだけと(そしてエディの方もそれ以上文句を言えなくなる)何ともいえない威圧感を見せる。

このあたりの演技の付け方、撮影·美術·音楽·編集の隙のなさと雰囲気の醸成はまことに見事(アカデミー撮影、美術賞受賞)。

同じ原作者ウォルター·テヴィスの「クイーンズ·ギャンビット」では酒以上にドラッグの常用が問題になっていたが、こちらの原作ではどうなのだろう。

天井が低いセットで年がら年中タバコをふかしていて、さぞ空気が悪いだろうと思わせる。
ここではウイスキーでもバーボンの方が高級品扱いらしい。

後半カモになる金持ち役がマーレイ·ハミルトン(「ジョーズ」の市長)、バーテンがヴィンセント·ガーディニア(「フロント·ページ」の警部)なのを確認。
金持ちなのに負け犬、ルーザー呼ばわりされ、それがおかしくないのがこの世界の不思議な価値観なのだろう。

男たちだけでなく、ヒロイン(パイパー·ローリー)まで朝早くから酒を呑んでいる。バス停留所でエディと出会うのだが、そんな朝早くからいられるのは停留所くらいだから、という理由で、つまり呑み過ぎによる不眠症だろうと推測され、後半の悲劇にも当然つながってくる。

マネージャーに過ぎないはずのスコットがビリヤードでは最強のミネソタ·ファッツより力を持っているのは、つまりプロレスでいうプロモーターの方がチャンピオンより力を持っているようなものだろう。

ポール·ニューマンはアクターズ·スタジオ出身としてはマーロン·ブランド、ジェームス·ディーンの少し後に出てきたわけだが、カネを両手でつかんで半泣きになったような顔とポーズが期せずして「エデンの東」のジミーにだぶる。

後註 「ハスラー」の邦訳本の関口苑生氏の解説で知ったが、案の定というべきかテヴィスは重症のアルコールとドラッグの依存に苦しめられていたとのこと。
なお、原作はエディとサラが結婚するのを匂わせるのがラストで、サラは映画化のように自殺はしない。映画の方が暗いというのは珍しくないか。