prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ブラックバード 家族が家族であるうちに」

2021年06月23日 | 映画
途中からドリュ·ラ·ロシェル原作、ルイ·マル監督、モーリス·ロネ主演の「鬼火」を裏返したみたいな構造だなと思いながら見た。

つまり初めに(自殺か安楽死かの違いはあるとはいえ)死ぬと決めた人間が親しい、あるいは親しかった人間と再会して自分の人生を確認してから決めた通りに死ぬという話という点では一緒。

ただし方向としては真逆で、「鬼火」の主人公アラン·ルロワはかつての知人愛人との間にどんな価値も見出せないのを再確認して自殺するわけだが、ここでは家族の間で何を知っていて何を知らないかを再確認していくことになる。

元は戯曲だというが、なるほど伏せてある札を徐々に開けていくよう展開は計算が確か。
登場人物はきっかり八人で、それ以外は写りもしない。その分ムダがなく緊張感が続く。
当然、演技アンサンブルが見ものになる。

登場人物全員を入れ込んだショットはおおむね全員にピントが合っているのに対して、二、三人程度に寄せたショットだと思いきって中心の一人以外をボカして撮っているのが印象的。俳優の配置からして左右で焦点が合う位置が違うレンズを使っているのではないか。
撮影時にピントを外しているだけでなく、後処理でもいじっているのかもしれない。

隠された家族の秘密を明かしていくことが家族といえどもほとんど何も知らないことがわかり、また家族もそれぞれの生を生きていて母親が安楽死を決めたことでその価値やあり方を逆照射する構造になる。
それは当然観客も無関係ではいられない。