prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「キャラクター」

2021年06月17日 | 映画
絵は上手いがキャラクター特に悪役が描けない漫画アシスタントが本物の殺人鬼を見てそのキャラクターを漫画にしてヒットさせる、といった予告編でわかるストーリーは面白そうだったのだが、実物はかなり困った出来になった。

まずその殺人鬼を目撃する段だが、主人公の菅田将暉が幸せそうな家を描いてこいという師事する漫画家の相当なムチャぶりな指示を聞いて、夜中にある大きな家の外景をスケッチしていたところドアが開いて中から大音量のオペラが響いてくるものだから隣人が警察呼ぶぞと怒り、そこで家に上がり込んで惨劇を見つける、という段取りがすでに変。

まだ事件があったのかどうかわからないのに見ず知らずの家にずかずか上がり込むか?
さらに警察呼ばれるかもしれないのだから、面倒なことになる前にそうそうに立ち去るだろう。

その後目撃した犯人の人相を警察で描いてもらえないかと頼まれて断るというのもわからない。
すでに漫画のキャラクターにするつもりになっていたのかもしれないが、この段階ではそんなことはわからない。

何より、師事する漫画家の言だと人が良すぎるから悪人が描けないことになっているのだが、ここまでの行動は善良とはいいにくいところがある。
善良なのが変わっていくのではなく、最初から変。

たとえば電車の中でキャラクターとして使えそうな人のスケッチをこっそりしているわけだが、これなどかなり失礼な話。
ちばてつやが実際に電車の中でそっと乗客のスケッチをしていたら気づかれて凄い怒られたと漫画にしていたくらい。

対する殺人鬼の方のシーンも二度目の犯行で乗り捨てた車の脇を家族連れの車が通りかかってわざわざ頼まれもしないのに止まって乗せてやろうというのだが、親切すぎて乗せる方が怪しいくらい。ヒッチハイクのポーズくらいとったらどうか。
おしなべて細かいところの芝居のつけ方や設定がもう変なところだらけ。

何より困るのは、実際の殺人鬼を漫画のキャラクターにしたことにより主人公側が創作面でどう突き抜けたのか、また殺人鬼側がその漫画を読んでどう思ったのかという大事なところの具体的な描写が抜けていること。

代わりに小栗旬と中村獅童の刑事コンビがしゃしゃり出てきて場面を埋めるのは意味不明。
誰が主役なのか。

なぜか親子四人揃った幸せそうな家族を狙うという性癖があるのだが、幸せかどうかなんてそれこそ見かけでわかるものかだし、人数に関するトリックもムリありすぎ。ネタバレになるから具体的には書かないが、なんで第三者に人数がわかったのかというところがある。

色調やメインタイトルの出し方からして明らかに「セブン」だが、犯人がどうやって生きてきたのかさっぱりわからない。というより、「セブン」だとうまく伏せて描いていたからバレなかった無理がもろにバレている。