prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「北の桜守」

2018年03月25日 | 映画
吉永小百合という存在は、まわりが全員アンタッチャブルなものとして扱うものからなのかどうなのか、歳をとるようなとらないような不思議な時空の歪みみたいなものができているんのではないかとかなり本気で思った。

阿部寛と夫婦役という出だしから、ん?と思うわけだが、複雑に(というかムダに)時制が交錯する展開の中に舞台で演じられる場面がちょいちょい入ってくるという不思議な作り。

なんで舞台が入るのか、オリヴィエの「ヘンリー五世」みたいに元が舞台劇でシェークスピアの頃の舞台の再現から始まり次第に映画的に広がっていくといった作りの先例もあるわけだが、この場合どんな意味や意図でやっているのかよくわからない。

意地の悪い見方をすると、戦後の風俗の再現を映画でリアルにやろうとすると金がかかりすぎるから舞台にしたのかとも思うが、その割に避難民たちのモブシーンや船が魚雷攻撃を受けるシーンなどは一応のスペクタクルにしてある。

劇中の舞台の演出をやってるのがケラリーノ・サンドロヴィッチというちゃんと名のある演出家なのだから贅沢といえばずいぶん贅沢な話だけれど、元の狙いがわからないからどうにも座りが悪い。
実験的な作りにするのはいいとして、狙いや効果を突き詰めず生煮えのまま完成してしまった感。

吉永小百合は「母と暮せば」で死んだ息子との共同生活を営むといった幽玄定かならぬ世界で主演していたわけだが、ここでの世界観って認知症を発症しているヒロインの主観に沿ったものなのかどうなのか、妙な歪みが全編を覆う。

おにぎりが妙に母の味の象徴のようにものものしく描かれていて、アメリカ発祥のホットドッグチェーンの日本第一店の経営者となった息子堺雅人がホットドッグが売れないのを日本式にしたらどうかという部下の提言を拒絶したりしなかったりした後、いきなり母のを元にしたおにぎりを売り出したりする。(お値段は塩50円、具が入ると55円といった具合。タクシーの初乗り料金は160円の時代)

堺が店を開いたのが1971年という設定だからさてはと思って調べてみると、日本マクドナルド第一号が銀座に開店したのがまさに1971年。

この堺の店というのがずいぶん面妖な店で、コンビニみたいな品揃えの一方のカウンターでホットドッグを売り、続いておにぎりを置くあたりマクドナルドとコンビニをくっつけたみたい、それはまだしも、保健所に許可を取ってないというのは雑すぎやしないか。
この社長、さらに店をほっぽり出して母親にくっついて回って連絡がつかないあたり(もちろん携帯のない時代)、母親同様認知症ではないかと思ったぞ。
それをアメリカ出身らしき夫人とその父(篠原涼子と中村雅俊が時々英語を使うのがまた居心地悪い)が認めるというのもよくわからない。

初め出てきた時は子供は二人いるはずなのに時代が下ると堺雅人一人しか出てこない、後の一人はどうなったのだろうと不思議に思っていたら、突然思い出したようにいなくなった事情が描かれる。このあたりの構成もかなり変。

あちこち力の入ったロケーションの画が見られるのだけれど、全体として日本映画にありがちな、力の入れ具合を間違えた一編。
(☆☆)

「北の桜守」 公式ホームページ

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