prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「奇談」

2005年12月05日 | 映画
諸星大二郎の原作だと、超僻地の村で手足に穴があいた謎の死体が見つかるところから、なぜ殺されたのか、穴の意味は何か、発見した神父が実は何をしていたか、という興味でストーリーをひっぱっていくのだが、ここではかつて神隠しにあって戻って来た女の子が成長して自分が失踪していた時の失われた記憶を取り戻そうとする旅に置き換えている。ところで、「はなれ」の村で人がなぜか墓もなしに消えていくのと、近隣の村で子供が神隠しにあうというのとは、くっつきそうできちんとくっついていないのだ。
余計な知恵がついていない子供が、知恵の木の実を食べていない子孫の「はなれ」の連中と一緒に「地獄」に連れ込まれているらしい、という図式はまあわかるのだが、考えてそうかなというところにとどまっていて、見ていて腑に落ちるまでいっていない。

また誰が彼らを地獄に連れ込んでいるのかというと「神」以外にありえないのだけれど、原作は短いので勢いで押し切っているが、膨らませた映画ではすっぽぬけている感じになる。本来、狂信的な神父を通して「神」の残酷さが見えてこないといけないのだが、日本でキリスト教を扱う時の浮いた感じは免れていない。

クライマックスの“昇天”のシーンは、ほとんど原作のコマ割をコンテにして作ったよう。予算としてはこれがぎりぎりのCGか。全般に金がかかっていないのが丸わかりだが、過疎村のロケはなかなかの効果。
神隠しにあった子供たちがまとまって帰ってくるシーンは、「未知との遭遇」を思わせる。
昔の「はなれ」の記録フィルムは「リング」や「CURE キュア」の古く見せた映像を思わせるが、古色をつけたため台詞が大事なのによく聞き取れないのは痛し痒し。

まあ、いろいろ文句はあっても大真面目に諸星作品を映画化してくれたのは、結構感激もの。
(☆☆★★★)



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