きょうから
「私的五連休」である。
還暦をとっくに過ぎ、
「前期高齢者」入りしたので、
本来、悠々自適で
リタイアメント・ライフ
(隠居生活)できてたら
良かったのだが、
雀の涙の年金と
同様の貯金しかないので、
75歳までは頑張って働こうと
決めている。
75歳からが
「後期高齢者」になり、
SCの採用規定が
75歳までになっているので、
それまでは現役として
奉職させて頂きたいと
神様にもお願いしている。
きのうの朝刊では、
75歳以上が2000万人を超え、
65歳以上は30%弱になったという。
6人に一人が後期高齢者で、
約3人に一人が前期高齢者以上となる。
これで、少子化が加速しているから、
明らかに、日本という国は
衰退化している事がわかる。
この傾向は
先進国や一部の途上国でも
観られる現象なので、
人類そのものが衰退化している
と見てもよいのかもしれない。
*
きのうは
隣市のT中への出勤だったが、
32℃ほどの夏日で、
正午頃に、
一転俄かに掻き曇り、
突然の雷雨と強風の
荒れた天気になった。
普通学級の生徒たちは
騒ぐこともなく、
粛々と授業を聞いていたが、
支援学級の少数の生徒たちは、
みな窓辺に集まって
「うわ~ッ!!」
と、歓声をあげていた(笑)。
突然、暗くなって、
風がビュービュー吹いて、
窓ガラスに雨が打ちつけ、
雷鳴が轟いたら、
だれもが、ドキドキするか
ワクワクするのが
正直な反応だろう(笑)。
**
きのうは
カミさんが風邪気味だったせいか、
いつものように
ベント用のご飯を炊き忘れていて、
仕方なく、パンにオカズの
シャケを挟んで
パニーニにして持参した。
たまには、
こういった物も
目先が変わって良かったには
よかったが・・・(笑)。
冷蔵庫に
シャインマスカットがあったので、
デザートとして幾粒か
もいで詰め込んだ。
いつもYouTubeの
グルメサイトを見ながら
ランチしている。
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きのうは
ODD(反抗挑戦性障害)の
『DSM5』の操作的診断基準を満たす
JCの予約が入っていたので、
即席に、チェック項目を
彼女たち世代の言葉に噛み砕いた
アセスメントシートをつくりあげた。
用意万端で待っていたら、
欠席キャンセルの連絡がきて、
アララ・・・と、
肩透かしを喰った気分だったが、
お陰でODDアセスシートが出来たので、
ま、いっか・・・とした。
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数日前から
怪しかった腰の腫れを
朝方、手を回して自撮りしてみたら、
“オトコの乳首”状に膿んでたので、
あらまぁ・・・、またまた
アテローマ(粉瘤)だと、
ガッカリした。
それも、ちょうど、
来月の4日にオペ切除する
予定部位である。
あたかも、
早く取って下さいと
いわんばかりである・・・(😿)。
朝方、自分で排膿しようと
ティッシュを持って手を回したが、
ちょいと触っても激痛が走り、
とてもじゃないが、
自分で「腹切り」するのは無理だった(笑)。
皮膚科に行けば、
問答無用に摘まんだり、
注射針を刺されて
激痛を伴う処置がなされる。
それでも、自然に破れて
排膿するプロセスをたどるのを
何度も経験しているから、
今回はそれに任せた。
もう、8回くらいなっているので、
一度なぞ、入浴中に大きな袋が破れ、
浴槽の底に、内包物の
出来損なった薄い皮膚が
鱗のように積もったこともあった。
帰宅後、
カミさんに患部を接写してもらったら、
すこーし、破れかけていたので、
痛みは辛抱して、ティッシュに
いくらか自分で排膿した。
そしたら、
いくらか痛みも減じたが、
未だに、仰向けに寝て
床に当たると痛い。
皮膚科で抗生物質をもらうと
治りが早いのだが、
それも面倒だから、
あと二三日ガマンして、
前に処方された『ゲンタシン』を
塗布して、大判カットバンで
凌ごうと思っている。
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きのうは
出勤前の朝の時間に
注文を請けていた製本の
仕上げをやった。
5冊の少数ロットなので、
完成して、今日、
お店に届ける予定である。
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YouTubeの
スピリチュアル系のサイトも
いくつも視聴しているが、
時折、新しい発見をすることがある。
きのうは、
直接ではないが、
あるサイトを視ているうちに、
インスパイアされて
ふと思い浮かんだ事があった。
それは、
『魂理学』で
よく扱ってきた
「極性」問題についての
気づきである。
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「点(・)」で表される
「0」次元は、
静的ではあるが、
そのままでは「無始無終」の状態を
維持したままである。
「線(-)」の「2」次元になると、
点がある方向に移動して
それが成立する。
すると、そこには必ずや
線分として、始点と終点が生じる。
それが、原始的な「二極性」の
成り立ちなのではないか・・・と、
考えた。
「点(・)」のみの「0」次元では、
現象は「何も始まらず、何も終わらない」。
ある意味、「点=0次元」は
相対のない「絶対存在」である。
敷衍すれば、
その静的な絶対存在からこそ、
相対的な「始点・終点」を持つ
動的な「1」次元が創生される。
宇宙の多くの物理現象で、
極性を持つものが多くある。
光と影
負の電荷(-)と正の電荷(+)
N極とS極
酸性とアルカリ性
男性と女性
生と死
静と動
…などなど。
世界は相対化されることで、
意識に感知されるように思う。
「カーナビ」では、
赤い三角印が自車を表すが、
それは、道路や建物といった
相対的な対象物の存在によって、
自らの位置が
定位・認識できるようになっている。
養老先生の名言に
「赤い三角印だけでは、
カーナビは成立しない」
というのがある。
このことは、
世界や宇宙、現象界は、
対象の存在によってこそ
成立していると言えるのである。
「神様はなぜ、宇宙や人間を作ったのか?」
という問いに、
「寂しかったから…」(笑)
という、子どもの
意味深な答えがあった。
人間中心原理的な
センチメンタルな
面白い理由だが、
案外、真実に近いのかもしれない(笑)。
「・」のみの静的な絶対存在だけでは、
「何も始まらず、何も終わらない」
無変化な状態が続くだけで、
さぞかし、ツマラナかろう(笑)。
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極性の問題は、
なにゆえに、世の中に
「悪」が存在するのか…
という、エシカル(倫理的)な問いにも
関係してくる。
「悪」は「善の欠如である」なんて
トートロジカル(同義語反復的)な解釈を
神学ではしているが、
善があるゆえに、極性として
対極的な性質が生じた結果、
とする方がずっと解かりやすい。
そして、
おそらくは、善悪不二の状態が、
それらを包摂した「0次元の点」であり、
静的な絶対的存在なのだろう。
ゆえに、
「善悪」は動的なもので、
単純な二極性ではなく
スペクトラム(連続)的な性質も
有するのだろう。
それは、ちょうど
酸性とアルカリ性の間には
中性もあり、pH値にすると
「1~14」まで規定できるような事と
フラクタル(相似)的に
なっているのであろう。
数学的に言えば、
始点と終点の間の線分内には
「無限」の「点」が存在する。
***
近年、ハッブル宇宙望遠鏡の性能を凌ぐ
ジェイムス・ウェッブ宇宙望遠鏡が
打ち上げられ、人類が現在得られる
最高の解像度による宇宙像の解析により、
定説の『ビッグバン』理論に
そぐわない観察事実が発見された。
この100年間、
不動の地位を築いてきた
ビッグバン理論に
修正が必要になってきたのである。
ここにきて、
かつて否定された
フレッド・ホイルの『定常宇宙説』や
爆発・膨張・収縮・爆発を
繰りかえす『振動宇宙説』などの
「無始無終」説が
マルチバース説と共に
再度、机上に上がってきた。
金光教はじめ
世界の多くの宗教では、
【魂は生き通し】
【霊魂不滅】
【個的魂は集合的魂(神)の分霊化したもの】
という見方が多い。
この考え方を
知るか、信ずるか、
知らないか、信じないか、
の違いによって、
個人の自己実現や個性化の過程
という生き方は
大いに違ってくる筈である。