一昨年の連ドラ
『ひよっこ』のスピンアウト
『ひよっこ2』が
連続四夜放映される。
お気に入りドラマだったので、
昨晩はその一回目を
懐かしくも楽しく視た。
トヨ子&スミ子の
名コンビも登場し
嬉しかったが、
リアルタイムにふたりとも
2年の歳月を感じさせ
雰囲気が少しばかり変わっていた。
群像劇の典型ドラマだったが、
どのキャラも立っていて
秀逸だった。
昭和39年が舞台なので
自分たちの生きてきた
古きよき時代が
肌に馴染むのかもしれない。
韓流ドラマのような
『ゲノムハザード』を観てみたが、
なんだかツマランかった。
キム・ヒョジンという
はじめて見る女優だけが
ちょいと魅力的だっただけ。
無内容な
思わせぶり作品だった。
2.5hだったが
途中から早送りにした。
久しぶりに散歩がてら
近所の直売場で、
赤ネギ、エシャレット、クレソンを、
園芸店では、
セルフィーユとクレソンの
ハーブポットを買ってきた。
クレソンの茎と赤ネギは
グリルパンで焼いて、
エシャレットはフキ味噌で
食してみた。
糖質なしの
「ひとりヴェジ・ランチ」は
なんだか血糖値が下がり、
血が浄化されるような感じがした。
※ 個人の感想であり効果・効能を示すものではありません(笑)。
今週の土曜日、
会津から単身で
二度目の合宿研修
(体験学習/カウンセリング/セミナー)
に来る小6のU君とのテキストに
生物学者・柳澤佳子の
『生きて死ぬ智慧』(2004)を
選んでみた。
内容の『心訳 般若心経』は
以前に読んで感心したもので、
拙著『死の魂理学』にも
採り上げたことがあり、
驚くべきコスモロジー(宇宙観)が
展開されている。
柳澤心訳では、所々に、
「ほとけ」という言葉が出てくるので、
そのままでは公立校の生徒には
紹介しにくいので、
「ほとけ」抜きで
さらに魂理学的意訳を施してみた。
***
宇宙を構成する要素は、実体をもたない。
感覚、意思、知識、すべては「空」である。
それは、生じることもなく、無くなることもない。
宇宙に無変化の固定したものはない。
宇宙を構成する粒子は、自由に動き回り、
形を変えて互いの関係の安定した処で静止する。
形有る物質的存在は現象としても捉えられるが、
それは時々刻々変化し、変化しない実体はない。
実体がないからこそ形が創られる。
実体がなく変化するから、物質であることができる。
人も宇宙も構成される粒子で一つづきであり、
人も宇宙も「空」であり実体はない。
それは、生じることもなく、無くなることもない。
「空」という状態には、
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、
身体もなく、心もない。
「空」の心を持つ人は、
迷いがあっても
迷いがない時と同じ心でいられ、
心を覆うものがないから
老いと死があっても恐れず、
道理を誤らないから
永遠の平和に入っていける。
無常の中で暮らしながら
楽園を発見し、
永遠の命に目覚めて
苦の中にいて
苦のままで幸せに生きることができる。
深い理性の知恵に拠り、
慈悲の心、永遠の命は、
すべての人に宿っていることを
悟ることができる。
過去・現在・未来の人々は、
永遠に存在しつづける。
深い理性の知恵もまた
永遠にわたって存在する。
***
柳澤は「巻頭言」で
こう述べている。
人はなぜ苦しむのでしょう。
ほんとうは野の花のように、
私たちも生きられるのです。
もし、あなたが、
目も見えず、耳も聞こえず、
味わうこともできず、触覚もなかったら、
あなたは自分の存在を、
どのように感じるでしょうか。
これが「空」の感覚です
***
たいへん形而上的に
示唆の飛んだテキストだが、
現代の宇宙論と齟齬をきたさないように
どう解釈して解りやすいように
「哲学少年」のU君に説こうか
あれこれ思索している処である。
『ひよっこ』のスピンアウト
『ひよっこ2』が
連続四夜放映される。
お気に入りドラマだったので、
昨晩はその一回目を
懐かしくも楽しく視た。
トヨ子&スミ子の
名コンビも登場し
嬉しかったが、
リアルタイムにふたりとも
2年の歳月を感じさせ
雰囲気が少しばかり変わっていた。
群像劇の典型ドラマだったが、
どのキャラも立っていて
秀逸だった。
昭和39年が舞台なので
自分たちの生きてきた
古きよき時代が
肌に馴染むのかもしれない。
韓流ドラマのような
『ゲノムハザード』を観てみたが、
なんだかツマランかった。
キム・ヒョジンという
はじめて見る女優だけが
ちょいと魅力的だっただけ。
無内容な
思わせぶり作品だった。
2.5hだったが
途中から早送りにした。
久しぶりに散歩がてら
近所の直売場で、
赤ネギ、エシャレット、クレソンを、
園芸店では、
セルフィーユとクレソンの
ハーブポットを買ってきた。
クレソンの茎と赤ネギは
グリルパンで焼いて、
エシャレットはフキ味噌で
食してみた。
糖質なしの
「ひとりヴェジ・ランチ」は
なんだか血糖値が下がり、
血が浄化されるような感じがした。
※ 個人の感想であり効果・効能を示すものではありません(笑)。
今週の土曜日、
会津から単身で
二度目の合宿研修
(体験学習/カウンセリング/セミナー)
に来る小6のU君とのテキストに
生物学者・柳澤佳子の
『生きて死ぬ智慧』(2004)を
選んでみた。
内容の『心訳 般若心経』は
以前に読んで感心したもので、
拙著『死の魂理学』にも
採り上げたことがあり、
驚くべきコスモロジー(宇宙観)が
展開されている。
柳澤心訳では、所々に、
「ほとけ」という言葉が出てくるので、
そのままでは公立校の生徒には
紹介しにくいので、
「ほとけ」抜きで
さらに魂理学的意訳を施してみた。
***
宇宙を構成する要素は、実体をもたない。
感覚、意思、知識、すべては「空」である。
それは、生じることもなく、無くなることもない。
宇宙に無変化の固定したものはない。
宇宙を構成する粒子は、自由に動き回り、
形を変えて互いの関係の安定した処で静止する。
形有る物質的存在は現象としても捉えられるが、
それは時々刻々変化し、変化しない実体はない。
実体がないからこそ形が創られる。
実体がなく変化するから、物質であることができる。
人も宇宙も構成される粒子で一つづきであり、
人も宇宙も「空」であり実体はない。
それは、生じることもなく、無くなることもない。
「空」という状態には、
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、
身体もなく、心もない。
「空」の心を持つ人は、
迷いがあっても
迷いがない時と同じ心でいられ、
心を覆うものがないから
老いと死があっても恐れず、
道理を誤らないから
永遠の平和に入っていける。
無常の中で暮らしながら
楽園を発見し、
永遠の命に目覚めて
苦の中にいて
苦のままで幸せに生きることができる。
深い理性の知恵に拠り、
慈悲の心、永遠の命は、
すべての人に宿っていることを
悟ることができる。
過去・現在・未来の人々は、
永遠に存在しつづける。
深い理性の知恵もまた
永遠にわたって存在する。
***
柳澤は「巻頭言」で
こう述べている。
人はなぜ苦しむのでしょう。
ほんとうは野の花のように、
私たちも生きられるのです。
もし、あなたが、
目も見えず、耳も聞こえず、
味わうこともできず、触覚もなかったら、
あなたは自分の存在を、
どのように感じるでしょうか。
これが「空」の感覚です
***
たいへん形而上的に
示唆の飛んだテキストだが、
現代の宇宙論と齟齬をきたさないように
どう解釈して解りやすいように
「哲学少年」のU君に説こうか
あれこれ思索している処である。