『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ひよっこ2

2019-03-26 06:48:00 | TV・ドラマ
一昨年の連ドラ
『ひよっこ』のスピンアウト
『ひよっこ2』が
連続四夜放映される。

お気に入りドラマだったので、
昨晩はその一回目を
懐かしくも楽しく視た。

トヨ子&スミ子の
名コンビも登場し
嬉しかったが、
リアルタイムにふたりとも
2年の歳月を感じさせ
雰囲気が少しばかり変わっていた。

群像劇の典型ドラマだったが、
どのキャラも立っていて
秀逸だった。

昭和39年が舞台なので
自分たちの生きてきた
古きよき時代が
肌に馴染むのかもしれない。






韓流ドラマのような
『ゲノムハザード』を観てみたが、
なんだかツマランかった。

キム・ヒョジンという
はじめて見る女優だけが
ちょいと魅力的だっただけ。

無内容な
思わせぶり作品だった。

2.5hだったが
途中から早送りにした。





久しぶりに散歩がてら
近所の直売場で、
赤ネギ、エシャレット、クレソンを、
園芸店では、
セルフィーユとクレソンの
ハーブポットを買ってきた。

クレソンの茎と赤ネギは
グリルパンで焼いて、
エシャレットはフキ味噌で
食してみた。

糖質なしの
「ひとりヴェジ・ランチ」は
なんだか血糖値が下がり、
血が浄化されるような感じがした。

※ 個人の感想であり効果・効能を示すものではありません(笑)。






今週の土曜日、
会津から単身で
二度目の合宿研修
(体験学習/カウンセリング/セミナー)
に来る小6のU君とのテキストに
生物学者・柳澤佳子の
『生きて死ぬ智慧』(2004)を
選んでみた。

内容の『心訳 般若心経』は
以前に読んで感心したもので、
拙著『死の魂理学』にも
採り上げたことがあり、
驚くべきコスモロジー(宇宙観)が
展開されている。

柳澤心訳では、所々に、
「ほとけ」という言葉が出てくるので、
そのままでは公立校の生徒には
紹介しにくいので、
「ほとけ」抜きで
さらに魂理学的意訳を施してみた。

***

宇宙を構成する要素は、実体をもたない。
感覚、意思、知識、すべては「空」である。
それは、生じることもなく、無くなることもない。

宇宙に無変化の固定したものはない。
宇宙を構成する粒子は、自由に動き回り、
形を変えて互いの関係の安定した処で静止する。

形有る物質的存在は現象としても捉えられるが、
それは時々刻々変化し、変化しない実体はない。
実体がないからこそ形が創られる。
実体がなく変化するから、物質であることができる。

人も宇宙も構成される粒子で一つづきであり、
人も宇宙も「空」であり実体はない。
それは、生じることもなく、無くなることもない。

「空」という状態には、
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、
身体もなく、心もない。

「空」の心を持つ人は、
迷いがあっても
迷いがない時と同じ心でいられ、
心を覆うものがないから
老いと死があっても恐れず、
道理を誤らないから
永遠の平和に入っていける。

無常の中で暮らしながら
楽園を発見し、
永遠の命に目覚めて
苦の中にいて
苦のままで幸せに生きることができる。

深い理性の知恵に拠り、
慈悲の心、永遠の命は、
すべての人に宿っていることを
悟ることができる。

過去・現在・未来の人々は、
永遠に存在しつづける。

深い理性の知恵もまた
永遠にわたって存在する。

***

柳澤は「巻頭言」で
こう述べている。

人はなぜ苦しむのでしょう。
ほんとうは野の花のように、
私たちも生きられるのです。

もし、あなたが、
目も見えず、耳も聞こえず、
味わうこともできず、触覚もなかったら、
あなたは自分の存在を、
どのように感じるでしょうか。

これが「空」の感覚です

***

たいへん形而上的に
示唆の飛んだテキストだが、
現代の宇宙論と齟齬をきたさないように
どう解釈して解りやすいように
「哲学少年」のU君に説こうか
あれこれ思索している処である。



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へたうま

2019-03-25 07:44:00 | 趣味
今日は
大4のナツの卒業式で、
カミさんが前乗りで
昨日から新潟入りしている。

自分は、
小中高大と親が
入学、卒業式に
来たためしがないので、
それが当たり前で
普通のことだと思っていた。

気性が激しく
キャリア・ウーマンだった母親は、
息子の学校行事なんて
眼中になかった。

40年来の教員で
息子ラバーのカミさんは、
ダンゴ三兄弟の学校儀式には
当たり前のように
マメに顔を出してきた。

それが、
今の我が家では
ファミリー・スタンダードだが、
自分の生母とは真逆である。

個人の価値感、
家庭の文化感の違いだろうが、
どちらが将来、
子どもの健常性に繋がるか・・・と、
想像するだに
現我が家の方なのであろう。

自分のこれまでの
心身症や精神病などの
頻発の根底には
「自尊感情の低さ」が
汚泥のように海底に在ることが
否めない。

だから、
自分を常に鼓舞していないと
生きてこれなかった。

女の子を臨んでいた母親が、
「元気な男の子ですよ」
と看護婦に告げられて
「えぇ!? 顔も見たくない・・・」
と落胆したそうだ。

そんな、生誕エピソードを
笑いながら本人に聞いたので、
今、思えば、
この世への誕生を
祝福されなかった赤ん坊は、
いきなり「心理的虐待」を
受けたようなものである。

であるからして、
2才から重症の喘息を発症して
十年も苦しんだのは、
今日なら、
セルフィッシュ・ジーン
(利己的遺伝子)説から
「遺伝子的戦略」とも考えられる。





玄関室礼の「花寄せ」に
フキノトウの花を加えた。

もう萎れかけてきた花もあるので、
今日あたり
水を換えてやろうと思う。

茶室にフキノトウの花も
初めての室礼だったが、
竹花入に薄桃色の花と相まって
「自ずから然る」が如く
「自然(じねん)」に
佳く納まっている。

創作和菓子を拵えては、
香を炊いて
自服で喫茶しながら、
隠者のような日々を過ごしている。





昨晩は、
編曲が完成した
フラメンコ二重奏曲
『ファルーカ』を
デュオ相方のH君と
2時間ほど合わせた。

譜面上で考えた音符配列を
実際に演奏してみて、
そのハーモニー、
クロス・リズム、
パーカッション奏法などの
マッチングを検討してみた。

二重奏のツーパートだが、
ギターは最大6声部を出せるので、
二人だと理屈では12声部を鳴らせるから、
そうなるとオーケストレーションの
スコアのような感覚になる。

実際は、
弦楽四重奏や混声四部合唱のように、
ソプラノ、アルト、テノール、バス
の4声部の進行を考える。

そこに
パーカッション奏法を
付け足していく。

そんなこんなで、
8頁を書き上げるのに
1週間を費やした。

本番3週間前なのに
まだこんなことをやっている。

H君とも
明日にも本番でOKな感じだが、
先日の阿部さんに倣って、
本番ギリギリまで
ブラッシュ・アップして
即興性も持たせようと考えている。





年に数日、
生徒予約がなくって
ヒマが出来た日に、
A4の心理テスト用白紙に
コマ割りをして
漫画を描いて遊んでることがある。

数あるグルメ漫画で、
鮨、フレンチ、イタ飯、
丼、カレー・・・とあるのに、
天麩羅をとり上げたものがないので、
『てんぷら大将』というのを
描いたが、4頁ほどで
その先が描けなくなって中断した。

アタリも下書きもせず、
いきなり水性ペンで
ウマ下手タッチで描いていく。

いちおう、
豚っ鼻のコーちゃんと
幼馴染のゼンちゃんとの
天ぷら談義を好きな作家の
「前川つかさ」風タッチにしてみた。

『大東京ビンボー生活マニュアル』
という傑作の作家・前川つかさは、
三春町の出身で、
安高から中央大に入っており、
一年先輩には
芥川賞作家の玄侑宗久がいる。

いっ時、
メディバンという漫画製作ソフトで
ヴァーチャル漫画にも挑戦してみたが、
あまりハマらずに中断した。


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春雪

2019-03-24 08:20:00 | ギター
朝、目が覚めたら
小雪がチラチラ舞っていた。

こりゃ予報どおり
0℃になったんだぁ…と、
「寒のもどり」に
ブルッと身震いした。

そしたら、
突然、いっ時だけ、
猛然と雪が降りしきり、
真冬のような景色に一変した。

庭のサクランボの花も
さぞ驚いたことだろう。





きのうは
沖縄から到着したばかりの
コンサート共演者の阿部さんを
福島駅までお迎えにあがった。

開口一番、
「フクシマ、寒いっすねぇ…」
と身震いされていた。

駅前の表示温度計は
5.7℃だった。

折り悪く
「寒のもどり」の雪国に
南国から到着されたので、
「寒い、寒い」
を連発されていた。

なので、まずは、
我が家の茶室で
一服お熱いところを喫茶して頂き、
置き床のフキノトウの花で
陸奥(みちのく)春を
感じて頂いた。





阿部さんとは
三回目の共演なので、
拙宅には何度も練習で
おいでになっている。

きのうは、
練習中に汗だくになり、
隣の寝室で一度着替えるようだった。

いつも20℃に設定している
ファンヒーターを
きのうは23℃まで上げたので、
よけいに汗をかいたのだろう。

プログラム順に…

もののけ姫
千の風になって
庭の千草
津軽のふるさと
土湯賛歌
死んだ男の残したものは
見上げてごらん夜の星を

…の7曲を
通し稽古した。

プログラムには
この他に、
阿部さんのライア弾き歌いで…

アヴェ・マリア
てぃんさぐぬ花
えんどうの花

…がある。

きのうの段階で、
「もう、あした本番でも
だいじょーぶそうですねぇ」
と言ったら、
「いやいや。まだまだです…」
とのことで、
さらなるブラッシュ・アップを
心がけておられるようで、
さすがだなぁ…と、
思わせて頂いた。

阿部さんの
力強く繊細な歌に刺激され
伴奏にも力が入ってしまった。

歌の場合、
伴奏者がテンポを決めるのでなく、
歌い手さんに
自由に揺れて歌って頂いて
それに付いて合わせていく・・・という、
カンテ・フラメンコのようなスタイルなので
そこに呼応の面白味がある。

ff(フォルテシモ)では、
ギターを鳴らせ
pp(ピアニシモ)では、
囁(ささや)かせる。

今朝の寝起きに、
妙にカラダが痛いなぁ・・・と、
寝惚けたアタマで怪訝に思って
「寒のもどり」で
風邪ひいちまったんだべか・・・と、
懸念したが、
何のことはない、
昨日2時間も
真剣にギター弾いたんだった(笑)。

なので、
指も曲げるたんびに
ズキリと痛む。

本番は、
これにプラスして
ソロが8曲あるのだ。

年々、閉演後に、
打ち上げが終わると
気を失うようにベッドに崩れ、
一晩中、カラダの痛みに
魘(うな)されるようになった。

なので、
今年をもって
“限界”のファイナルなのである。

蝋燭の消える直前が
いちばん輝きを増す、
というので、
最後には美しく光りたい。





春休みなので、
余暇には映画三昧である。

今年度はここまで、
49本観たが、
例年に比べると少ない方である。

最高は、
年間138本観た。

それを
一々ブログ・アップしてたので、
親友のタケシから
「よく、映画見てんなぁ・・・」
と感心されたことがある。

そのくせに、
映画に関する冊子は
ジブリ物の「深層分析」シリーズしか
手がけていないから、
そうとうに偏ってる。

映画は
子どもの頃には、
劇場で見る
贅沢な娯楽のひとつだった。

ことに、
亡父にはよく連れて行かれたので
ことさらにその郷愁感も
付随してるのだろう。

これがビデオ化された頃、
映画通の先代・円楽が
「家庭で映画が見れるようになるなんて
夢のような時代ですねぇ」
と言っていたのが
印象に残っている。

二十年来、心酔して、
“追っかけ”とコレクターまで
やっていた談志家元は
「映画を見ねえ奴の話なんか
聴くに値しない・・・」
というような事を
宣うていた。

ワカル気もする。

本も読まない、
映画も見ない、
古典芸術に触れない、
という最近の若い世代とは
おハナシにならない感じが
たしかにする。

人生、残り時間が
少なくなってきたので、
最近では、アタマの10分くらいで
興味が惹かれなかった作品は
躊躇わずに「消去」することにしている。

製作者側からしたら、
いかに「つかみ」が大事か…
ということになる。

でも、古典の名作には
「つかみ」なぞ度外視して、
じっくり鑑賞しないと
味わいが感じられないという
稀有なものもある。

そこを見極めるのが
「眼」であるが、
統計で言う処の
「名作なのに、誤って棄却してしまった」
という「第1種の過誤」も
5%くらいの確率で
犯しているやもしれぬ。



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むずい・・・ε= (•̀ .̫ •̀; )

2019-03-23 08:04:00 | ギター
今日は午後から
ソプラノの阿部さんとの
デュオのリハがある。

数日前から
伴奏の練習に励んでるが、
自編の『死んだ男の残したものは』の
ソロ・パートが難しくって
ヒーコラいっている。

自分で編曲していながら
弾いてみると難しいというのは
ままあるもので…。

なにしろ
世界的巨匠の
武満 徹の作曲だから
できるだけ
その世界観を崩さないように
編曲するのだが、
やはり練習過程で
運指や音の配列を
変更せざるを得ない箇所が出てくる。

昨晩は
たった十数小節に
数時間を要した。





武満が書いたギター曲
『12の歌』にも
演奏が難しい箇所が
随所に出てくる。

そこは演奏家の裁量に
ある程度は
任されているようだが…。

ショパンの逸話には
リストか誰かへの手紙に、
自分で書いたコンチェルトが
難しくて、来たるコンサートで
ちゃんと弾けるか不安だ…、
というのがある(笑)。





ロビー頒布会用の
CD類と書籍類作りにも
時間を費やしている。

部屋ん中は、
さながら楽屋然としてきたが、
この時季においでになる
クライエントの方々には申し訳ないが
こんな中でカウンセリングをしている。

長年おいでになっている方だと、
またこの時季ですねぇ…と、
勝手知ったる雑然さに
一年の流れの速さを
感じられるようである。

これらを、これから
特大ボストンバッグ3つに
パッキングして搬入準備に入る。

“楽団ひとり”の
裏方さん部門の仕事である。





春休みになり、
必然的に昼メシも
「サラメシ」ならぬ
「ひとりめし」となる。

外食は面倒だし、
行きたい店もないし、
お金もかかるので、
もっぱら台所で
ゴソゴソやっている。

冷蔵庫の残りもので
何かを作る…というのが、
けっこう好きで、
それは、与えられた素材で
満足できるものを創り上げる…という
「料理人ごっこ」を楽しめる。

BSの『ナイジェルのシンプル・レシピ』
というのが、そういった趣旨の番組で、
それが大好きで、同じ再々放送でも
繰り返し何度も見ている。

***

きのうは
前の晩の残ったご飯が
白むすびでラッピングしてあったので、
これと玉子、豚コマ、冷凍コーンで
チャーハンでも作ってみっか…
となった。

いっ時、
チャーハンにハマッて
何十店と食べ歩いて、
研究、評価、レーティング
したことがあり、
それをグルメサイトにも
アップしてきた。

時折、
「病膏肓に入る」
というような
偏執的な強迫行動に陥る(笑)。

あ、フキノト採りも
そーだなー。

なので、
“自分好み”の
ンマイ炒飯なるレシピが
この頃ようやく分かってきた。

ポイントは「油」である。

「油そば」なる
ラーメンの亜種があるが、
安達の町中華で
それを食していてピンときた。

なので、
ネギ油とニンニク油を
フレンチのコンフィ(低温油煮)のテクで
作り置きしてあり、
中華鍋で豚コマを炒って
新鮮なラードを抽出し、
これらの香り豊かな油をミクスチュアさせて
玉子と白飯に絡めながら炒めるのである。

味付けは塩胡椒が主体で、
最後に鍋肌に醤油を振り回して
焦がし香を立たせてから
色付けと味付けをする。

我が家では
チャーハンはジャンボ・マグカップで
ドーム型にするのが定番で、
これが、こんもり美しく、
いちばんンマソーに見えるのである(笑)。

こっから、
もうひと手間は、
ラップをせず1分間レンチンする。

鍋から移したばかりの
熱々のものを更にレンジ加熱すると、
庫内が白くモーモーとなるほど
水蒸気が出るのである。

すなわち、
脱水化が進み、
よりパラリ感となり
旨味も凝縮する…
というわけ。

ちなみに、
プレートは200℃のオーヴンで
鍋つかみをしないと
火傷するくらい熱しておき、
置き皿に取る。

プレートが熱々だと
香りがよく立ち、
しまいまで冷めないのである。

これも食欲を刺激する
赤系の中華皿がよく
(青系は萎える)、
「雷紋、鳳凰、龍、双喜紋」
なぞが描かれていると
炒飯の味がワンナップする。

これを
凝り性の「ひとりめし」と言う(笑)。

最近、超強火の出る
業務用の中華ガスコンロが
欲しいなぁ…と、
思っている。

さらなる
グレードアップを図るには
あとは火力要因しかない。


p(●`□´●)q ファイヤァァァ!!










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イマダケちゃん来福

2019-03-22 08:10:00 | 音楽
2017年のリサイタルで
共演者として
わざわざ京都から来福して
ボランティア参加してくれた
教え子でピアニストの
イマダケちゃんが
『ファイナル・リサイタル』に
ご主人と来てくれるという。

その気持ちが嬉しかったので、
昨晩、急遽、
彼女のシングル・カット盤を
5枚ほどこしらえて、
ライナーノートも書いた。

ご当人には、
共演後にプライベート盤として
友人・知人へのプレゼントと
プロモーション用に
10枚製作して贈呈したが、
今回は、ロビー頒布用にした。

******

「復興へのエール。珠玉の名演!」

 ピアニストの今田 景子は、私の大阪での高校教員時代の教え子である。京都在住の彼女は、3.11の東日本大震災と福島の原発事故被害に大いに心を痛め、私の催す『復興支援コンサート』に是非ヴォランティアで出演したいと、わざわざ京都から来てくれた。
 
 福島入りする前日には、急性胃腸炎で医師から入院まで勧められたが、「何がなんでも福島に行かなきゃなりません!」と、それを断って来福した。見るからに、体調は悪そうで、青い顔をして、食事すらままならなかった。それでも、さすがに、持ち前の根性とプロフェッショナル精神で、本番に臨んでは、それは見事な演奏を聞かせてくれた。
 
 このCDの『天空の城ラピュタ』組曲では、彼女のフクシマへの思い、東北復興へのエールがたしかに感じられて、最悪のコンディションの中で、「たましい」を込めた最高の演奏をしてくれた。そんな事情を知っていると、今でも、この演奏を聞くたびに涙がこぼれそうになる。3.11の「苦しみ」にまるで同化したかのような「苦しい」体調だったからこそ、この珠玉の名演が生まれたのだろう。それは、2万数千人もの犠牲者の魂を癒す、たしかなレクイエム(鎮魂歌)であった。涙した聴衆がいたのもこの目で見た。ほんとうに尊い仕事をしてくれて、この素晴らしい教え子を誇りに思う。
                          ギタリスト 佐々木 修 





もう、直前にもかかわらず、
印刷物や搬入物整理などの
事務方仕事もまだあり、
なかなか練習のモチベーションが
上がらなかったが、
イマダケちゃんが来てくれると聞いて
やる気が出てきた。

共演者の阿部さんが
ご実家のお祝い事で
沖縄から来られているので
明日は3度目の合わせを
やらせて頂く。

昨晩は、
メトロノームに合わせて
テンポの矯正を
深夜までやっていた。

春休みにも突入して、
いよいよ「ギター」と「音楽」に没入し、
ファイナル、フィナーレを飾り、
満足いくものに成し遂げたい。





いつも、
フキノトを大収穫した際に
おすそ分けに寄るMセンセが、
逆襲で(笑)、オバケのような
ジャンボ・フキノトを
わざわざ届けてくだすった。

丹波蕗という種とのことで、
「びっき沼」で採ってくる物の
5倍はあろうかという
超特大物でビックラこいた。

アワワ… w(°O°)w  

ところが、
さっそく調理しようと
かるく湯通ししたら、
お湯もフキノトも真っ茶色になり、
またまた…
アワワ… w(°O°)w 
になった。

灰汁がハンパねっす(笑)。

このまんまでは、
何に料理しても
ハライタ起こしかねないので、
徹底的に灰汁抜きしたろと
重曹まで投入してみたが、
何度お湯換えしても
ガングロのままで…

ʅ(-"-;)ʃ テゴワイ…

…なので、
一晩、重曹水に放置し、
いまだに台所で眠っている。

ひょっとしたら、
ドロドロに溶けて
なくなってたりして…。

***

この機会に、
フキについてウィキってみた。

「蕗、苳、款冬、菜蕗」
学名:Petasites japonicus
(ペタサイテス・ヤポニカス)
キク科フキ属の多年草、
雌雄異株。

学名からは
「日本の路傍にペタっと咲いてるっす」
という語呂が浮かんだ。

雌雄異株とは知らず、
たしかに、よく観察してみると、
わずかに形状が異なっている。

日本原産で、
北海道から沖縄まで分布し、
朝鮮半島や中国大陸でも見られるという。

水辺を好むので
山の沢沿いや斜面、
河川の中洲や川岸、
土手や用水路周辺に繁殖する。

栽培種で市場に出るのは、
愛知早生という品種で、
愛知が生産量日本一だそうな。

中には2m以上も伸びる
秋田蕗などがあるが、
これら巨大蕗は
染色体の倍数体らしい。

肝毒性が強いペタシテニン
(別名フキノトキシン)を含むため、
灰汁抜きが要る。 

「蕗の薹」は
花が咲いたものでも
細かく刻んで油味噌に絡める
「ふきのとう味噌」には利用でき、
花には独特の清涼感がある。

葉柄は、
重曹湯で灰汁抜きして、
醤油、砂糖で
「きゃらぶき(伽羅蕗)」となり
保存食・常備菜になる。

繊維質やミネラルが豊富で、
昔は冬の野菜不足を補う
一般的な山菜であった。

東北の方言では、
「ばっけ」「ばんけ」。

アイヌ語では
「コロコニ」と発音し、
フキの葉の下に住む妖精
「コロボックル」のコロは
フキを示すようだ。

ヘェ~ ϵ( ̄△ ̄)϶ シラナンダァ~

いいお勉強になった。





ロビー頒布用にと、
新刊一冊を製本し、
旧刊の一冊を
カバー掛け換えした。

こういう音楽とは
カンケーないものを
“賑やかし”と言う。

その場を盛り上げる、
賑やかにする、華やかにする、
というグッズなのだ。

そして、
“見栄物”
“ドーダ物”
でもある(笑)。

こんなんに時間使こてんと、
ギター練習
チャッチャとやりッ!
という大阪オバハンの内言が
叱咤する。

ゴータマ・シッタルダ…
ロンバケで
脳内崩壊してきた…(笑)。

ほうかい。

とまらんなぁ…(笑)。





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