毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
根っからの
ブロガーである。
歌人、俳人同様に
日々の感じ入った些事を
丁寧に散文で綴るのを
営みとしている。
【歌人】を辞書引くと、
「かじん」とも
「うたびと」とも読み、
「歌を巧みに作る人」
「詩人」
とある。
【俳人】は、
「俳句を詠む(作る)人」である。
なるほど。
ならば、【ブロガー】も
「詩のように巧みに作り詠む人」
でありたいなぁ。
永らく、
落語の三題噺を範として
前日の出来事を時系列順に
「三つ」採り上げて
その雑感を翌朝に
思いのまま綴ってきた。
そしたら、
兼好法師の
「徒然なるままに、
日くらし硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなし事を、
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ」
という心境に
似ていないこともない。
「硯」ではなく
「PCにむかって」、
無聊の慰めに
心に浮かぶ瑣末なことを
思うがままに書き付けている。
わしゃ、
現代の兼好法師か。
(´~`;)ゞ
「あやしうこそものぐるほしけれ」
とは、
「怪しげなもの」
「気違いじみたもの」
となって、これも
妙に符合する。
『徒然草』の
数多ある解説のひとつには、
「これは本人が言うような
思い付きで書いたのではなく、
綿密な考えを持って書かれた
理知的な“魂の記録”ではないか」
とあって、
ナルヘソとも思った。
調理中に電子レンジ内で
発火したので、
慌てて中断したら
脇のアルミ部分が腐食していて
そこに電子ビームが当ったようだった。
つい数年前に
買い替えたばかりと思っていたが、
毎日のように使い
キレイに内部そうじするのを
怠っていたので
短命だったのだろう。
電子レンジは
消耗品なのか、
独身時代から何台買い替えたか
記憶にないほどである。
今回も、
どーせまた買い換えるだろうし、
使い勝手は熟知しているから、
余計な機能の全くない
シンプル安価なものにした。
家電店で即買いしてから
あとでネット価格を調べたら
やっぱりアマゾンの方が
1.000円ほど安くて
後の祭りだった。
ついでに
安価白物家電でよく見る
「ハイアール」について
ウィキってみたら、
中国の会社で、
本国では欠陥冷蔵庫で
3件の幼児感電死事故を
起こしていながら
消費者に責任転嫁して
賠償責任を逃げた
悪辣非道な企業である。
このレンジは
サンヨー電気と合併した
ハイアール・ジャパンセールという
大阪に本社がある
系列社のようだ。
それにしても、
感電死とは
コワイなー。
*
カミさんと
ヨークに買い物に出かけ、
ついでに冬物ソックスと
部屋着兼パジャマ用の
ロングパンツを買ってもらった。
春から秋までは
素足で平気だが、
冬場はさすがに足元が冷えて、
そうすると自律神経系にも
よくないと聞いて、
努めてソックスを履くようにした。
昨晩は
8時から来られる
クライエントの方を
茶室にお通しして、
「夜噺茶会」風に
蝋燭を灯して
一服差し上げた。
些か間の抜けた
八畳洋間の
ナンチャッテ茶室も
手前座と置き床のみを
手燭が照らすと、
沈香の薫りや
湯を注ぐ音も手伝って
そこはかとなく幽玄さが
醸し出された。
なんだか、
久しぶりに
茶の湯の世界に
舞い戻ってきたなぁ・・・という
感慨が深かった。
国試の勉強に明け暮れていた
去年、今年は「四住期」の
「学生期」を過ごしてきたが、
夜の茶室に身を投じていると
“市中の山居”よろしく
「林住期」を過ごしているようでもある。
余生をもって
自分の茶の湯を
極めてみたい。
今朝の朝刊チラシに、
またウィル(卸売市場)での
インチキ「閉店セール」が
織り込まれていた。
CDラジオやフライパンが
90円という破格値で
キャッチーに載っているが、
二度ほど出かけて
先着一名とかで騙されて
「もうその手は桑名の焼蛤である」。
ヤフオクで1円落札した
「バレンチ」の
パチモン・バッグが
25.000円なんて
値札が付いていたこともある。
今回も
「あった。あった。
バレンチが2ケも。
10.000円だって」(笑)。
千円時計も
ワゴンセールであったが、
みんなパチモン感の
臭気プンプンだった(笑)。
パチモン展覧会と思って
出かければ、
真贋鑑定の目肥やしにはなる。
それにしても、
このコピー。
ギャグにしてもお寒い(笑)。
かくいう自分も
二回もノコノコでかけているから、
成りすまし詐欺が耐えないのも
宜(むべ)なるかなである。
┐(´ー`)┌
きのうは午前中に
カウンセリング予約があって、
ちょうどお茶室開きに
元同僚でもあるT先生に
薄茶を一服さしあげた。
事前にお香を炊くので
炭をガス焜炉にくべたら、
水洗いを怠ったために
パチーンと火の子が飛び
右目を直撃した。
アツーッ!!
と反射的に目を閉じたが、
しばらく目蓋が
軽い火傷でヒリヒリした。
本来は、
このような事故を防ぐために
炭は前もって水洗いして
粉を落としておかなくては
ならないのだ。
その手間を惜しんで
炭箱から直接火付けをしたので
アクシデントが起こるべくして起こった。
それでも、
失明するような大難に至らず
小難にお奉り替え頂き、
お気付けを頂いたことを
神様にお礼申し上げた。
火の粉が茶事中に
お客様に飛ばなかったのが
不幸中の幸いで、
そんなことになったら
茶人失格である。
主菓子は
焼き芋と甘栗と餡子を
それぞれ裏ごしして
寄せ集めて
金団(きんとん)に仕立てた。
懐石の八寸を
菓子盆に見立てて
黒文字を添えた。
久しぶりの茶室で
久しぶりの薄茶事だったので、
途中、柄杓の扱い方を
少し忘れていた。
それでも、さすがに
十年のお稽古は
お師匠様のお声が
耳元で再生されるようだった。
お仕舞いの茶筅を
清める時に、
「サラサラが先。
そして、コツン。
『の』の字を書いて
ゆっくりカラダごと持ち上げて・・・」
という片桐先生の
お優しい声が
脳内でリプレイされた。
おぉ・・・。
先生は亡くなられたが、
今もちゃんと
我がこころに
棲んでいらっしゃる。
やれ、ありがたや、である。
(T人T)
さすがに
袱紗さばきは、
何百回もしてきたので、
カラダが覚えていて
スッスッと流れるようにできた。
茶室を設えたのを機に、
在京中に録り溜めた
『茶の湯の楽しみ』の
ビデオを探し出して、
ビジュアルでお手前の
復習をせねばと思った。
T先生は、
こういう空間があって
こういう時間が持てるって、
素敵なことですねぇ・・・と、
感心されておられた。
今夜も、
カウンセリングにおいでになられる
Hさんのために、
お菓子をこしらえ、
蝋燭を灯す用意をして
お待ち申し上げている。
きのうは午後から
ソータVS斉藤慎太郎王座との
リベンジ叡王戦があった。
同じ相手には
二度まけない、
というソータ神話が
「王座」によって崩された。
終盤は
どちらが勝つか判らない、
という攻め合いになったが、
ソータがあと一歩
相手玉を詰ますのに
及ばなかった。
きのうも
マスク姿での対局だったが、
前回の棋戦から風邪が長引いていて
咳き込みも見られた。
終局後にコンディションを
記者に訪ねられ、
「体調管理も自分の責任ですから・・・」
と応えていたのは
高1ながらさすがに
プロの風格を感じさせてくれた。
ソータの登場と共に
すっかり棋界で有名になった
「勝負メシ」が毎回アップされるが、
きのうのソータは
“マッシュルーム抜き”ハヤシライスだった。
杉本師匠の言うとおり
「キノコ嫌い」は
ほんとうらしい。
棋士たちのジョークで、
共に控え室で食事する
相手の嫌いな物を注文するという
盤外戦もあるとかないとか。
3時開始の対局が
投了となったのが
10時半過ぎであった。
風邪っぴきの高校生が
咳をしながら
ハヤシライスを食べて
全身全霊のエネルギーを傾けて
盤上の勝負に向き合っている姿に、
34万人も釘付けになって観戦していた。
ニコ生なので
コメントも15万件ほど流れ、
「涙でてきた」
「もう泣きそう」
と素直に感動を書き込んだのも
少なくなかった。
まさに
魅せてくれる
稀代の大スター少年棋士である。
メンタル・クリニックの帰りに
蓬莱支所に
『自立支援医療受給者証』
(長期精神障害療養補助)の
更新手続きをしてきた。
42歳で発症した「うつ病」が
何度も再発し、そのたびごとに
3割負担だったので、
主治医の奨めで1割負担の
受給者証を2年に一度
発行してもらっている。
サイコセラピー研究会に
所属していた頃、
医大の教授はじめ
並み居るドクターたちに
抗うつ剤服用を続けることを奨められ
もう18年も呑んでいる。
職業柄、心的負担が重いのと
若くないのと、脳波にやや
気分変調症傾向のパターンがあるので、
「うつ」を発症し易いから、
予防のために毎日、
微量を服用している。
*
隣の車のワンコが
ご主人様のお戻りを
首を長~くしながら
心細そうに待っていた。
目が合ったので、
「オスッ!」
と手をあげて
挨拶してみたが、
ワンとも言わなかった(笑)。
洒落のわからんイヌやなぁ・・・(笑)。
ブルーレイ80%カットの
メガネをかけて
PC仕事しているが、
以前よりも
肩凝り、首凝りが
減ったような気がする。
附属に付いてきた
調整ネジ回しは
欲しかったもので、
普段のメガネの蔓用に
さっそく使用した。
これだけでも
アマゾンあたりでは
400円ほどする。
今朝の朝刊の
チラシの幾つかに
「ブラック・フライデー」なる
聞きなれない言葉があり、
さっそくウィキッてみた。
「Black Friday」とは、
小売店などで大規模な
安売りが実施される
11月の第4金曜日のことだそうな。
由来は、
アメリカの感謝祭(11月第4木曜)の
翌日にあたり、
感謝祭プレゼントの
売れ残り一掃セール日にあるらしい。
その日は、
小売店が繁盛することから
「黒字の金曜」になるという。
それにしても、
未だ人口に膾炙するを得ない
言葉を我れ先にと
チラシに打ち出すのは
コピーライターの仕事なのだろうか。
私的五連休なので、
きのうは
スコティッシュな
ジャケパン・コーデで
外食に出かけた。
何処ぞの
私学の制服っぽい
モスグリーンの
タータンチェック・ブレザーには
スコットランドから来ていた
美人ALTの先生から頂いた
貴重なセント・アンドリュースの
ピンバッチを合わせてみた。
なんでも
ご兄弟がセント・アンドリュースで
働いておられるらしく、
正真正銘の本物のようである。
ゴルフ発祥の地で
ゴルファーの聖地でもあるので
垂涎の逸品である。
もう何年も
コースには出ていないが、
金光大阪時代は
月一ゴルファーで、
あちこちに行っていた。
久しぶりに
ピアノのクリーニングと
調律点検をしたので
『悲愴』の練習をした。
晩秋から初冬にかかって
雲が厚くなってきたせいか、
なんだか、近頃
やたらに第一楽章の序奏の
♪ バ~ン!! ♪
というハ短調の和音が
頭に鳴り響いていた。
死ぬ前に聞く
最後のピアノ曲を選ぶとしたら
やっぱし『悲愴』しかない。
その重み、深味、
天国性、波乱万丈・・・といった
ドラマチックな展開は
他の追随を許さない。
そっか。
毎朝、ブログ書きのBGMに
ハイドンのピアノ・ソナタを
聴き過ぎたことの
反動なのかもしれない。
その明るさ、軽みは
癒しもしてくれるが、
そのカウンター・バランスとして
『陰翳礼讃』への
渇望なのかもしれない。
高3の時、
ポリーニのレコードの
ジャケットにあった
ベートーヴェン像が、
苦虫を噛み潰したような
渋くてかっこよかったので
油彩で模写した。
この像を見ながら
『悲愴』の序奏を
グラーヴェ(grave)の指定どおり
「重々しく、荘重に」弾いていると
なにやらベートーヴェンに
近づけた気分になって感動する。
高校生の頃は
三楽章が好きで、
さかんに練習していたが、
音楽室のグランドで弾いていたら
合唱部のテッちゃんが
「ウワーッ! 悲愴だー!
おさむ君。すごーい!」
と感激してくれた。
超有名な第二楽章は
耳につき過ぎてるせいか、
サラッと音を拾ったきり
まったく練習したことがない。
なので、
この冬はもすこし
ベートーヴェン像を前に
楽譜と実音と作曲背景から
その心理について想像を
思い巡らしてみたい。
『悲愴』は
32曲あるピアノソナタの第8番で
27才の若書きだが、
6大ソナタの中でも
群を抜いて優れている。
演奏発表するという
プレッシャーなしで、
楽譜と実音によって
存分にアナリーゼできる時間は
純粋に楽しく心が躍る。
なので、
ツマラナイ人たちとの
お付き合いや
愚にもつかないオシャベリ、
電話での応対は
命の時間の無駄遣いなので
一切やめた。
家電の「着拒」の番号が
どんどん増えている(笑)。
わしの時間を奪わんとくれ。
わしにはもう
時間が残り少ないんじゃ。
・・・という心境である。
ϵ(◎⊼◎)϶
三連休というのを
失念していて、
カレンダーを見て、
あらま、ほんならオフ日入れて
五連休やん・・・と、
ちと嬉しかった。
還暦過ぎて
閑職・半隠遁生活を
満喫してはいるが、
「暇=時間=命」
という等式が
常に脳裏にある。
そう。
命の残り時間、
持ち時間が
少なくなってきた今、
本質的なこと以外に
関与することを極力避けている。
自分にとって大切
と思えることにのみ
時間を割いている。
元より世間の外的価値感を
倦厭する嫌いがあり、
兄の結婚式をバックレたり、
自らの結婚式をコンサートに代えたり
(兄家族は来てくれたが・・・)
老母曰く
「みんなから変人だ、
って言われてんだよ」
だって(笑)。
どうも若い頃から
自分の内的価値観を
優先するみたい。
今、人生の総仕上げの
段階に入ってきて、
益々その傾向に
拍車がかかってるかも。
二十代の頃、
カミさんも教員だったので、
「共稼ぎだと、二人分合わせると
マツシタの重役くらいになるなぁ」
なんて言っていたことがあり、
27才で京都市内に
中古マンションが買えた。
そして、
バブルで5倍まで値上がりし、
崩壊後も2倍までに留まってくれ、
その不動産利鞘で
帰福後に一軒家を買えた。
きっと、
その時に「金」に対する
疑義と嫌悪感が生じたのだろう。
奉職していた学校にも
「金ばっかりくれやがって・・・。
それでイイと思ってるんか」
と内心毒づいたことがある。
必ずしも、
「金」と「たましい」は
対局にあるものではないが、
どうも、世間一般の人たちの
振る舞いや事件を鑑みると、
「金が仇」
「金でたましい売る」
みたいなのが多すぎて辟易する。
なので、
単純に、短絡的に
「分不相応の
身につかない金は
堕落、不幸を招く」
と感じているのかもしれぬ。
元同僚で不動産を持つ
資産家だったX先生(名前忘れた)は、
100万を貸した知人との間の揉め事で
刺されて亡くなった。
億万長者でも、
100万は惜しかったらしく、
相手のプライドを傷付けて
激高させたのだろう。
この身近な事件から
「億の金を持つと億の苦労、
億の不幸に見舞われる」
という経験則を学んだ。
そこへいくと、
我が家の不幸なぞ
「千円単位の不幸」である(笑)。
「錦を着て憂う人あり。
襤褸を着て笑う人あり」
という箴言が好きなので、
どうも好んで身を投じた
貧困なのかもしれない。
余生は、
過去、自分に投資した遺産で
十分に楽しめることに
最近気が付いた。
自分にとって、
疑問なことへの答えを
常に考えている。
なぜ、
ご神前の片付け、
整理、清掃で
二度も怪我をしたのか?
二度とも血を観た。
形而下的発想では
「神様のお部屋を片付けて
バチが当るのは理に合わない」
なので、
形而上的“思い替え”をしてみると
「ははん。
ただ、投げてたなぁ・・・」
と気が付いた。
気づかねば
ぼや大火事となる道理
気づきしことはありがたきかな
・・・という、
碧水先生の御教えが
腑に落ちて、さっそく、
ご神前で御礼申し上げた。
それから、
捨てる物にも命が在った、
あるいは、未だ在るのに捨てる、
そして、役に立ってくれた御礼を
言い忘れていたことへの
「お気付け」というご神慮に
思い至った。
ナッちゃんが
保育園児だった頃、
故障した電子レンジを
不燃ゴミに出すのに、
「いままでありがとう」
と書いて貼ったのを
褒めたことがある。
子どもの素直な心、
これを神心というのだなぁ・・・と、
悟らされたはずなのに、
「断捨離」という
「こころ」や「たましい」と
離れた捨て方が間違っていた。
*
内的価値感とは
「真善美聖」に基ずく。
きのうは、
ユーチューブで
河合先生と曽野さん、
狐狸庵先生、愛子先生らの
インタヴュー番組を
それぞれCD化した。
いずれも、
永らく自分を教導してくれた
「心酔する師」たちであり
「老賢者」たちである。
散歩の途中で
古物店を
ウィンドウ・ショッピングしてると
時折、掘り出し物に
出逢うことがある。
浪費家の言い訳なのかもしれぬが、
なんだか、物の方から
「私を使って」
という声が聞こえるのである。
先日も
近所の店で、
ノリタケの32cmもの
メイン・プレートが目にとまり、
その大きさ、金縁で
品のいいサーモンピンク、
そして1.300円という安価と、
新品未開封というので、
条件が揃いすぎて
買わない理由がなかった。
口に貧困を嘯きながらも・・・、
これは浪費なのか
たましいの充実費なのか・・・と、
高々1.300円で
深思熟考した。
アフォーダンス理論じゃないが、
「私に素敵にドレッセして」
と感じるんだから、
物と魂がニールス・ボーアの言う
「暗在系」で通底・シンクロしたのだから、
まさしく「出逢いもん」なのだろう。
俗に言う、
ビビッときた、
ゾーンに入った、
ということなのだろう。
ヤフオク創設期から数年間、
しばらくネット商人をやって
月商10万円で、やめるまで
4.500件の取引をしていたので、
物の真贋を見極める眼はある。
この新古物は
5.000円の価値はあるので、
電卓をはじくと
74%オフとなる(笑)。
だから、
3.700円分
もーけたー!!
と考えると
気分がいい。
♪ヽ(´▽`)/ ヤタ~
こんな素敵な額縁だったら、
真ん中に
コロッケとパセリ盛っただけでも
美しく見えてしまうだろう(笑)。
カウンセリング室&ギター教室の
兼用玄関のスリッパを
冬物に換えた。
夏物は今年、
カミさんに
新調してもらった。
カワチでの
買い物ついでに
買ってもらったが、
めっちゃ派手ハデなのを
奨めるので、
「これじゃ、
クライエントの人たち
ココロかき乱されるよ~」
と駄目出しした。
階段の踊場には
おととしのリサイタルで演奏した
自作のヴィオリーノを飾った。
フレットにガット(羊の腸)を巻き、
全弦もガットである。
アゴではなく
お股に挟んで弾く。
教え子のピアニスト・
イマダケちゃんの名伴奏で、
カタロニア民謡の
『鳥の歌』を気持ちよく弾けた。
きのうは
久しぶりにソーちゃんの
順位戦6局目が
午前10時からあった。
学校に着くやいなや
職員室の共用PCで
ライヴ中継にアクセスして、
休み時間ごとにチラチラと
戦況を観戦していた。
双方で
持ち時間12時間に
食事休憩が1.5時間なので、
毎回、雌雄が決するのは
夜の10時過ぎあたりで、
時には11時半にもなるので
こちらもノンビリと構えていた。
退勤時には
まだまだ中盤辺りだったので、
さほど急ぐでもなく帰宅し、
(それでも高速120㌔で・・・)
続きを確認する前に
ノンビリと風呂につかって
疲れを癒した。
風呂上りに、
おつまみセットを用意して、
さて呑みながら
ゆっくり観るかぁ・・・と、
PCを立ち上げたら、
なーんと! すでに
勝敗が決していた。
ウソ~~~(ノ゜⊿゜)ノ
将棋の醍醐味は、
終盤における
決戦のスリリングな
攻防にあるのだが、
なんと、そのいちばんオイシイ処を
風呂なんぞにノンビリ入ってたがために
ソックリ見逃してしまった。
~(>д<)ノ グヤジィ~
オレノバカ~《゙(┯_┯) ゞポカポカ
なんと
78手という超短手数で
ソーちゃんが
見事に勝ちきっていた。
仕方なく、
解説陣の初手からの
振り返りを見るよりなかったが、
夕食休憩後に、
一気に勝ち筋を読みきって
相手に選択の猶予をあたえずに
一本道で封じ込めた。
二局中継の解説者たちも
呆気にとられて
その手際の見事さに
感嘆していた。
すると、
すぐさまユーチューブに
終盤戦がアップされ
投了に至る数手を
プレイバックで観ることができた。
この日も
前回同様に
マスクをかけての対戦だったが、
前ほどには風邪模様ではなかった。
棋士の間では、
ソータが考慮時間を使わずに
ノータイムで打ち始めたら
“読みきられた”と
戦慄するという。
なにせ、前人未到の
≪詰め将棋選手権≫四連覇の
世界一の「寄せ手」でもある。
これで
C級2組から入った順位戦は
16連勝でいまだに無敗というので、
解説者たちも驚いていた。
このまま
B級2組、1組、
そしてA級棋士に到達するのは
必定のように思える。
そのトップが
「名人戦」挑戦者となる。
生きている間に、
“名誉孫”のソーちゃんが
「名人」になる姿を
見届けたいと願っている。
きのうも
K中で、
二学期末恒例の
学校新聞への原稿を依頼され、
10分で書き上げて係の先生に届けたら
「エェ~!?
もう出来たんですかー」
と驚かれた。
“口から出任せ”ではないが、
365日×14年も
ブログを書いているから、
400字くらいは
お茶の子サイサイである。
その内容はさておいて・・・(笑)。
これまでしてきた
講演会のレジュメは
100近くあるし、
自家本も50冊近く書いた。
「相談する技術」というのは、
かねがね生徒向け講演で
強調してきた造語である。
若者の自殺があまりにも多いので、
「人に頼れる」「相談できる」
というのもソーシャル・スキルとして
身に付けようという提案である。
これまでは、
下手字コンプレックスで
ワープロ原稿をお渡ししていたが、
最近になって
ペン字の稽古を始めたばかりなので、
久しぶりに手書きで書いてみた。
ただ、ワープロのように
途中で削ったり足したりという
修正が効かないから、
ぶっつけ本番で書くような気分で、
不本意ながら改行なしで
最後の升目に句点が収まった。
ヾ(o´∀`o)ノ ヤタ~
まだまだ、あちこちに
下手字の痕跡が見られるが、
お稽古前の金釘流の
「小学半年生」からは
脱せたようである。
(^_^;)
週に三日の勤務日は、
朝の五分ほどで
テキトー弁当をチャチャっと
作っている。
これは、
“死なないマジナイ”で
喰えりゃいい、
見た目も
栄養価もテキトーである。
週末に気合を入れて創作する
フレンチとは対照的で、
ここで精神のバランスを
とっているのやもしれない。
前日の夕飯当番の
カミさんの得意「手抜き技」
おすしパックの
納豆巻きが6ケだけあまってたので、
白飯のあいだに
枯山水みたいに配置した(笑)。
作業しながら、
住居の近所にあって
しょっちゅう散歩に出かけていた
東福寺の本坊庭園の
「八相の庭」を彷彿した。
彩りに
カミさんが香典返しに
頂いてきた
シャケ・フレークを散らしてみた。
枯山水に
紅葉が風で運ばれてきた
様子である(笑)。
テキトー弁当でも、
やっぱ遊んでるなぁ・・・。
そう。
「人生を遊ぶ」が
オールウェイズ・ライフモットー
なのである。