『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

お花見

2013-04-10 11:00:00 | 風景


昨日は、風もなく
穏やかな日和で、
信夫山に花見に出かけてきた。

3.11以前は
茶店が3軒ほど出て
賑わっていたが、
今年も一軒だけで
人出もまばらだった。

花はほぼ満開だったが、
3.11以降、サクラを観ても
ちっとも心浮き立たなくなったのは
残念である。

それとも、単に
歳のせいなのだろうか。




快晴をバックにした
花々は美しかったが、
もっと感動してもいいのに、
と思うのはなぜだろう。

春休みを長く休み過ぎたのと、
花粉症でダルイので
感性が低下しているのだろうか。




金曜日から
いよいよ一学期が始まるので、
春休みも終わりである。



*************


道落もの随談

先生 とにかく、40年前の家の周りは、一面田んぼと畑ばかりでした。隣は広々とした桑畑で、夏になると若葉が青々として気持ちがいいんですね。桑の実も赤々と熟してキレイでね。その方向は、阿武隈川を挟んで京都の東山みたいな借景が見えたんです。そして、道路向いはリンゴ畑ですから、秋になると赤々と実って道にまでリンゴがせりだしていました。小6のときに一度だけ失敬していただきましたけど。でも、毎日見ていると珍しくも何ともなくなってくるのね。
奈保子 伺いますと、とてもいい所だったんですね。
先生 そう。まさに田園地帯で…。今は、桑畑はつぶされて住宅群が建ちましたし、リンゴ畑もつぶされて家が建ちました。田んぼもほとんどなくなってアパートやら商業施設がぼんぼん建っちゃったんですわ。まったく様変わりして、昔の面影がありませんよ。
奈保子 20年ぶりに戻ってこられたんですよね。
先生 そう。だから、その20年での発展ぶりはすごいんです。私が中学生のときに、家の目の前の田んぼの真ん中に国道のバイパスができたんですよ。その工事中の舗装道路を自転車で走って通学してたんですから。それが完成してから、ジワジワと道路沿いに店が建ちだして…。
奈保子 今、ミナフクは、ほんとに一大エリアになっていますね。
先生 そうですね。うちのすぐ近所には、ツタヤもゲオもマツキヨもダイソーもブックオフもありますからね。外食産業もファミレスやミスド、マクド、ドンキ、「かっぱ寿し」、ラーメン屋などが14軒もあるし、すごいですよ。
奈保子 かつての郊外が、いまやドーナツ現象で市の中心よりも発展していますものね。
先生 そうだね。子どもの頃は、本でもレコードでも「街」まで出なきゃ買えなかったけど、今は何でも近所で手に入るようになりました。もっとも、本はネットで入手するのが多くなりましたが。
奈保子 そうですね。アマゾンでなんでも買えますものね。いちいち本屋さんに探しに行く必要がなくなりましたね。
先生 ほんとに、昔に比べたら、おそろしく便利になったもんです。
 
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花盛り

2013-04-09 05:56:00 | 風景


一昨日の爆弾低気圧の暴風で
レンギョウがいくらか
散ってしまった。




隣家の旧高橋さんちの更地に
なぜかラッパスイセンが咲いており、
数本手折ってきて活けてみた。




一冬越した
アジサイに若葉がついて
花芽が開いた。



寝室から見える隣家のサクラは
八部咲きである。




郊外に出たら
枝垂桜が満開だった。

春爛漫である。


**********

道落もの随談

奈保子 先生の自分史『道落もの』には、たしか、ご幼少期の柳町時代まで書いてありましたね。その後も、いろいろお引越しとか移動はされておられますね。
先生 はいはい。柳町は生まれてから小6までで、小6のときに今住んでいる処に親が家を建てたので引越したんです。
奈保子 じゃ、小学校は転校されたんですか。
先生 ほんとは杉妻小学区になったんだけど、もう残り少しだったので、そのまま清明小に通いました。柳町の生家に叔父さん一家が引っ越してきたので、そこまで自転車で行って、置いていったような気がしますね。ハッキリ覚えてないけど。
奈保子 ここは、今で言いますと、ミナフク(南福島)・エリアですよね。その頃は、どういう所だったんでしょうか。名前からすると、ずいぶん鄙びた田園地区みたいな響きですが。
先生 そのとおりですよ。福島市内なんだけど、町ではないんですね。今でも「字」(あざ)なんですよ。
 ここは、いい水が湧く処でしてね。むかしは、うちでもポンプの井戸水でしたが、それは天然ミネラルウォーターで、夏冷たく、冬暖かい、しかも飲んで美味しいというスンバラシイ水でした。今は枯れちゃって、水道になりましたが。
奈保子 それは残念ですね。
先生 ほんとに残念です。でも、3.11の原発事故があったから、地下水も汚染されたかもしれないしね。
奈保子 ああ…。そうですね。



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屋外練習

2013-04-08 08:31:00 | ギター


屋外練習場が3箇所あるが、
晴れた天気の良い日には
順繰りに巡っている。

岡部の親水公園は
かつては白鳥飛来地として
川面が見えぬほど賑わっていたが、
鳥インフルエンザ以来、
餌付けが禁止され、
いまや寂しい所となってしまった。

それでも、鴨や白鳥が
ぽつぽつと越冬している。




人生随談


奈保子 天才的な演奏家との出会いは、まさしく感動をもたらしてくれますよね。
先生 それはありますね。大げさに言えば、同時代に生きていることに感謝したくなりますもの。
奈保子 でも、それって、若者がアイドルに憧れる気持ちと根底は一緒じゃないでしょうか。
先生 うん。同じかもしれませんね。AKBにワクワクするのも、辻井伸行のピアノに感動するのも、脳内では同じ情動反応でしょう。
奈保子 何事かに感動できる、という精神反応が、健常な状態と言ってもいいでしょうか。
先生 抑うつ状態やapathyになると、無気力、無感動という精神活動抑制が起こるでしょ。
奈保子 そうなると、うつ病と言われますね。
先生 でも、ほら。逆に、何にでも感動したり、過剰反応したり、大騒ぎしたら、それってmanicでしょ。
奈保子 躁病ですね。
先生 だから、感動するのに値するものに感動する、というのが正常なんじゃないでしょうか。
奈保子 それは、他者が見ても了解可能な対象、ということですね。
先生 そうそう。落語の酒飲みのマクラに、酩酊すると「おまえ、頭が禿げてる」とか、愚にもつかないことで大笑いする、ってよく噺家が言ったりするんですよ。それって、酩酊によるego inflation(自我肥大)なわけでしょ。一過性のmanicでもあるわけですよ。
奈保子 そうですね。regression(退行)っぽくもありますけど…。
先生 でも、小さな子が、初めて見聞きしたことに感動する、というのとは違うでしょ。
奈保子 違います。
先生 まさに、愚にもつかないことに過剰反応する。いわば、過覚醒状態なわけですよ。
奈保子 易興奮性の状態ですね。
先生 そう。情動反応過剰なわけです。
奈保子 躁状態も酩酊も、脳内の生化学的な変化によるものですよね。
先生 うん。「感動」も所詮、養老先生じゃないけど『唯脳論』的な所為なんだよね。
奈保子 そう言い切ってしまいますと、魂理学的な物言いじゃないんじゃないでしょうか。
先生 あ、しまった…(笑)。『唯脳論』に毒されてしまった(笑)。
奈保子 たしかに、現代の脳科学は発展してきましたので、感動そのものにもメスが入るかもしれませんね。
先生 うん。ドーパミンやらエンドルフィンという脳内快楽物質は既に発見されているでしょ。
奈保子 はい。報酬系の脳内ホルモンですね。
先生 そう。進化の過程でそういうメカニズムができてきたんです。

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咲き始め

2013-04-07 09:16:00 | ガーデニング


庭のサクランボの花と
レンギョウが満開になった。

昨晩の爆弾低気圧でサクラは
だいぶ散ってしまったが、
これから葉桜になり
実がなる。




母校の清明小のサクラは
七部咲きだった。

信夫山はまだ
三部くらいである。


**********


人生随談

奈保子 先生のお宅のカウンセリング室のデスクには、写真が沢山飾ってあって、それを拝見しますと、どなたに私淑されているか、一目瞭然ですね。
先生 わかりやすいでしょ。ただ、一休、良寛、賢治の肖像はありませんけどね(笑)。
奈保子 ユングと河合先生と狐狸庵先生と中村元先生と碧水先生がありますね。それと、私には解りませんが、二人のギタリストが…。
先生 あれは、フラメンコの天才、パコ・デ・ルシアとクラシックの天才、渡辺範彦さんというんです。
奈保子 そうなんですか。やはり、その二人には感動的な出会いがあったんですね。
先生 そうです。パコの方が先だったけど。中学の頃、ギターの先生にフラメンコの曲を聞かされて、それがパコの曲だったんです。曲も演奏も、まさしく衝撃的でしたね。いまだに、フラメンコの「神」的存在として君臨していますからね。
 渡辺範彦さんは、日本人で初めてパリ国際コンクールで優勝した天才的ギタリストなんです。高校の頃、Eテレの『ギターを弾こう』の講師だったんですが、初めて演奏を聴いたときには、その音の美しさと音楽の流麗さに酔いましたね。ですから、いまだに、自分の目標でもあります。
奈保子 私も、マルタ・アルゲリッチがピアノの最高峰だと思って目標にしています。
先生 彼女も間違いなく天才ですよね。

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空振り

2013-04-06 05:42:00 | 仕事


昨日は、双相地区の
カウンセラー研修会があって
午後から久しぶりに教育センターに
赴いたら、ナント、書類のミスで
郡山の養護教育センターだったらしい。

スッポカされて愕然としていると、
担当者から電話がきて
平謝りに謝られた。

けっきょく、半日を
棒に振ってしまった。

朝からアレルギー性鼻炎で
耳鼻科に薬をもらいに
行くほど酷かったので、
帰ってからゴロ寝して過ごした。





寝ていたら、
背中がチクッと痛んだので、
手を回して触ってみたら、
またニキビが一つ出ていた。

鏡でも見にくい箇所なので
デジカメを背中に回して、
接写モードにして何枚か撮って
やっと写ったのを見て、
膿んではいないようだと確認できた。

去年はこれが膿んで腫れて
整形外科で注射針を刺されて
ものすごく痛い排膿処置を受けたので
さっそく化膿止めのゲンタシンを塗った。


***************


人生随談


奈保子 「散る桜 残る桜も 散る桜」という句は、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚」という警句とどことなくニュアンスが似ていますね。
先生 そうですね。いずれにしても、人は必ず死ぬもんなんですよ、と言ってますね。
奈保子 ラテン語の「memento mori」と同じなんですね。
先生 そう。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」ということですね。
奈保子 良寛さんは、それを、やはり自然に託して、そこに「もののあはれ」をも詠んでいますね。
先生 これも貞心に宛てた歌だと思うので、「残る桜」というのは彼女のことを指しているんですよ。つまり、人はみな死ぬのだから、そんなに悲しまなくともいいよ。あなたもいずれ死んだら、また、あの世で遭えるでしょう。というような言外の意味もあるんじゃないかなぁ。
奈保子 なるほど。互いに仏門の僧侶ですから、男女の情愛をあからさまには表現できなかったのかもしれませんね。
先生 そう。昭和の演歌や歌謡曲のように、「愛してる」だの「好き」だの、言うだけ嘘くさいでしょ(笑)。
奈保子 春は桜、秋は紅葉と、日本人が今もって心奪われる自然を素直に歌っているのも共感できますね。
先生 もっとも、戦時中は『同期の桜』とかの軍歌で、「見事散りましょ、国のため」なんても歌われていましたけどね。
奈保子 パッと咲いて、パッと散る姿が「潔い」という、日本人の美意識に適っているんでしょうね。
先生 最近は、潔い政治家とか、いなくなりましたけどね(笑)。

コメント (2)
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