11人の死亡者と29人の行方不明者を出した地中海クルーズの豪華客船コスタ・コンコルディアの事故には呆れかえった。
船長が、座礁した島出身のクルーのために、わざわざ規定の航路を外れて沿岸まで近寄ったのだが事故原因だというから、馬鹿としか言いようがない。
しかも、この馬鹿、事故後に一切の指揮を放棄して、さっさと我先に避難し、沿岸警備隊長に指揮に戻るよう促されても拒んで、「家にでも帰るつもりかッ! 早く船に戻れッ!」と叱責されている録音が全世界に公開された。
イタリアの新聞では
「1人(船長)は我われに恥をかかせ、
もう1人(警備隊長)は名誉を取り戻してくれた」
と書いている。
この馬鹿船長、
「座礁した船で転んで、偶然、救命ボートに落ちた」
と言ったというのだから、救いようのない奴である。
タイタニックの船長の名は知らないが、コンコルディアの船長・フランチェスコ・スケッティーノ(52)の名前は忘れないだろう。
フランチェスコといば、無私の奉仕活動で人々を救った聖フランチェスコから取った名であろうに、イタリアの聖人フランチェスコも、その名を汚されて、さぞかし嘆いていることだろう。
スケッティーノという響きは、日本語では「助っ人」を連想させるが、どっこい、助っ人どころか、落語で言えば「頬っ被りの随徳寺」である。
しかも、こともあろうに、
「自分は数千人の乗客の命を救った」
と嘯(うそぶ)いているらしいから、この男、念のいった馬鹿である。
おそらく、業務上過失致死で禁錮刑に処せられることは間違いないだろう。
乗客の証言によれば、事故発生時、船内のレストランでは、『タイタニック』の主題曲「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が流されていたらしいが、それが本当なら、これ以上の皮肉はなかろう。
しかし、この出来事は、単なるイタリアでの一事象と看做すことはできない。
いかにコンピューター制御されている最新メカニックを備えていても、ひとたびヒューマン・エラーがあれば多くの人命が損なわれるのである。
福島原発事故を体験した我われは、それを人事とは思えない。
しかも、豪華客船が目に見えぬ暗礁によって沈没した、というのは、なにやら、物質文明の繁栄に浮かれている人類の姿にシンクロしているように見えてならない。
タイタニックの事故は、奇しくも1912年に起こった。今から、ちょうど100年前である。
当時の最先端技術による豪華客船も、氷山という自然によって沈没した。
まるで、奢る人間に対して自然(もしくは神)が、それを戒めているかのように見えるのは、あながち穿ち過ぎとは言えまい。