子どものように

 「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(マタイ18:1-4)

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 そこにいた子どもに材を取って天の御国をたとえるイエス。

 天の御国に入るのにどうしても必要なことは、悔い改めることだ。
 肉の罪を律法によって指摘されて自覚し、罪を悔いる。
 ところがこの罪を悔い改めることが自力ではどうしてもできない。
 罪の肉がどこまでもつきまとうからで、外からの力がどうしても必要になる。
 それがイエスの道であり、極刑としての十字架である。
 私たちの肉はイエスの十字架とともにはりつけになって、処分され、そしてイエス同様復活する。

 そのように悔い改まって肉が処理されると、当たり前のようだが肉そのものが弱くなる。
 子どもは自分を低くしようと思ってそうしているのではない。そもそもが無力なのだ。
 それと同様、この肉は子どものように無力になる。できていたことまでできなくなる。
 そのように、生まれ変わって無力になることによってのみ、天の御国に入れるのだとイエスはいう。

 子どものようになれ、というより、悔い改めたときにはそうなってゆく。

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